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第10話
教師に促されるままピアノ用の席に座る
軽く鍵盤に触れると、ポロンと美しい音が鳴った
「楽譜がありますが見てみますか?」
「ありがとうございます」
教師は楽譜を取り出し数枚ノアに手渡す
そして、それを見たノアは驚愕した
楽譜の読み方がわからない
ノアは唖然とする
前世、ピアノを習っていたため楽譜の読み方は早々にマスターしていたはずだ
だが目の前にある紙は、楽譜と言うにはあまりにも読みずらい構図だった
通常、楽譜といえば横向きに棒が数本引かれ、その上に点を置き、記号などで音を表現するのが一般的だろう
小学生でもハーモニカやリコーダーを授業でやるため、楽譜を見たことがない人などそうそういないはずだ
だが今ノアが待つ楽譜はそもそもが違っており、初めて見るものだった
まず棒が縦に引かれている時点でおかしい。見たことのない記号まで増えている
まるで見方がわからない
しかも右手と左手でページが別れており非常に見づらい
なぜピアノがここまで不人気なのかわかった気がする
だが今更くよくよ言っても仕方ないだろう
とにかく、簡単なものから試して見て、慣れないようだったら自分用に書き直すことも視野に入れながら、なんとか楽譜を読み替えていく
「これがドなら、こっちがミ…」
「ちょっと、あなた1人で何ぶつぶつ言ってんの?」
「………。これがソで、これが…」
「ちょっと!無視してんじゃないわよ!!」
やれやれ、めんどくさいものだ
楽譜の読解をするノアの目の前に現れたのは、ザ、悪役令嬢といった目つきの悪い令嬢と、その取り巻き達
彼女達はたしかヴァイオリン担当のはずだったが、なぜノアのところに来たのか
答えは簡単。ただからかいに来ただけ
令嬢はおそらくノアの一つか二つ学年が上のアルファの女の子
いかにもスクールカーストといったくだらない風習を気にするようなお年頃
どうやらこの芸術学科のボス的な存在のようで、周りの生徒は絡まれてるノアをチラチラ見るものの、助けようとはしなかった
なるほど、誰も助けてくれないと。
先程までいた教師は今は教室にはいない
わざわざ教師がいなくなってから話しかけてきたようだ
まったく律儀なものだ
「…なんです?僕忙しいんですけど」
「ふんっ、生意気ですわね。あなた一体何様よ。私達に挨拶なしで、この学科でやっていけると思いまして?」
「ああ、こんにちは」
「そうではなくって!!」
思った反応が得られずわかりやすく腹を立てる彼女の様子はとても年上とは思えない。やはり勘違いだろうか
「ふ、ふんっ…あら、あなた、よく見れば噂の引きこもりオメガじゃないの。通りで世間知らずなわけね」
「ふーん…」
いや絶対最初からオメガだって気づいてただろ。なんだよ、よく見ればって
よく見なくても、男は俺だけなんだから一目でわかるだろ
心の中で悪態をつくが、声には出さず黙ったままでいる
こういうのは無視が1番いいのだ
煽られても怒りもせず、落ち着いた雰囲気を保つノアが気に入らないのか、彼女は捲し立てるように言う
「私が言いたいこと理解してますの?ああ、もしかして言葉がわからなくて?だから楽譜もまともに読めないのね!」
「はぁ…」
これ以上構っていても仕方ないので、ノアは一つため息を吐いた後、彼女達から目を背け再び楽譜に目を通す
それがまた癪に触ったのだろう
彼女の取り巻きの1人がノアの楽譜をいきなり取り上げた
「ちょっと、なんとか言いなさいよっ!」
ノアの手から取り巻きの1人に奪われた楽譜はあっという間に、ビリビリに破かれ見るも無残な姿になった
突然の取り巻きがとった大胆な行動に、普通なら驚くだろうが、残念ながら相手はこの僕だ
人生2週目の僕からしたらこんなテンプレ展開など、ありきたりすぎてもはや笑えてくる
