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台湾への入港までは残すところ数時間――。少しでも身体を休めておけという僚一 の言葉で、周 や鐘崎 以下、皆束の間の休養を取ることとなった。
そんな中、江南賢治 が鐘崎 に対して母親を奪ってしまった詫びを口にしていた。
「遼二 さん――でしたな。あなたとお父上の僚一 さんには……申し訳ないことをいたしました。さぞかしこの私を快くは思っていらっしゃらないことと存じます……」
謝って済むことではないが、とにかくは謝罪せずにはいられないという江南 に、僚一 も、そして息子の鐘崎 も揃って首を横に振った。
「江南 先生、どうぞ頭を上げられてください。ご夫人……母にも言いましたが、自分は父とこの源 さんや組員の皆さんに何不自由なく育ててもらってきました。正直に申して、とても幸せな人生だと思っています」
「遼二 ……さん」
「それに――ご子息の暸三 君から彼の命名の由来をお聞きしました。先生が私と暸三 君が出会った際には手を取り合えるようにとお付けくださったお名前だと。それをうかがってとても嬉しかったです。このような形でお目に掛かれたのも誠、縁と思います。ですからどうか――申し訳ないなどとおっしゃらないでください」
自分は充分に幸せです――鐘崎 はそう言った。また、僚一 も息子と同様にこれで良かったのだと思うと告げた。
「佐知子 には裏の世界に身を置く私の側で常に危険に怯えて暮らすより、あなたのようなやさしい男性と共に人生を歩めることの方が幸せだと、私も心からそう思っています。有り難いことに息子もこうして私の仕事を理解し、同じ道を歩むことを決めてくれました。そして息子と我が組にとって生涯を共にできる素晴らしい紫月 という伴侶を得て、私どもは本当に幸せと思います。そして今、DAの解毒薬の開発にご尽力されてきたあなたとこうして出会えたことも運命の導きだったのでしょう。全力を賭してあなた方ご家族を魔の手から救いたい。心からそう思っております」
「鐘崎 さん……遼二 君、ありがとうございます……! お二人には――そして皆様にはどう御礼を申して良いやら……言葉もございません」
本当にありがとうと、江南 は皆に向かって深々頭を下げた。
「ところで江南 博士。あなた方はドイツに渡ろうとなさっているようだが、身を寄せる当ては決まっておられるのか?」
僚一 が訊く。
「はい、ドイツには私の古くからの友人がおりましてな。名をヴィンセント・ブライトナーといいます。彼は非常な優秀な医師であり、化学者でもあります。DAの抹殺についても彼とは長い間志を共にして参った仲でございます」
「やはりそうでしたか。ブライトナーというと、ご子息はクラウス君でしたな?」
僚一 の問いに江南 は驚きつつもその通りだと言ってうなずいた。
「クラウス君をご存知でしたか! おっしゃる通り、彼はヴィンセントの息子です。今は父子共々医師として活躍されている」
「ええ、存じております。実は私どもの組でクラウス君の警護をさせていただいたことがありましてな」
「……そうでしたか!」
「ではあなた方はドイツに渡り、ブライトナー氏と共に研究を続けられたいということですな?」
「ええ。ブライトナーのいる施設はセキュリティも万全ゆえ安心して研究に打ち込めるということで、ヴィンセントの方からドイツへ来ないかと申してくれたのです」
「なるほど。では台湾での決着がついたら、あなた方ご家族を無事にブライトナー氏の元へお送りできるよう力を尽くしましょう」
「鐘崎 さん……。本当に何と御礼を申し上げてよいか……」
「それまでしばしご辛抱をお掛けいたしますが、必ずやお力になれるとお約束いたします」
力強い僚一 の言葉に、江南 はそれこそ言葉もないほどに感謝でいっぱいになるのだった。
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