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第12話
「ノア・ディ・ヴァロワはいるか」
講義中に突然、教室内にノアの名前が響き渡る
そこに生徒達が一斉に声のした方に視線を向けた
見るとそこにはノア達よりも高学年の青年が立っていた
呼ばれてしまっては仕方ないので、1番後ろの席に座っていたノアは、立ち上がり青年のところまで歩いて行った
「僕です。どうかしましたか?」
「生徒会長がお呼びだ。ついてこい」
青年は無愛想にノアに言った
ノアはムッとしたが、ここで騒ぎを起こすのも何だと思い、大人しく彼について行こうとしたが
「行くよ、グレン」
「従者は置いていけ」
2人についてこようとするグレンを見て顔を歪めた青年はそう言い放った
別にノアはグレンがいなくてもいいのだが、グレンはそうはいかないのだろう
「申し訳ございません。私は公爵様から、ノア様のお世話を仰せ使っております。決してお邪魔は致しません。どうかご理解をお願いします」
「…チッ、まあいい。1人じゃ何もできないおぼっちゃまだもんな」
「………」
グレンの同行を許しはしたが、腹いせにノアに当たってくる
なんだこの猿は
いちいち嫌味を言わないと死ぬ呪いにでもかかっているのか
ほぼ初対面でこれほどの言われようなのだから、ノアの噂話は良いものではないようだ
ムカつきはしたが、ノアは黙ってついて行った
向かう先はもちろん、生徒会長がいる生徒会室だろう
授業中に呼び出されるようなことをした覚えはないが、一体なんの用事だろうか
青年は生徒会室につくと、コンコンとノックをした
「連れてきました」
「入れ」
ドアの向こうから、声が聞こえてくる
ノアはその声を聞いて、違和感を覚えた
あれ、この声なんか、聞いたことがあるぞ
ノアが違和感に警戒する最中、青年はそんなことお構いなしにノアを半ば押し込むように生徒会室へ入れた
その際グレンは外で待つよう言われ、中に入ったのはノアと青年だけだった
そこは清潔なアンティークを基調にした部屋で、その中には生徒会の者と思える人が数人と、真ん中に見覚えのある顔があった
「そこに座れ」
ノアにそう指示してきたのは、学園に来る前に初対面した、あのアラン兄様だった
いや生徒会長ってお前かい。
優秀とは聞いていたが、最高学年を差し置いて貴方がなっていいものなのか
とはいえこの学園は実力主義
その分彼が優れているということなのだろう
指図されて癪ではあるが、他の生徒会の者も見ているので、大人しく指定された椅子に座る
長方形の机で、反対側に兄、その反対にノア
そしてノアを取り囲むように、他の生徒がじろじろと見てくるのだ
穏やかではない雰囲気から、少なくとも仲慎ましい兄弟話をするわけではないだろう
もし、退学を言い渡されてしまったらどうしよう
ノアは表面上冷静を装ったが、内心は冷や汗をかいていた
アランが口を開ける
ノアは今から言い渡されるであろう残酷な言葉に身構えたが
「お前、模擬試験で不正をしたな?」
「…へ?」
あまりに予想外な話で、ノアは腑抜けた声を出してしまった
てっきり退学を言い渡されるかと思ったから、構え過ぎて拍子抜けだ
ノアはとりあえず安堵し胸を撫で下ろすが
「なんだ、その腑抜けた声は」
「あ、いえ、すみませんつい…不正と申しますと?」
「フンッ、しらばっくれるか…さすがはオメガ。どこまでも卑しい奴め」
声を注意され謝るが、次に出てきた言葉はノアを侮辱するような、冷淡なものだった
それにノアは腹を立てる
下手に出てやれば偉そうに
それにこちらは聞いているのだから、勝手に話を進めないで欲しい
オメガだのなんだの言う前に、会話を成り立たせて欲しいものだ
「申し訳ないですけど、心当たりが全くないです。そちらの勘違いではありませんか?」
「俺が間違っていると?」
ノアの言葉に反応したアランは、眉を寄せ不快そうに言った
その場の空気が一瞬で凍り、他の生徒は緊張感を抱いたが、対するノアは一歳怖気付くことなく続けた
「はい。僕はしっかり自分の力で問題を解きました。第一、簡単な問題しか出ていないのですから、不正なんかする必要ないじゃないですか」
「…あなたまさか知らないのですか?」
「何をですか?」
