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第13話
初めて弟に会ったのは、俺が10の時だ
父上と母上には離れには近づかないよう言われていたが、好奇心が勝り、誰にも気づかれぬよう離れに走った
警備は厳重だったが、子供の小さな体は見落としやすく、小さな隙間に潜り込めば簡単に入ることができた
離れの外は警戒されていたが、中は案外静かで、時おりメイド達が忙しそうにパタパタと走る音だけが響いていた
本邸とは雰囲気が異なるそこは、小さな箱庭と言った穏やかな空気が流れており、狭くとも庭園には美しい花や木々が生えていた
ずいぶんと手のかかった離れの様子を見て、俺はとにかく嫉妬した
自分には一切構ってくれない父上が足繁く通うこの場所は、なんとも居心地がいい
この箱庭の主人は相当気に入られているのだろうと
俺はそんな気持ちを一掃するように足早に離れを歩いた
最後にたどり着いたのは陽当たりの良さそうな豪華な部屋
派手な装飾と、綺麗な内装が妬ましい
その部屋の真ん中にポツンと1人、奴はいた
そいつは椅子があるのにわざわざ床で本を読んでおり、読み漁ったのか周りには本が散らばっていた
「おい」
少し様子を覗き見るだけのはずだったが、目的の人物を目前に、さらなる怒りを覚え、つい声をかけてしまった
父上の興味を根こそぎ奪っていった奴が、のうのうと本を読んでいることが許せなかったのだ
「………」
声をかけられた彼はなんの反応もせずにまた1枚、紙をめくった
無視されたことに腹を立てた俺は、そいつが持っていた本を掴み上げると、壁に向かって放り投げた
「無視すんじゃねぇよ」
俺はそいつの胸ぐらを乱暴に掴み上げた
床に座っていたそいつは無理に引き上げられ膝立ちになり、ようやく俺に視線を向けた
綺麗に切り揃えられた髪が揺れ、そいつの瞳が見える
碧眼は父親と同じなのに、髪色は母上とも父上とも違う、他の女の色を纏っていた
限りなく白に近いホワイトミルクの髪は、まるで空気に溶けるようにサラサラと揺れていた
俺はつい、見惚れてしまったのだ
「…怒られるよ」
目を見開き黙った俺に、奴はそう言った
彼が言っていることに間違いはない
来ては行けない場所に無断で入ってきた俺を咎めるように、静かに言った
胸ぐらを掴まれてもなお、怒りもせず、泣きもせず、落ち着いているこいつは7歳にしては大人び過ぎていた
だが当時子供ながらに俺は、その態度を生意気だ、と罵った
年も地位も俺の方が上なのに、背だって俺の方が高いのに、上から目線が気に食わなかったのだ
その後、物音を聞きつけたメイドが向かってくる気配がして、俺はその部屋から逃げた
それが弟に対しての、1番古い記憶だ
当時はむしゃくしゃしてたまらなかった
父上は何故、あんな生意気な奴に構うのだろうと、疑問に思った
だが、今になってから父上の気持ちが少しわかったような気がした
「お初にお目にかかります。アラン兄様」
目の前で礼儀正しく挨拶する彼は、6年の年月を経て、美しい少年へと成長していた
陽に照らされた髪が宝石のように輝き、アレンジされてクルクルとまとめられて、まるで女のようだ
碧眼の眼も、いつもより明るく感じる
だがその目はどこか生気を持たず、作り笑いで細められていた
6年前に会った時と、雰囲気が全く違う
あの生意気な姿はなく、父上に穏やかに微笑んでいる
だがやはり、態度はどこか他人行儀で距離を感じた
そして彼はお初にお目にかかると言った
彼の記憶に、俺のことなど残っていない
時間も経ち、お互い成長した後だから当たり前だと言うのに、何故かその事実を、少し残念に思ってしまった
そんな思いを隠すように、すぐさま踵を返して馬車に向かう
これ以上彼を見ていると、どうにかしてしまいそうだったからだ
「なんなんだ、いったい…」
心臓が痛い
病気か、はたまた彼に…
俺は誤魔化すように首を振った
認めてしまったら、もう、戻れないような気がしたのだ
その日からもうそいつとは会わなかった
学年も違えば、授業でも会わない
奴はオメガで魔力がないから、無難に芸術学科を選んだようだった
魔術に長けているヴァロワ家なら、もしかしたら、と思ったが見当違いだった
