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 夕刻――。  予想に反して敵からの襲撃はとりあえずのところ無かったものの、(ジォウ)らの部屋では未だ緊張状態が続いていた。 「そろそろ晩飯の時刻だ。ヤツら、昼は思った通り取らなかったからな。さすがに晩飯はルームサービスを頼んでくると思われるが――」  鐘崎(かねさき)春日野(かすがの)がまたもや給仕係として出向けるよう支度したまま待機していたその時だった。鐘崎(かねさき)の父・僚一(りょういち)から心強い援護の知らせが舞い込んできて、一同は幸先に胸を逸らせることとなった。  なんと、僚一(りょういち)は知らせを受けてから素早く救援の手立てを考えてくれていたのだ。その方法とは、船内に急病人が発生したことにしてドクターヘリを差し向け、救助隊員として僚一(りょういち)自らが乗り込んでくるという策だった。ちょうど一足先に台湾入りしていたマカオの張敏(ジャン ミィン)も加勢してくれるそうで、医師に扮した(ジャン)が側近たちを引き連れて、僚一(りょういち)と共に来てくれるそうだ。  パソコンの前で源次郎(げんじろう)が逸った声を上げた。 「(わか)! 僚一(りょういち)さんから作戦のご指示が届きました。敵に怪しまれないよう、ひとまずこの船内の調理場で小さな火災騒ぎをでっち上げろとのことです。既に船長には連絡を取ってくれているそうで、我々は煙幕を焚いて火災を装えと」  その火災でシェフが大火傷を負ったことにし、ドクターヘリで怪我人をこの船から脱出させるという手筈だそうだ。佐知子(さちこ)暸三(りょうぞう)にその大火傷を負ったシェフに扮してもらい、ひとまず船から脱出させようという作戦だった。  佐知子(さちこ)暸三(りょうぞう)はそのまま張敏(ジャン ミィン)らに預けて台湾へ向かってもらい、僚一(りょういち)は船に留まり江南賢治(えなん けんじ)の捜索と救出に当たるという。僚一(りょういち)が来れば鬼に金棒だ。鐘崎(かねさき)(ジォウ)ら一同も頼もしい救援に力付けられるのだった。 「よし、ではすぐに調理場へ向かおう!」 「(わか)! それは私と(リゥ)さんで引き受けます!」  清水(しみず)(リゥ)が煙幕係を請け負ってくれることとなり、鐘崎(かねさき)らは佐知子(さちこ)暸三(りょうぞう)を怪我人のシェフに変装させる支度に取り掛かる。佐知子(さちこ)には今朝方から白髪の男性執事に化けてもらっていた為、あとはシェフの服に着せ替えて火傷のメイクを施せばいいだけだ。 「紫月(しづき)。敵がどこで様子を窺っているやも知れん。なるべくリアルに仕立ててくれ」 「分かった! (ひょう)君、悪いが手伝ってくれ!」 「はい!」  紫月(しづき)(ひょう)佐知子(さちこ)暸三(りょうぞう)に火傷のメイクや血糊を施していくことにする。暸三(りょうぞう)は船に残って微力ながら役に立ちたいと望んだが、鐘崎(かねさき)はそんな彼を宥め、説得した。 「暸三(りょうぞう)。お袋さんを守れるのはおめえしかいねえ。親父さんのことが心配なのは分かるが、必ず俺たちが救出する!」  だからお袋さんを頼んだぞ――という兄の言葉に、暸三(りょうぞう)もまた覚悟のある表情でうなずいた。  そして母の佐知子(さちこ)に向かって鐘崎(かねさき)は言った。 「しんどい思いをさせてしまい申し訳なく思います。ヘリに同乗する張敏(ジャン ミィン)は我々の信頼できる仲間です。どうか安心して彼らを頼ってください。俺たちも全力を尽くしますので、しばしご辛抱願います」  申し訳ない――と、頭を下げる。 「遼二(りょうじ)……さん」  鐘崎(かねさき)は母の佐知子(さちこ)が裏の世界に生きる者の宿命ともいえる――明日をも知れぬ不安の中で生きていくのが辛くて父の元を離れたことを聞かされて育ってきた。ゆえに、そんな母に対しまたぞろこうして危ない橋を渡るような体験をさせることをすまないと思うのだ。 「暸三(りょうぞう)、――お袋を頼む」 「兄さん……承知しました。母さんのことは自分が必ず――!」 「うむ、頼んだぞ!」  兄弟が固く手を取り、誓い合う。そんな姿に母の佐知子(さちこ)もまた、堪え切れない双眸からの涙を溢れさせるのだった。  お袋さんを頼む――ではなく、お袋を頼む。鐘崎(かねさき)は最後にそう言った。  この驚くべき邂逅からこの方、『江南(えなん)夫人』とか『お袋さん』としか呼ばなかった彼が、緊急事態とはいえ、『お袋』と呼んでくれたのだ。佐知子(さちこ)にはもうそれだけで心残りはない――そんな心持ちに止まらない涙を拭い続けるのだった。

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