ノアの言い振りを聞いて、それまで黙っていた隣の生徒が聞いてきたので、ノアは素直に首を傾げる
それを見た他生徒達は、ニヤニヤと下品に顔を歪め始めたのだ
「自分のミスを理解していない。馬鹿ですね」
「ええほんと。きっと問題内容も見ていないのよ」
クスクスと笑い合う声が部屋に響く
そんな様子を見てアランは得意気に笑っているが、それでもノアは理解ができなかった
ノアが嫌いなこと
それは自分だけ置いてきぼりにされることだ
そう、この状況こそ、ノアの嫌いな置いてきぼりだ
ノアは半ば自暴自棄になりながらも、アランに抗議するように言った
「証拠はあるのですか?」
「証拠?そんなもの必要ない。この答案用紙が何よりの証拠だ」
そう言ってペラリと取り出したのはノアの答案用紙だった
答案用紙は丸で埋め尽くされており、遠目でも満点だとわかった
「まだわかっていないようなので教えてあげます。これは、教授が間違えて生徒に配ったものなのです。この用紙は、元は上級魔術師の検定試験に使われるものでした。つまり、あなたみたいな頭の悪いオメガ、それも引きこもりに解けるような代物ではないんです」
そこまで言われてノアはやっと理解した
たしかにテスト中、授業で聞いたこともない問題しかなかった
その違和感はこれだったのか
通りで見覚えが無いわけだ
本物の答案用紙ではないんだから
テストの日、何やらざわついていたが、ノアは早々に教室を出たので、その後にその事実が話されたのだろう
だからノアは知らなかったのだ
そこまではノアも理解できた
でも、それでも不正の理由にはならないだろう
いくらノアがオメガだからって決めつけは良くない
確かに引きこもりだと言われても仕方ないが、そんな僕でさえ解けるような簡単な問題ばかりだった
さすがにそこまで落ちぶれていない
全く失礼な奴らだ
「そうでしたか。知りませんでした」
「ほら、やっぱりお前は…」
「ですが僕は不正なんてしてないです」
「まだ言うのか?全く、これだからオメガは…」
ノアはそうはっきりと言った
確かにちゃんと確認しなかったノアの責任でもあるが、やっていないことをやったと言うのは、やはり気分がよくない
それでもなんとかノアを不正者にしたいアラン達に呆れたノアは、なんとか潔白を証明できるものはないかと考えた時、あるものが目に止まった
「では埒が開かないのでこうしましょう。お兄様、チェスはお好きですか?」
「チェス?そうやって話を逸らして逃れようなど…」
「勝負しましょう。チェスでお兄様が勝ったら、僕は不正したことを認めましょう。その代わり、僕が勝ったらお願いをひとつ聞いてください」
「そんなことしなくとも、お前の不正はすでに決まったことだ」
「本当にそうですか?証拠がないと、きっとお父様は納得しませんよ」
ノアは思い切って提案して、アランは一度は断ったが、父親を出せば押し黙りノアを睨む
アランは悩んでいる
ノアはあともうひと押しと、さらに追い打ちをかけるように言った
「負けるのが怖いんですか?」
「なっ!?そんなわけないっ!俺がオメガに負けるなんて」
ノアは前世の記憶をそのまま次いでいるため、精神年齢は20代後半だが、アランはそうではない
相手はただのガキだ
少しおちょくってやれば、簡単に食いついてくる
対して他生徒はノアの魂胆を見抜いているのか、口々にアランを止めていたが、よほど父親を出汁にされてムカついたのだろう
「いいだろう。だがお前が負けたら即退学だ」
「会長、そこまでする必要なんてありません」
「お前は黙ってろ。直ぐに終わらせてやる」
ノアとアランの前にチェス版が広げられる
光沢のある高そうなチェス版に駒が並べられていく様は、この地獄のような空気感と対照的に、日に反射してキラキラしていた
「では始めましょう。先手はお兄様にお譲りします」
「生意気な。お前が先にやれ」
「そうですか、では、お言葉に甘えて。よろしくお願いします。お兄様」
そう言ってノアは最初の一手を前に出した
勝負の結果はもちろん
「そんな…俺がオメガなんかに…」
ノアの完全勝利だ
チェス版の上は言い訳もできぬほど圧勝で、側でみていた生徒達も、その成り行きを見ていたゆえか、悔しさに悶えるアランに誰も声をかけなかった
アランはまんまとノアの策略にハマり、そして負けたのだ
