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第16話

「申し訳ございません。ノア様は体調を崩されてしまいまして、本日は欠席させていただきます」 今朝、ルイスはいつものようにノアの部屋まで迎えに行くと、ドア前で待機していた従者にそう言われた 昨日は普通そうにしていたが、ノアの目下のクマは酷かったので、いつ体調を崩してもなんらおかしくないだろう 「そうですか。それなら、挨拶だけして行きます」 「なりません」 「何故?」 ルイスはせっかく来たのだからと、一度様子見程度にノアに挨拶をしようと、ドアに手をかけると、遮るようにドアとルイスの間に従者が立ち塞がった 「…お手を煩わせるわけにはいきません。どうぞ、お気遣いなく」 「少し挨拶するだけだ。何をそんなに邪魔をするんですか?」 「不調がルイス様にも移るやもしれません。そうなってはノア様も悲しみます。ご理解ください」 なぜそうもルイスをノアに会わせようとしないのか 従者は言葉遣いは下手に来るが、一向に譲る気はないようだ ルイスは苛立ちから無理にドアノブに手を伸ばすと、その手をパシッと掴まれた 決して強くないが、頑固たる意志が感じられた 「どうぞ、お気遣いなく」 「………」 再び断りを言われ、これ以上固執するとよく思われないと、一旦引き下がることにした 掴まれた手を振り払うように逃れると、従者はにこやかに頭を下げた 邪魔だな、あいつ ルイスはその場から足早に去りながらそう思った あの目つきからして、従者はルイスの本質を暴いている だから弱ったノアの前にルイスを招くことはしない だがノアには話していないようだ ルイスのことについて 「あれ、ルイスじゃん」 食堂にて、固まっている集団に近づくと、1人が親しげにルイスの名を呼んだ 集団が座っているのは食堂の人が寄りつかない席 以前ルイスがノアに、カースト上位が座る席だと説明した場所だ しかしルイスは慣れた様子で彼の隣に座る すると周りにいた奴らも、興味津々でルイスに質問を投げた 「お姫様はどうした?お前いい感じなんだって?」 「昨日、食堂前でプロポーズされたってマジ?」 「今日はなんでいないんだ?まさか…ヒートか?」 次々と投げられる質問と、ふざけたような言い振りに、ルイスは鼻で笑う 皆気になって仕方ないらしい ノアとルイスの進捗に 「そう焦らないで。プロポーズはデマだよ。今日は体調不良でいない、ヒートかどうかは…知らないけど」 ルイスは持ってきた食事に手をつけながら言う それはいつもノアと取る食事とは、比べものにならないほど高級食材が並んでいた 「まあでも、いい感じではあるね。順調に懐いてくれてるよ。昨日は剣術を教えてくれって頼まれたよ」 「剣術?ははっ、オメガが剣術なんて馬鹿みてぇだな」 ルイスの言葉を聞いて周りはゲラゲラと笑う 世辞にも貴族とは言い難い下品な笑い方で、隠そうともしないその態度は食堂の中に大いに響いた 「愚かで可愛いじゃないか。俺は好きだな」 ルイスはそんな彼らを咎めることもせず、淡々と話す すると大笑いしていた1人が片眉を上げて嬉しそうに言った 「いいな。早く俺らにもマワしてくれよ。オメガって番えばこっちのもんだろ?」 「誰が1番に妊娠させられるか賭けようぜ」 「うわ、サイテー」 彼らはまた笑い出す そんな彼らをルイスは冷めた目で見ていた ルイスは彼らと特別仲がいいと思ったことはないが、なんとなくという曖昧な感覚で一緒にいることが多い だが彼らはルイスを気に入っているらしく、時々声をかけられる その時は話を合わせてやるのがルイスの日常だった その関係が少し変わったのはルイスが令嬢に告白されてからだ 「わたくし、あなたのことが好きなの…」 令嬢はルイスの一つ上の学園で、接点なんてありもしない それでも顔を赤くしながらもルイスの返事を待つ彼女を見て、ルイスは酷く哀れに思ったものだ 「えーもったいね。