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第2話

 二階にある引付座敷へ案内された辰は、入口っぱなで二階回しの若い者に断りを入れた。 「いや、わりいが俺あ、おいらんの部屋で持たせてもらう。大丈夫。話は通ってンだ」 「しかし、おいらんの部屋は……」  本来ならば、登楼(とうろう)した客は引付座敷で、打ち掛け姿になった遊女と、引付の盃を執りおこなう。  一夜限りとはいえ枕を共にすることに、仮初の祝言をあげる吉原の慰めだ。  盃がすむと若い者の「お召し替え」の声で、いったん遊女は席をはずし、額仕立の常着に着替えて戻ってくる。  その間、注文した台の物(台屋と呼ばれる仕出し屋の料理)が届き、盃を重ねて客人は遊女を待つ。  座が陽気になってきた頃をみはからって、ここで初めて、若い者が「あちらへ」と、客を、すでに床が敷かれた遊女の部屋に案内するのだ。  驚き顔の若い者に、辰は苦笑する。 「信用ねえなあ……」 「初会で信用もナニも、図々しい話でござっせえ」  いつのまにやら、打ち掛け姿になった孤蝶が上がってきた。  若い者が孤蝶に念を押すように訊ねる。 「おいらん、ホントに、もう、お連れするんですかい?」 「あーあ。それを条件に上がってもらったんだよ」 「ですがおいらん、今日だって部屋は……」 「うるさいね。かまわないってんだろう」  ぴしゃりと言葉ッ首で取り押さえると、孤蝶は辰の袖を掴んだ。 「サ、アチキの部屋はこちらでおすえ」  廊下で、座敷にいるはずの辰に、茶と煙草盆を運んできた禿(かむろ)とも鉢合わせ、幼いお禿も面くらいながら、ぞろぞろと連れ立つ三人の後についてくる。 「はい、御免くださいよ。へえ、こちらで」  若い者が辰の前に立つと、すらっと襖を開いてみせる。  ――孤蝶の部屋は、敷きっぱなしの床周りに、林立する和書の山で、足の踏み場もないような有様だ。  黄表紙から始まって、漢書和書が古今を問わずに入り乱れている。  こんな色座敷には、ついぞお目にかかった事はない。  一瞬、面食らった辰はそれでもすぐ、先に入った孤蝶のとおりに歩き、部屋に入る。 「オウ。障子、開けてくれ」  言いながら、辰は、腰を下ろそうにも、座れそうなのは布団の上だけなので、仕方なくそこに胡坐をかいた。 「普通は閉めさせるもンでおスに」  くっくっくと、咽喉の奥で笑いながら、孤蝶は表通りに面した窓を開け放つ。  誘った本人の言うとおり、大門がよく見えた。  辰がホッとしたような顔をする。 「間に合いンしたか?」  孤蝶が訊ねると、辰は答えずらそうにはぐらかした。 「ああ……それと、部屋の明かり、落としてくれ」 「そこは一緒でおスなァ。でもちょいと段取りが早うおス」 「ふざけてねえで」 「アイアイ」  笑いながら孤蝶は行燈の火を蝋燭に移すと、行燈の方を吹き消す。 「こんな薄暗い引付は初めてですよ」  孤蝶が続いて布団に座ると、辰を部屋に案内した若い者が、そうぼやきながら杯台、銚子、硯蓋を持って現れた。 「ヘイ、あなた様……こなた様」  一組の盃を、辰と孤蝶にめいめい持たせ、二人の間に盃のやりとりをする。  と。 「あっ!」  注がれた盃をくいと空にしてしまった辰を見て、若い者が声を上げた。  引付の盃は、本来真似事なのだから、盃は空けない。飲む真似事だけで済ますのだ。  止める間もない。 「そんならアチキも」  面白がって孤蝶も笑いながら、続けて盃を空けてしまった。 「あーあー。もう、しょうがねえなあ、二人して、本当に祝言あげちまって……」 「?」  盃を持ったまま、キョトンとしている辰には構わず、孤蝶はさっさと若い者を追い出しにかかった。 「いいから、さァさ。杯台を下げとくれ」 「……おいらん、久々の客人だ。悪い癖ださねえでくださいよ……今度やらかしたら、本当に座敷を取り上げられちまいますよぅ」  辰を部屋へ通した若い者は、それからなんとも気の毒そうな顔で客人を見ると、したりと音を立てて襖を閉めた。

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