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第17話

「ああ、ノア」 「おはようございます。ルイス先輩」 今朝、前日存分に寝た影響で、早起きしてしまったノアは、たまには自分から行くのもいいだろうと、思い切ってルイスの部屋に迎えに行った 上級生どもはノアを見るなり奇怪な顔をして、妙な圧をかけられながらも無事にルイスの部屋までたどり着くことができた ドアをノックし出てきたのは、身支度が終わらずボサボサの髪にパジャマ姿のルイス…ではなく、しっかりと制服に着替え髪もきっちりセットされたルイスが出てきた オフの姿を見てみたいと思って早めにきたが、当てが外れたらしい 少し残念に思いながらも、ノアは笑顔で彼に挨拶をした 「今日は早いんだね。昨日は休みだったみたいだけど、気分はどう?しっかり休めたかい?」 「おかげさまで、元気になりました」 「よかった。それにしても君の方から迎えにきてくれるなんて、珍しいこともあるんだね」 「たまには、いいかなって、へへ…」 慣れない事をするのは、やはり気恥ずかしいもので、ノアは照れくさそうににへっと笑って答えた ルイスは目を丸くしたが、それもほんの一瞬ですぐにいつもの笑顔に戻った 「ありがとう。準備するから、よかったら部屋で待っててよ」 ルイスはそう言ってドアを開けてノアを招き入れようとした 瞬間、彼の部屋から濃厚なアルファの匂いがノアの鼻をつく 部屋、アルファの部屋。 生活の中で最もプライベートな空間であり、もちろんその分気も緩む オメガ共にアルファはリラックスしている時に特に匂いを発す これは動物で言うと、匂いの強い空間は彼らの縄張りを表しており、そこに親族でもないオメガを招き入れるのは、つまり、そう言うことだ 別に彼がアルファだということを忘れていたわけではない ただ、それくらいは察してくれればいいのに、と少し残念に思った もちろん押しかけたのはノアの方だし、廊下で待たせるのは良くないと、気を遣ってのことだろうから、別に怒りもしない こればかりは価値観と、特性の違いから起きる、仕方のない事だった 「いえ、遠慮します」 ノアはキッパリとそう言った ルイスはその反応に少し驚いたような顔をしたが、すぐに申し訳なさそうな顔をした 「…ああ、ごめん、配慮が足りなかったよ」 「大丈夫です。悪気はなかったのでしょう?」 「もちろんだよ。でも、悲しいな。君は友達なのに部屋にも入れられないなんて」 「気にしないでください。部屋じゃなくても、僕はここで待ってますから」 あまり気にしてないように言ったつもりだったが、ルイスはスッと目を細めた 柔らかな彼の雰囲気が、刺すような冷ややかなものに変わったような気がして、ノアは怒らせてしまっただろうかと、一瞬焦ったが 「わかったよ。すぐに準備するから」 先と同様、やはりすぐに元に戻って、穏やかな笑顔を向けられた やはり気のせいだろうか 優しいルイス先輩のことだ そんなこと、あるはずないだろうとノアは気を切り替え、準備を終えたルイスと共に登校の道を歩いた 1日ぶりだからだろうか いつもより会話が弾んで楽しい そして病み上がりのノアを気にしてか、あるいは話の内容があまりに盛り上がったためか、ルイスはノアの教室まで付き添ってくれた 「じゃあ、また昼食どきに」 「あの、ルイス先輩」 手を振り去ろうとするルイスの背をノアは呼び止めた 「今日、放課後、空いてますか…?」 「空いてるよ。剣術?」 「はい!剣術を」 「いいよ。開けておくから」 「ありがとうございます」 ノアは嬉しそうに微笑みながら、ルイスと別れた 今日こそ待ちに待った剣を握れる 男のロマン!希望!夢そのもの! 前回は機会に恵まれなかったが、今度こそは絶対に剣を握ってやる 前世でも学校の修学旅行で掴んだ木刀を思い出す 少々値は張るが、整った美しい曲線を描くそれに、当時は多大な興味をそそられたものだ もちろん、ノアも買った 持ってきた小遣いを全てその木刀一本に注ぎ込んだ 散々母親に怒られた記憶があるが、今度は木刀ではなく本物の剣を握ることになるなど、転生した中で一番嬉しい事実だ ノアは放課後に向けて爛々と心踊らせた 「随分と、あのお方に気を許しているようですね」 「別に。