じゃあさ、俺らにくれよ」 その様子を影で見ていたのか、いつも通り彼らが茶化してきたため、断ろうと考えていることを伝えると、彼らは口々にそう言った 意地汚い彼らのことだ 自分のものより他人のものが欲しくなるのだろう 普通なら断るだろう だがルイスは名案だと思った ルイスは言われるがまま令嬢を空き部屋まで連れてきて、後は彼らに任せた その後、彼女を学園内で見たことはないが、面倒なことがなくなりルイスの心は晴れやかだった 他人に興味を持たず、干渉してくる人間を避けるのがルイスの素の性格だ 彼らもそれをわかっている ハイエナのような彼らは、人の本質を見るのは得意なようで、ルイスには声をかけても構いすぎないよう徹底しているようだ ルイスは面倒がなくなり、彼らは女が手に入る そうやってこの良好な関係を続けている そして今回も、彼らは新入生のノアに目をつけた だが、ノアと彼らには接点がない このままではノアは手に入れられないと悟った彼らは、何を思ったのかノアの案内役としてルイスを推薦したのだ してやられたと思った 一線を超えた彼らから、今後は距離を置こうかと考えた たが、そんな思いも1日目にして消え去った 「ふーん、よっぽど彼らは暇なんだね。見るからにおつむが悪そうだけど、ここの学業は彼らが暇を持て余すほど簡単なのかな」 オメガと言えば、控えめで気弱、そういうイメージがあった だがノアを見て、それはただの先入観であったと思い知らされた ノアはいくつも年上の、自分より背の高いアルファにも歯向かっていく だがヴァロワ家の肩書きを乱用しているわけでもない 自分の立場を弁えて、それでいて自信がありふれていた 小さな体で胸を張る姿は、威嚇する猫のようで、世間は生意気だと言うが、ルイスは可愛らしいと思った ある意味ギャップ落ちだ 綺麗な出立ちなのに口が悪い これほど面白いものはないだろう だから、ノアを彼らにすぐ渡すような、もったいないことはしない ハイエナ共はノアを手に入れられると信じて疑わないようだが、そう簡単にはいかせない ルイスは彼らに売られたのだ それを無かったことにするほど、ルイスは優しくない まずは存分に楽しむことにした ノアに飽きたら彼らに渡せばいい だから、それまでは —————————————————— 「ノア様、喉は乾いていませんか?」 「大丈夫」 「苦しいところはございますか?」 「大丈夫」 「何か必要なものは…」 「あのさ、うるさいよ。大丈夫だから」 昨日、色々ありすぎたせいか、ノアは体調を崩してしまった 熱は治まりつつあるが、それでもグレンは心配そうにノアにあれやこれやと聞いてくる おかげで読んでいる本には集中できやしない 「本は後ほどにして、少し休まれてはいかがですか?」 「嫌だ、たくさん寝たから、もう眠くない」 グレンは心配性だ 確かに朝は吐き気があったが、今はそれほどでもない それよりも今読んでいる本の展開の方が気になる せっかく休みなのだから、有効活用しなければもったいないだろう 「そう言わず、さあ」 「ちょっ、ねえ!返して!」 グレンは言うことを聞かないノアに、少し強気で本をひょいっと奪い取った ノアは苛立ち声を張るが、グワンと目が周り、ふらりと体を揺らした 「ああっ、ノア様!ご無理はいけません」 グレンはそう言って、真っ青な顔をしたノアの肩を押し、無理矢理ベッドに寝かせる その時体が熱いことに気がついたのか、何か冷やすものを、と言って慌てて部屋を出て行った 部屋に1人残されたノアは、目眩が治るまでぼーっと天井を見ていた 最近、貧血の症状が多くなってきた 今日のこともあるし、体調も崩しやすい どこか本調子じゃない体に、ノアは何かしらの変化を遂げていると考えた そう、ヒートが近いのではないか ノアはヒートになったことはないが、これほどアルファと距離が近い学園では、疎いノアの体も、やっと成熟したオメガへと成長しようとしている ここで出てくる問題は2つ ノアがヒートになった場合、アルファからは逃げられない