吹き出しそうになるのを我慢し、深呼吸して、令嬢達をぐるりと見渡す
皆まだまだ幼いがきんちょだ
ここでガツンと言ってやるば少しは懲りるだろう
「ふ、ゴホンっ…ふふっ」
「な、何が面白いというの!?」
「ふふっ、すみません、こんなにわかりやすい嫌がらせは…ふっ、初めてでして」
「………っ!!」
ああどうしよう
ここでガツンと言ってやりたいのに笑いが止まらず、なかなか言い出せない
そんなノアの様子にボッと顔を真っ赤にして悔しがる令嬢達
案外こう言うのの方が彼女達には有効なのかもしれない
「…はっ、今のうちに強がっておきなさい!あんたなんか、パパに頼めばすぐに退学なんだから!」
「おや、面白いですね。できるものならやってみてほしいのですが」
ノアの父親は遠いとは言え王室の親戚であり、立場上王室の右腕を代々担っている家系だ。ヴァロナ家系より上の位にいるのは王室か、肩を並べるくらいのアルディアス家のどちらかしかいない
どちらの家系もご子息はいるものの、ご令嬢はいないはずなので、彼女はどちらでもないそこら辺の一般貴族のはずだ
そんな彼女の父親がノアの父親にできることなど、せいぜいごまをすることくらいだろう
おそらく彼女はノアがヴァロナ家であることは理解しているが、ノアが庶子であることを馬鹿にしているか、それとも本当に爵位の違いを理解できていないのか。
どちらにせよ、彼女はもう少し貴族社会を勉強した方がいいだろう
「生意気ね!これだから箱入りは…」
「女の子なら、もう少し淑やかにしたらどうです?これじゃあ駄々をこねる赤ん坊と大差ないですよ」
「な、なんですって!?」
その言葉がよほどムカついたのか、令嬢は顔を真っ赤にして声を荒げた
静かな教室にその声が響き渡り、皆が令嬢を見る
中には嘲笑うようにクスクスと目を細める者もいた
視線の嵐に耐えられなくなったのか、令嬢達はふるふると武者震いをしながらも
「…覚えておきなさい!!」
とまたもテンプレセリフを吐き捨てて元の席にいそいそと戻っていく
おそらくタイムリミットだ
令嬢が座った瞬間、ガチャリと扉が開かれ、教師が戻ってきた
おそらく彼女達は先生がいる間は猫を被り、見えないところで陰湿なイジメをする、クソガキみたいなものだ
つまり教師のそばにいれば安全ということだ
これからはなるべく先生の側にいようと、ノアは思ったのだった
チャイムがなり、選択授業の時間が終わる
わらわらと教室を出ていく生徒の中に、こちらを睨みつける視線を感じたが、ノアは気づかないふりをして、全員が教室を出終わってから立ち上がる
そして教卓で作業していた教師に挨拶をしに行った
「今日はありがとうございました」
「芸術学科はどうでしたか?見ての通りお行儀のいい子たちが集まっているので、静かな時間が好きならおすすめですよ」
先生はそういうとにこやかに笑った
なんだろう、悪い人ではないんだけどな
優しいと言うより、この人はあまり生徒に興味がないように見える
まあ剣術の教師のように無駄に突っかかって来るわけではないのでノアは助かるのだが、教師としては少し心配だ
だが、
「ここにします。これからよろしくお願いします。」
「あらほんと?とても嬉しいわ。よろしくね」
先生はまたにこやかに笑ってノアを見送った
「授業の方はいかがでしたか?」
「まあまあ」
教室の前で待機していたグレンが、ノアの手荷物を受け取りながら聞いてくるから、忖度せず正直に答えた
グレンはそんな素っ気ない返しにも嫌な顔せず、そうでしたか、と頷いてそれ以上は特に何も言わなかった
「魔法学の方はいかがなさいますか?」
「やらない、芸術に決めたから。それにそっちにはお兄様がいるし、会いたくない」
「左様でございますか」
やはりそれ以上は何も言わずに、グレンとノアは自室に戻った
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