チェスはノアの得意なものの一つだ
幽閉されている間、ノアの暇つぶしと言えばこれくらいしかない
時間だけはたっぷりあったので、その間ノアはチェスを極限まで極めたのだ
お遊び程度でチェスをしてきたアランとは訳が違う
「では、約束通り僕の願いを聞いてくれますね?ここにいる全員、出ていってください」
「っ!なぜお前に指図されなきゃいけないんだっ!」
「では皆の前で土下座させられるところを見てもらいましょ。ね、お兄様?」
「…全員外に出ろ」
「ですが、アラン様!」
「いいから、出ていけっ!」
ノアに指示され不服そうにしていた生徒達も、アランに威圧的に言われてしまえばそそくさと部屋から出ていく
これでやっとノアとアランの2人きりとなった
ホッと息を吐くノアを、アランは横目で睨む
「…言っとくが土下座などしない」
「ああいえ、あれは言葉の綾と言いますか…とにかく土下座は興味ないです」
「では何が目的だ」
アランは怪しげにまたノアを睨む
そんなに警戒しなくてもいいのに、と、ノアは席に座り直すと、背を伸ばしてアランに向き直った
「単刀直入に言います。僕はその内ヴァロワ家から出ていく予定です。お兄様にはその手助けをしてもらいたい」
「なんだと…?」
ノアはまっすぐアランに向かってそう言ったが、アランはポカンと呆けてノアを見た
気にすることなくノアは続けた
「僕はもう、あの離れには戻りたくない…。貴方にとっても悪い話じゃないはずです」
「…少し待て、戻りたくないとはどう言うことだ?父上はお前が自分の意思で引きこもっているのだと…」
「嘘ですね。僕はあのクソ親父に無理に軟禁を強いられていたんです」
「クソ親父って…」
アランは困惑した様子で口元を手で覆う
どうやらアランはノアが自ら離れに引きこもっていたのだと思っていたようだ
おそらく、あの父親は息子にまで嘘をついていたらしい
ノアはほとほと呆れるが、今はその話は置いておくとしよう
「僕のこのチョーカーには高度な追跡魔法が掛かってます。残念ですが僕は魔力を持ってないので…でも魔術を極めるお兄様なら、解くことができるでしょう?」
「…ああ、可能だが…」
「あの、さっきっから微妙な反応してますけど、ちゃんと聞いてますか?」
「聞いている…お前の頼み事が予想の斜め上で驚いたんだ。もっと、他に…いや、なんでもない」
ノアの言葉に空返事をするアランを見て心配になったノアは聞くが、アランはどこか考え込んだようなふりをして見せた
まさか、できないなんて言わないよな
この話はアランにとっても悪い話じゃないはずだ
もともとアランは1人息子で両親ともに愛されて育つはずだったが、突然婚外子のノアが生まれたことより父の意識はノアに向けられ、愛情もそぞろになった
そのためアランはノアを憎んでいるはず
だからノアがヴァロワ家からいなくなるなら、本人も万々歳のはずだ
だからノアはアランにこの話を持ち出したのに、断られてしまったらどうしよう
ノアは不安気になりながらも、アランの様子を伺った
「わかった、協力しよう。だが、その後の事は知らん。後から取り消すなどと言うなよ」
「ええ、もちろんです」
「追跡魔法はいつ解けばいい」
「そうですね、僕の傍にはいつもグレンがいます。まずは彼の目を眩ませないと…それに関しては僕がなんとかしますので、少し時間を下さい」
グレンはあんな感じでも、父上の従者だ
ノアがここから抜け出そうとすれば、彼は父上に報告しなければいけない立場なのだ
だからまずはグレンからなんとかしないといけない
それについてはまだ考えが至ってないので焦ってはいけないのだ
ノアは交渉が成立した安堵から、手前に置いてあった茶菓子を勝手にとって食べた
その様子をアランは呆れ顔で見ていた
「にしてもお前は本当にあの試験を解いたのか?」
「本当ですよ」
「…にわかには信じられない。オメガは容量が悪いと昔から決まっている」
「そうですか…」
たった今、アランは知識戦でもあるチェスで負けたと言うのに、変わらずノアを疑っていた
ノアはその言葉に菓子を食べるのをやめ、少しばかり目を伏せた
アランの言っていることに間違いはない
オメガは昔から運動はできないし勉学には疎い
でもそれはアルファ達がオメガの可能性を潰してきたからではないだろうか