だがこの問題はノアの首についたチョーカーが解決してくれる 例え襲われたとしても、頸さえ噛まれなければ問題ない そして、ノアに何かしらの異変があれば、グレンが迅速に対処するだろう もう一つの問題は、ノアの初ヒートを迎えた場合、父上はノアを離れに戻そうとするはずだ 元々ノアが学園に来た理由として、アルファと触れ合うことでホルモンバランスを調整し、ヒートを迎えることが最大の目的だ つまりノアがヒートを迎えてしまえば学園にいる必要はなくなってしまう 父上は真っ先にノアをまた軟禁しようとするだろう それだけは避けたい そのためには、グレンにヒートが来たことを悟られてはいけない でもそんなことは不可能だ グレンは四六時中ノアを見張っている ヒートは約1週間にも及ぶため、隠すのは無理だろう ならばどうするか、簡単な話だ 「抑制剤。ヒートが来なくなるくらい、強力なものが必要だな…」 まずまずとして、ヒートが来なければいいのだ この世界にもオメガ用の抑制剤は存在する 言わば女性用のピルのようなもので、使用すればヒートをずらす事が可能だ だが、ノアは抑制剤を持っていない ノアは学園から出ることは許されていないため、買いに行くこともできない グレンに言ってしまえば、ヒートが来たと自主するようなものだ 今まで気合いでなんとか目を逸らしていたが、体の状態を見るに、もうそんなに時間はない 「なんとかしなくちゃ…」 とはいえ何もいい解決策が思い浮かばないノアは、枕に頭を摺り寄せることしかできないのだった ————コンコン————— 「誰だ」 突然、部屋のドアをノックする音が響き渡る こんな夜更けに尋ねてくるなど、一体どこの無礼者だ アランは手元にあった短剣を手に握る ドアから距離を取り、一度ドアの向こう側にいる奴が誰なのか、確かめるために声を出した 「…夜分にすみません…アラン兄様」 「…ノアか?」 すると、意外な人物の声がして、とたんにアランは握っていた短剣をベッドに放り投げた ドアを開けると、そこにはボロボロの姿をしたノアの姿があった よく見ると服装は寝衣のままで、靴も履いておらず裸足だった 服は乱れまだ成長しきらない幼なげな肩が覗く姿は、あまり外に出れるような服装とは言い難い なぜこんな時間に、そんな格好で、などと問いただすこともできたが、とりあえずアランはノアを部屋の中へと招き入れた アランはノアに適当に腰掛けるよう言ったが、ノアはそれを断った あくまで長居するつもりはないようだ 「………」 「………」 互いに沈黙になる 何か話があるから来たのだろうに、なかなか言い出さないノア もじもじと足を擦り寄せて、言いづらそうに口を尖らせていた なかなか言い出さないノアに痺れを切らし、結局アランから口を開いたのだった 「今日は欠席したそうだな。体調はどうだ」 「良好です」 「そうか。それで、こんな時間に何の用だ?」 機械みたいな返事をしたノアにアランは間髪入れずそう聞いた 少し狼狽えた表情を見せたものの、覚悟を決めたのか、ノアは背を伸ばし抑揚のない声で言った 「お願いがあります」 「ほう。なんだ」 「お、オメガ用の、抑制剤が、欲しい、です」 「俺に用意しろと?」 「…はい」 なんだ、そんなことか ノアが頼み事など、相当なことだと思っていたが、案外簡単なもので拍子抜けだ 確かにこの国は医療が発展しきっていないため抑制剤は高価なものだ だが貴族の財力があれば1人分の抑制剤など動作もない ノアがアランに頼まなければいけない理由は、グレンや父上にバレてはいけないため、一応協力関係にあるアランに頼むのが妥当だからだ 秘密裏に抑制剤を持ってこいと言うことだろう 「もちろん、借りは返します。僕にできることであれば」 「何でも?」 「何でもではないです。