友達なんだから、いいじゃん」 「…左様でございますか」 ワクワクを隠しきれない様子のノアに、グレンはそんな事を言った ノアの対人関係に今まで口を挟まなかったグレンが、珍しくそんな事を言うものだから、少々不思議に思ったが、ノアは気にせずありのままの気持ちを答えた グレンは特に文句もなく、いつも通りの態度で流す 何か伝えたかったのか、それともただの雑談のつもりだったのかはわからないが、グレンのことだから必要になれば自分から言うだろうと、その場は気にすることはなかった 午後の選択授業が終わり、いざ、放課後へ 向かうは使われなくなった旧訓練場 特に古ぼけた感じはないが、年々増える剣術科に追いつくように新しい訓練場を設立した際、使われなくなったそうな 本来はノアのような非剣術者は安全のために使用許可と付き添いが必要だが、今回はルイスが一緒なのと、グレンが付き添っているので、それは免除された 「お待たせしました」 「俺も今来たところさ」 訓練場に着くと、そこにはもうルイスがいて、剣の手入れをしているところだった 「それがルイス先輩の剣…特注ですか?」 「そうだよ。僕は短剣と長剣の間よりちょっと長めのものを使っていて、力よりは細工が得意だから、軽めで作られている」 「へぇ、面白いです。見てもいいですか?」 「どうぞ、気をつけてね」 ルイスから手渡された剣を慎重に受け取ったが、 「ゔっ!」 「大丈夫!?」 ルイスの手からノアの手に移った瞬間、剣は重力に従って地面まっしぐらに落ちて行く そう、重すぎた ノアの筋力ではこの剣を保つほどの力がなかったのだ だが、ノアは人様の剣を地面に打ちつけてはいけないと、咄嗟に刃に手を伸ばそうとしたが 「ノア様!!」 遠くで見ていたグレンが叫んだことで、ノアは思いとどまり出した手を引っ込めた あ、危なかった つい掴もうと手を伸ばしてしまったが、これは本剣 実際に物を切るために想定された剣は、人の手に当たればパックリ一気にいくだろう それを考えてノアはバクバクと心臓を鳴らす 本当に、グレンが止めてくれてよかった じゃなければノアの手はもうここにはなかったかもしれないと。 剣先はそのままコンッと音を立てて地面に突き当たる 「ご、ごめんなさい、思ったより重くて…」 「それより、触ってない?どこも怪我してないかい?」 ノアは慌てて謝る 地面は土で、衝撃をうまく吸ってくれたのか刃こぼれはしなかったことに、ノアは安堵した 特注なら尚更、同じものを作るのは難しいかもしれない それなのにノアの注意が足りなかったことに強く反省した だがルイスは剣よりもノアの手をあちこち見やる 自分のことより、人を心配できるなんて、なんていい先輩なんだ ノアは申し訳なく思いながらも、ルイスの優しさをしみじみ感じた 一連を見ていたグレンは、ノアに駆け寄ってグローブを渡してきた いつもなら大丈夫、問題ない、と突き返すところだが、今の出来事で思い知ったノアはいそいそとグローブを受け取った 「お気をつけ下さい」 「わかってる…ごめん」 ノアが素直に謝ると、グレンはまた待機位置に戻っていった 気を取り直して、ノアはルイスの剣を観察する ルイスの剣は長くもなく短くもない丁度いいサイズだった 「グリップが細くて返しやすいですね。それになんだか、少し曲がってる?重心が先にあるように感じます」 「よくわかったね。ほんの少しだけ先に重心を傾けているんだ。そうした方が、急な方向転換に対応しやすい。曲がっているのは、細工に耐えられるように柔らかい素材を使っているんだ」 ノアが感想を言うと、ルイスは一つ一つ丁寧に説明をする スポーツはやる前にまず理解から それを体現してあのデタラメな教師よりも丁寧に教えてくれた 「次は実際に振ってみよう。本剣は重いだろうから、まずは木剣で」 大方説明が終わると、今度は実践。 ということで、実際に木剣を振ってみるのだが、これがまた重くて大変だった ルイスもここまでとは思っていなかったらしく、数回振るだけで汗だくになるノアを見て苦笑いをしていた 「…僕、ちゃんと筋トレします」 「ははっ、最初は皆んなこんなものさ。焦らずやればいい」 「うーん、オメガ用のもう少し軽い物があればなぁ」 「短剣もあるよ?」 