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第4話
「おいらん、またヤらかしちゃったんですか!」
翌日、廊下に出された山のような下げ膳に、若い者ががっかりし果てた声を上げた。
「金目のありそうな上、めずらしくおいらんと張り合うっくらい、毛色の変わった良いお客でやンしたのに」
「毛色のかわったイイお客たァ、おまえさんも洒落た事を言うね」
万年床に寝転がり、本を広げながら孤蝶が茶々を入れる。
「ああああ。コンナに頼んじゃ、料理のお代だけで、おいらんの十人も揚げられまさあ」
「それでも二朱のばっかりにしといたサ」
「おいらん……本の音の話ですぜ。あのお客だってこりちまって、きっともう来いやしやせん」
「そうだねェ。用も済んじまいそうな勢いだったっけ…………でも、草履も取りに戻れなかったしねェ……」
「草履?」
◉
「俺の草履、まだあるかい?」
あちこちで三味線が清掻を掻き鳴らし始め、夜見世が開き始めた時分。
花魁道中の見物客がそろって、朱格子に尻を向ける中、ふらりと孤蝶の朱格子の前に、手をかける者があった。
辰だ。
「そちらさんのじゃない草履なら、預かってござっせえヨ」
孤蝶は、昨日、辰が置いていった草履を、紙包みごと格子の間から差し出す。
「……借り物ってことまでお見通しとは、恐れ入ったよ」
「無理して履いてなさるから、鼻緒が伸びきっちまって、まるで型があってござんせん」
「や、ホントかい? やべえな……借主に怒られちまう」
ごそごそと包みを開け始める辰に、孤蝶が笑い出した。
「嘘でおっせえス。伸びちゃいません。オマエさんが履きなさるようなシツラエじゃありゃせなんで……」
「それを聞いて安心した。揚がるぜ」
「アイ、二階へどうぞ」
辰が階段を上がると、二階廻しに走り回っていた若い者が、はたっと辰を見つける。
「来たっ!」
「?」
「あ、いえいえ。此方の話でして。孤蝶さんのお部屋はそちらでごザンスよ。今、禿に茶を持たせますから」
思わず叫んでしまった後で、若い者はバツの悪そうにそう盲い置くと、そそくさと階段を下りていった。
「なんだいありゃあ?」
◉
「あっはははは。それやあ、叫びもしなっせえ」
部屋に入ると二人は、昨日と同じく、布団の上に座り込み、銚子を傾けながら喜の字屋の紙を覗き込んで、台の物を品定め始めた。
「……後は、これとこいつと……」
「あー。だめだめ。そいつは昨日食ったら、ちょいとショっ辛すぎンした。こっちにしなんし」
「そうか? じゃあ、こっちのにしよう……で、叫びもするって、なんでだい?」
「なんでも何も、何せ、裏まで返した(二日目も来ること。通常お客はこの二日目まで、おいらんに触れる事は無い)お客は、おまえさんが初めてサ」
「おいおい、そうやっていままで何人だまして……」
「そんなことより、今日はちゃんと草履を履いていきなんしヨ。走るったって、足でも怪我しなんしたら、それどころじゃござっせえ」
「え?」
聞き返した辰に、孤蝶もさらに聞き返した。
「え?」
「いや、おいらん。俺ァ今日は、普通の客で……」
「え?」
「だから……今日はそういうつもりできたんじゃねえよ。障子も開けさせてネエだろ? おかげさんで上手い塩梅に行ったもんだからお礼にヨ……また、お前さんが腹減らしてんじゃネエかと思って……昨日、恥かかせちまったしな……なにか、不味かったかい?」
孤蝶は、ちょっと戸惑ったような顔で、辰を見返した。
「あれは、おいらんとしての手前、言ったまでの憎まれ口……てっきり、昨日の用事をしそこなって、今日からまた張り番でもするのかと……」
「ひでえな。そんなに抜けて見えるかい」
「まさか、用が済んでも、やって来るとは思わなかった……」
「俺ァあ、来るって言ったぜ?」
すっかり血の気の引いた顔で、孤蝶が後ろに身を引いた。
「オット。でえじょうぶだよ。飯だけ飯だけ。別に悪さしに来たわけじゃねえ」
「今夜は、ずっと居るのか……」
うなだれて訊ねる孤蝶に、辰の方まで居住まいをただしはじめる。
「おいおい、どうしちまったんだよ、てのひらけえしたみてえに……帰れってんなら帰るが、もうじき大門も閉まる……隅っこで寝かしてくれればありかたいがね」
孤蝶はうなだれたまま、何も答えない。
「……あー。わかったわかった。また財布は置いてくから、好きなだけ食ってくれ。俺は帰るよ。今ならまだ間に合……」
言いながら立ち上がった辰の裾を、孤蝶がやっぱりうなだれたまま、掴んだ。
グン、と引かれた力は強く、辰は思わずよろめいてしまう。
「おいらん。いってえ、どうしてえんだ?」
「……孤蝶」
聞かれて孤蝶が、小さな声で、訂正を入れた。
辰は布団の上に胡坐をかきなおした。
「ソラ、まず口でも湿して。からからンなっちや、話も出来ねえよ……そうだろ? 孤蝶さんよ」
孤蝶の手に盃を持たせ、お酌をしてやると、辰は自分にも一献注いで飲んで見せた。
孤蝶は、持たされた盃に自分の顔を映したまま、しばらく眺めていたが、意を決したように一息に飲み干すと、小さく息をつく。
それから辰の手の銚子をもぎ取るとそのまま飲み干し、さらに三本、立て続けに喇叭飲みで空けてしまった。
「…………最初は、都合のいいのが来たと思った」
すっかり酒臭くなった息を吐いて、孤蝶は最後のお銚子を、畳の上に取り落とした。
「客じゃない上、ワケありそうだ。万一正体がばれても、相身互いで、騒ぎ立てたりはしないだろうってな……飯だけ食わしてもらって、それで辰、オマエさんの用が足せりゃあ、一石二鳥でちょうどいいって……それで、何日か口に糊ができれば儲けもの。そう思ったんだ」
「正体?」
聞き返した辰に、孤蝶がなんとも情けない顔で、打ち明けた。
「だってオレ、男だもの」
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