調子に乗らないでください」 ノアが下手に出るのが面白く、少し茶化してみたが本人は大層お怒りだ 冗談だ、と軽く手をひらひらと振るが、相変わらずノアの警戒は解けない 会った時からそうだったが、ノアはいつもアランと距離を取る 自分から尋ねて来たくせに、頑なに関わりたくないといったオーラを醸し出している 堅苦しい態度のノアは、借りは返す、などとほざくが、アランは別に気にしていない だが、この堅物を思い通りにできるのは面白そうだ ここは一つ、恩を売るのが最適だろう 「そうだな、借りの件は考えておく。とりあえず抑制剤だな」 「ありがとうございます。なるべく強力なものを」 「わかった。用意しておく。…それにしてもなぜこんな時間に、そんな格好で」 話がまとまったところで、アランは1番気になっていたことを聞いた そんな話であれば、今度の首輪調査の時にでも言えばよかろうに ノアはそう聞かれ、再びもじもじと足を摺り寄せた 「…急ぎだったんです。初ヒートは突然と聞きますから、なるべく早く安泰が取れればと」 「なぜそんなに汚れているんだ?」 アランは聞きながら、ノアの頭に手を伸ばす 突然のことにノアはビクッと体を震わせ、跳ねるように距離を取った 離れたアランの手には、青々とした植物の葉が握られていた 「…グレンに気づかれぬよう、窓から外に出ました」 「…お前の部屋は確か3階だよな?」 「下に生垣があるんです。だから、大丈夫かなと」 「飛び降りたのか」 「はい」 アランは言葉を失う 体は小さいくせに、やることは大胆で無茶ばかりだ 植物だってノアを受け止めるには不向きである 枝が体に刺さりでもしたらどうするつもりなのか こういうことばかりはノアは頭が足りない アランは呆れからか、額に手を置き、大きくため息をついた 「…もうそんな無茶をするな。1人で出歩くのもダメだ。帰りは送ろう」 「いえ、グレンに気づかれてはいけませんから」 「もう手遅れだと思うが?」 アランのその言葉に、まるで連動するかのようにコンコン、とドアがノックされた 「アラン様、グレンでございます。夜分に大変失礼ですが、こちらにノア様はいらっしゃいますか?」 「っ、」 ノアはバッとドアを振り返る 向こうからは紛れもないグレンの声がした どうしてここに 来る前にしっかりと寝ていることを確認したし、窓から出る時も細心の注意を払った ノアはハッとして自身の首に巻かれたチョーカーに触れる まさか、グレンから一定距離を離れた場合も知らせがいくのだろうか そこまでは加味していなかったノアは多いに焦った どうすればいいかわからず、ノアはアランを見るがアランは呆れたように、ほらな、と言ったような顔でノアを見ていた 慌てるノアを他所に、アランはなんともない態度でドアを開けた 「来ているが」 「ああ、よかった。心配しましたよ、ノア様」 ドアの隙間からひょこっと覗き、ノアの無事を確認するグレン 一方ノアはバクバクと心臓を鳴らしていた どう言い訳する? 夢遊病…いやいや、こんな意識がハッキリしているのに、今更芝居を打つのは無理がある 悶々と考えているノアを、アランは乱暴に押し退けてグレンに突き返した そして 「グレン、コイツをよくしつけろ。こんな時間に本を寄越せと騒ぐのはやめさせろ」 「あ、えっと」 「ノア様、先ほど本を取り上げたからといって、アラン様に迷惑をかけてはなりません。それにこんな時間に1人で出歩くなど」 「ご、ごめんなさい」 ノアは一瞬ポカンとしたが、アランが話を合わせてくれたのだと理解した ノアよりもグレンの世話を受けていた期間が長いアランは、彼の交わし方を熟知しているようだ グレンの背後で指をピッと2本立てて、貸しは2だ、と口を動かすアランにムカつきはしたが、グッと堪える ノアがいなくなったことに、グレンはよほど腹を立てており、引きずるられるように部屋に戻ると、すぐに説教が始まった とりあえず詳しいことは誤魔化せたノアはホッと胸を撫で下ろすが、グレンの説教モードは止まらず、部屋に戻ってからもしばらく続いたのだった

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