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第2話

 脱出後、トニーは一日だけ検査入院となり、救急車で搬送されていった。  その日の業務を終えたケインは、転がるように病院へと向かう。 ――交差点の信号待ちが、こんなにも長いものに感じたことは今までなかったな。  イライラと赤信号を睨んでいた自分に気づき、ケインは自嘲した。  上司から聞かされていた病室を訪ねると、検査着に身を包んだトニーが、ベッドを半分起こし、スマートフォンで暇つぶしをしているところだった。  トニーの大きな手の中にあるスマホは、まるで子供のおもちゃのようだ。  入り口の壁をノックすると、トニーが気づいて顔を上げた。 「ああ、ケイン」  ケインは笑顔で応え、個室に備え付けられていた丸椅子を引き寄せると、トニーの枕元に腰を下ろす。 「来てくれたのか」 「ああ」  言葉が続かない。  なんだか様子のおかしいケインにトニーが首をかしげた。 「ケイン?」 「あ……いや、君が潰れてなくてよかった……」  ケインは、両膝に肘をついて、手を組み、病室のリノリウムの床に視線を落としている。 「心配かけたな」 「心配なんてもんじゃない……胸の奥まで凍りついたかと思った」  ケインはうつむいたまま、力なく笑う。 「…怖かった……」 「ケイン……」 「怖かったんだ、とても」 「俺は生きてる」  トニーはスマホを置くと、ケインの髪をかき混ぜた。 「ああ……」  ケインは気持ちよさそうに目をつむり、トニーのてのひらに頭をゆだねながら言った。 「好きだトニー」  トニーの手の動きが止まる。  ケインが目を開けると、戸惑った顔のトニーがそこにいた。 「君が生きているうちに伝えることに決めた」  ケインは、頭に乗せられたままだったトニーの手を取ると、そのてのひらに口づける。 「伝わったかな?」  眼鏡越しに上目遣いで見上げるケインに、トニーは丸い目をしたまま、こくこくと頷くことしかできない。 「よかった」  トニーの手のひらにもう一度キスを落とすと、ケインは立ち上がった。 「それじゃあ、また明日」 「ケイン!」    背を向けたケインを、トニーが呼び止めた。  ケインは振り返る。  呼び止めて、けれどトニーは何を言えば良いのか分からないのか、次の言葉が出てこない。  二人は無言のまましばし見つめ合った。 ――どうしてこんなにもトニーを好きなんだろう。  ケインは、自分でもこの感情に困惑していた……けれどそこに拒絶の色のないトニーと見つめ合いながら、自分でも分からない、けれど答えだけは出ている問いを、頭の中で繰り返した。 「今日みたいな事は、二度とごめんだ」  そう言って微笑んだケインの瞳から、涙がこぼれ落ちた。  トニーは。  ブランケットをはねのけると、裸足のままベッドから飛び降りて、ケインを抱きしめた。  厚い胸板に押しつけられ、ケインの眼鏡が床に落ちた。 「トニー、苦しいぞ」  答えの代わりに、さらに抱きしめられ、ケインは苦笑する。 「すまないトニー、この気持ちを君に伝えるつもりはなかったんだ……本当に……でも今日は、本当にゾッとして……」 「俺は生きてる」 「うん」  しばらくそこに二人佇んでいると、やがてトニーの腕の中で、もぞりとケインが身じろぎをした。 「?」 「このハグは、君の答え? それとも優しさかな?」 ――君は優しいからきっと……。  ケインは自分の中で勝手に答えを出して、冗談めかす。 「ありがとう、トニー、もう落ち着いたから、そろそろ放してくれないか? さもないと、このままそこのベッドに、君を押し倒してしまいそうだ」 「いいぞ」  はじかれたようにケインが顔を上げると、どうやらトニーは、自分を見下ろしているようだった。 「トニー……」  というのも、眼鏡を落としてしまったので、今トニーがどんな顔をしているかまでは見えなかったからだ。  ケインがトニーの頬に手を伸ばすと、指先が触れた彼の肌は熱かった。  どうやらトニーは耳まで赤くなっているようだ。 「ああ……トニー……君、本当かい?」  トニーは答えない、ただ、その両腕に力が込められるのが分かった。 「嬉しいよ、トニー」   それは、ケイン・ウィリアムスにとって、最良の出来事となった。 「――どうしてこんなにも君を好きなんだろう」  思わず呟いた声に、トニーが答えた。 「そいつは、俺が知りたい話だな?」 それから二人は、並んで笑い転げたのだった。

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