初めから劣等と決めつけ迫害してきたくせに、教養も受けさせてこなかった人間に、頭が悪いなどといちゃもんをつけられても困る
と、ノアは静かに悪態をつくが、そんなことこいつに言ったってどうにもならない
ノアはふぅ、と心を落ち着かせるために息を吐くが、なぜかその様子にアランは目を見張っていた
だがノアはそんなことには気づかず、またお菓子をポリポリと食べ始める
サクサクのクッキーはバターが効いていてとても美味しい
2枚、3枚をペロリと食べてからノアは話し始めた
「そうは言いますが、上級魔術師の検定試験とはいえ、基礎問題でしょ?他の生徒達もきっと解けたはずですよ。だってとても簡単でしたから」
「…なんだと?」
ノアの言葉にアランはポカンとしていた
呆然としたいのはこちらの方だ
なぜここまで言ってわからないのだろう
ノアは自分で説明しようと椅子から立ち上がると、紙を持つアランの隣まで歩いて行った
「いいですか、あちょっと貸してください。これとか、この問題、リュアラエル作の魔術本に書いてあったでしょ?ほら、249ページに。暗記すれば簡単ですよ。この問題はメトゥアの355ページに…」
「ちょっと待て、さっきから何を言っているんだ!?まさかお前、魔術本を全て暗記しているのか!?」
「だから、そう言っているでしょ」
「どの本も500ページはくだらない…それを暗記しただと?」
「…皆んなやっていることでしょ?…お兄様だって…」
「あんな分厚い本、読むので手一杯だ」
「………」
なるほど、ノアは今までこの世界のことを誤解していたようだ
ノアは生まれた時から本に囲まれて過ごしていたから本を読む機会が多かった
というか、それくらいしかやることがなかった
時間だけはたっぷりあったのと、前世にはない知識を得るのはとても楽しい
ノアは溶け込むように本を読んでいたが、ノア以外の人も当たり前に読んでいると思っていた
でもそうではないらしい
時間のほとんど、魔術本を読み漁っていたノアとは違い、アランはそれ以外にもやることはたくさんあった
ノアは生まれた時、なぜ自分にはチート能力がないのだと神を恨んだが、今思えば、前世の記憶を持ち合わせるだけで、十分チートになりうる
ノアはそのことをすっかり忘れていたのだ
アランは優秀な生徒だが、そのアランが驚くほどのことをノアはやってしまっている
どおりで話が通じないわけだ、謎が解けた
「なるほど、次から気をつけます」
「……」
次のテストはなるべく平均点を目指そうと1人決心するノアを、黙って睨むアラン
何か言いたげにしていたが、ノアは気にすることなくお菓子を両手いっぱいに掴み取ると、さっさと椅子から立ち上がった
「では僕はこれで。また何かあれば連絡します。まあ、しばらくはお互い関わらないでおきましょ」
「……ったく…おい、籠ごと持って行け」
「…?ありがとうございます」
お菓子を持ち過ぎてドアを開けるのに苦戦していると、見かねたアランは菓子が入っていた小さな籠をノアに渡した
初めてノアを気にかけるような素振りをされて、困惑しながらも籠を受け取る
落としそうだった菓子達が随分と持ちやすくなった
少し話してノアに情をかけてくれたのか、最初よりも態度が良い気がする
ノアは疑問風にお礼を言うと、そのまま流れるように部屋の外へ出された
外には先ほど出された生徒達が聞き耳を立てており、ノア達が現れて慌てたように姿勢を直していた
ノアは気にすることなく、外に待機していたグレンに菓子籠を渡し、授業に戻ろうと歩き始めた時、後ろからまた声をかけられた
「おい」
「はい」
「お前は…いや、いい。菓子がなくなったらまた来い」
いや、来ないけど
意味不明なことを言われたノアは反応に困り、とりあえず微笑みながら頭を下げてその場を離れた
おかしな人だな
ノアは今しがた別れた兄の顔を思い出す
父親の前であった時とは少し雰囲気が違い、生徒会の前となってか、かなり高圧的だった
でもノアに菓子を譲るあたり、元は世話焼きな性格なのだろうか
最後に物腰が柔らかくなったのは、ノアが父の話をしたからだろう
信じてくれたかはわからないが
ノアはグレンから手渡された菓子を頬張りながら、次の教室へ向かうのだった
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