しばらく関わることはないだろう
そう思っていたのも束の間、俺の元にある知らせが届いた
「アラン君、これ、君の弟だよね?」
「…ええ…どうかしましたか?」
「いやぁね、この前の模擬試験、間違えて高等魔術試験の用紙を配っちゃったんだけど、これ見て」
そう言われて教師から渡されたのは、全問正解の答案用紙
名前欄には、正真正銘、弟の名が書かれていた
「おかしいんだよね、13歳がこんな問題を解けるなんて。それにほら、ここの計算式、見たこともない形式なんだよ」
そこまで言われて、教師の言わんとしていることが理解できた
「わかりました。兄である私が問い正して見せます」
「いやいや、そう気張らないで。たかが模擬試験だから…でも、もし本当にこの子の実力だとしたら…」
「あり得ません。あの愚弟は我家の恥です。それに、何があっても不正は許されません」
そう言って気弱な教師から半ば奪い取るように用紙を受け取る
教師はおろおろとしながらも、俺を止めることはしなかった
これがオメガの実力だと、認めるわけにはいかないのだ
俺は、父上に継ぐためだけに育てられた母上の元に生まれたからには、誰よりも優秀にならなければならない
優秀になり、父上に認められなければならない
それなのにたかがオメガに、それも、まともに教養も受けてこなかった引きこもりが、魔術試験を全問正解したなど、許させるはずがないのだ
俺はここまで血も滲むような努力をして、やっとここまで辿り着いたと言うのに、それをオメガたった1人に、努力を砂にされては困る
だからあのオメガに会ったら、何としても不正を認めさせなければならない
そう思っていたのに
「この問題、リュアラエル作の魔術本に書いてあったでしょ?ほら、249ページに。暗記すれば簡単ですよ。この問題はメトゥアの355ページに…」
行儀悪く菓子を頬袋に詰め込みながら、答案用紙を指差し呑気ながらも、圧倒的な知識を持って解説をする彼を見る
あの宝石のように艶の良い髪は、グレンがやったのだろう
長い髪は一つに三つ編みされており、彼が動くたびに肩の辺りをゆらゆらと揺れる
まるで催眠でもかけられたように、その揺れに目が釘付けになる
そんな俺に彼は気づいていない
俺のことなど、心底どうでもいいのだろう
先ほども、チェスに勝った際に頼まれた願いは、ヴァロワ家から自分の存在を消したいと、そんな頼みをされた
浅ましいオメガのことだからてっきり、金を寄越せだの、言うことを聞けだのあるいは…うなじを咬め、と
俺はアルファの中でもずば抜けて顔が良い
学内でも男女問わず大勢が参加するファンクラブが存在する
その中には生徒だけでなく、教師も参加するほどだ
血が繋がっているとはいえ、オメガとなればこれほど整った顔を見れば、何かしら反応するのが普通だろう
だがこのオメガは、まるで俺に興味を示さない
「では僕はこれで。また何かあれば連絡します。まあ、しばらくはお互い関わらないでおきましょ」
こいつは俺の顔を見ようともしない
目があったことなど一度もない
今だって彼が見ているのは、手元にある菓子にしか視線が向いていない
オメガのくせに、生意気な
別に奴に好かれたいわけじゃないはずなのに、その事実に苛立ちを覚えた
どうでもいいようにあしらわれていい気はしなかった
アルファでさえ見惚れる美貌が、このオメガには、通用しない
「お前は…いや、いい。菓子がなくなったらまた来い」
奴は話が終わると早々に去ろうとしたが、俺はそれを惜しいと思って引き止めてしまった
彼は面倒くさそうな顔をしつつも、お辞儀だけして、何も言わずに去っていった
学年も授業も違うのだから、今後は本当に関わることは少ないだろう
それこそ、彼の目的のために俺を利用する瞬間だけ顔を会わせることになるだろう
だが、俺は
ノアのことが、気になり始めていた
憎たらしいはずのあいつの、細い体つきと、他人を寄せ付けない雰囲気が、何故か不憫に思えてならない
彼がいなくなった今もなお、あの宝石のように美しい長髪を、なぜか忘れられずにいる
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