「嫌です」 「どうして?」 「長い方が、カッコいいでしょ?」 もちろん短剣にも興味はなくはないが、やっぱり男のロマンは、かつての歴史書に乗っているような長剣を持った偉人たち やはり目指すはそこだろう そして、できるできない以前に、やはりこうやって運動できるのは良いことだ むしろ重い方が良い運動になる 軟禁されていた時はやる気が出なかったし、人生に楽しみを見出すことが出来なかった だからこそ、こうやって誰かと話しながら剣術ができることに有り難みを感じなければならない そんなノアが正直に言った言葉に、ルイスはどこか気に入らない様子だった 「なんだか、羨ましいな。気楽そうで」 冷たく言い放たれた言葉に、ノアは剣を振っていた手を止めた そして、ルイスの方を見やる ルイスは俯きどこか思い詰めた表情だった だがノアの目線に気づき、慌てたように謝り始める 「…ごめん、今の言い方は酷かった」 「いえ。何か悩みでも?」 「わからない…ただ、本当に、羨ましいと思ってしまったんだ」 ルイスは申し訳なさそうに言いながら微笑んだ そこで、ノアも自分の失態に気づく ルイスや剣術化の生徒は、将来剣士になるために、剣術に本気で取り組んでいる 朝から晩まで、手に豆が出来るほど努力しても、優秀な剣士になれる逸材はごく僅か。 だから皆必死で剣を振る 将来のため、夢のため、努力するのだ。 そんなルイスの貴重な時間を使って置いて、カッコいいから、運動になるからなどと舐め腐ったことを抜かすノアは、ルイスたちからしたら相当ムカつくだろう 自分の無神経さに今更ながらに気づいて、無意識のうちにノアは言い訳を口走っていた 「先輩は、オメガが将来どうなるか知ってますか?」 「…え、それは…」 「嫁ぐんですよ。オメガの産むアルファは優秀な者が多いですから、特にそれを必要とする…例えば王家とか」 言い訳せずにすぐに謝れば良いものを、口に出してしまうと、案外止まらないもので、今までノアが感じてきた不安、恐れとしてきた、可能性ある最悪の未来が次々と紡がれた ノアが貴族という真柄から逃げ出したい理由の一つだった 「嫁ぐと言っても、正式に嫁にはなれないんです。ただ子供が欲しいだけですから、産んだ後はだいたい王家に監禁されます」 「ノア…」 生々しい話になるが、実際、この国はそうやって成り立ってきた オメガはヒートが始まり子が産めるようになると、王族に開け渡すことが多い ただでさえ何もできないオメガには、そうやって利用価値をつけなければならないからだ それでオメガが子を産んでも、その子供は王妃の子として育てられる そしてそれは、民には知られてはいけない 王族に実は全く関係のない家系の血が流れていると知られれば、民の不安を煽り、反感を買いかねない だからその証拠となってしまうオメガを監禁したり、他国に売り飛ばしたり、時には殺すこともあるらしい だがたとえ生かされたとて王家からは出られない 一度孕んでしまえば、城から出ることは絶対に許されない 息を殺し、誰にも知られず、最後まで孤独に死にゆくのだ どちらにせよオメガの将来はそんなものしかない 特にノアのような、貴族間に生まれ、教養が備わっているならなおさら王家は欲しがるだろう 自由なんてとんでもない このまま生きたとて、結局最後は子を産む道具として扱われるだけだからだ 「だから僕は、本気になっちゃいけないんです。希望を見出しちゃうと、堕ちた時に、苦しいですから…言い訳みたいになっちゃいますけど」 「………」 ノアは、自分自身が今どんな顔をしているのかわからなかった 悲しそう?苦しそう? なんにせよ、この場の雰囲気が重苦しくなってしまったことに変わりない ルイスは相変わらず俯いたままノアの話を聞いていて、それは距離を置いたところで聞いていたグレンも同じような反応をしていた そんな空気に耐えられず、ノアはおどけるようにパッと笑って言った 「この話、内緒ですよ?公にできるような内容じゃないので、バレたら不敬にされちゃいます」 そう言ってイタズラに笑って、しーっと人差し指を唇に当てた その様子を見て、2人の表情は幾分か和らいだ気がする この話をしたからと言って、気を遣って欲しいのではなく、できればこのままこの関係を続けたい お互いなんの苦悩もなく、友人らしく仲良くしたい それがノアの思いだった そして、例えオメガの行末がそんなものだとしても、ノアは諦めたりしない そんな最悪の未来を覆すために、現在進行形でアランと脱出の計画を練っているのだから 消して後ろ向きなわけではない ただ、計画が失敗した時のことを考えて、今ある時間をなるべく大切にしたいのだ 後悔が残らぬよう、たくさん挑戦して、経験して、学んでいきたいと。 「なんだかシラけちゃいました。今日はこの辺で終わりましょうか」 「…待って、ノア」 帰り支度を始めたノアの手を、ルイスはパッと掴んだ 衝動的に距離が近くなって、自然と目が合った 彼の目からは後悔と、懸念の色が滲んでいた 「悪気は、なかったんだ」 「わかってますよ」 「本当に、酷いことを言った」 「先輩、そんな顔しないで下さい。僕はあなたの重荷になりたくない」 ノアからすれば、ルイスの方が羨ましい 自由さえ与えられないノアと、将来を背負うルイスは対極にある だから、お互い羨ましいと思うのは当然のことだ だったらこれからはそんな意思違いが起こらないように、理解を深めたらいい 大変なのはノアもルイスも同じこと 大事なのは互いに尊重し合うことだ 人生の中での貴重な日々を使って、しっかり青春するのが、本来子供があるべき姿なのだから こんなことで気を病んでいては、時間が勿体無いだろう 「僕も無神経なことを言いました、すみません。箱入りなもので。許してください」 目が合う彼の頬を両手で掴む 泥だらけの手がまっさらな肌につき、ルイスの両頬に手型がくっきりと浮き上がった そのイタズラに気づいたルイスは、頬をぬぐいながら、なんとも言えない笑みを浮かべた 「君ってやつは…そうだな、もうやめよう」 「はい。また明日、先輩を迎えに行っていいですか?」 「いや、俺が行くよ」 「僕が迎えに来るのは嫌なんですか?」 「違うよ。俺がそうしたいのさ」 それに、君は早起きが苦手だろ?と言われてしまっては、ノアも頷くしかなかった 重苦しい空気が幾分かマシになって、2人は帰り支度を始めた 全て片付け終わると、ちょうど夕食時だからどうせなら、と言うことで、身支度を整えて夕食を共にする約束をした 昼食は何度も共にしているのが、夕食は初めてなので少しワクワクしている まずは着替えなければいけないので一旦部屋に戻ることにした ノアは東側3階、ルイスは西側2階なので中央階段で一度別れ、急ぎ足で部屋に向かった 「先程のお話は、事実でございますか」 部屋まで続く廊下を歩いている最中不意に、グレンが声をかけてきた 先程の話、と言うと訓練場で話した嫁ぐ話だろう グレンは従者であれど平民で、そのような事を聞くのは初めてだったのだろう グレンは酷く悲しそうな顔をしていた 王家の血筋が、実は汚れていました。なんて、いきなり聞かされたら不安に思うのもわかる でも、この国をより良くするためには、優秀なアルファが必要だ そして、オメガが正式な妻として迎えられないのも理解している このやり方が一番合理的なのだ。仕方ない事。 もちろん、だからと言ってオメガを足蹴にしていい理由にはならないが 「秘密だよ。暴乱が起こりかねないから」 「どなたから、伺ったお話ですか」 珍しく食い気味に聞いてくるグレン おそらく、そんな事実は確証が無いあたりは信じたくないんだろう それなら信じて貰わなくても構わない これは、ノアが赤子の頃に父の話し声を盗み聞きした内容だ 実は前世の記憶を持っていて、生後3ヶ月で言語を理解していましたと そんな事誰にも言えるわけないので黙るしかないが、どうせグレンもそのうち父から口止めとして大金をもらう事になるだろうから、早めにその事実を伝えたまでだ 「言えない、言いたくない」 「…申し訳ございません」 塞ぎ込むノアに、グレンはこれ以上突っ込んではこなかった 正直どう誤魔化そうか悩んでいたために、大変有り難い ノアは暗い顔をするグレンをよそに、夕食のメニューはどんなものがあるのかと、ルンルンで心躍らせていた 「あらまぁ、ノアちゃん!珍しいわねぇ」 食堂にて この時間に来るのは初めてなので、食堂のおばちゃんは驚いていた 前世でも高校の食堂に通っていたため使い慣れているが、おばちゃんの雰囲気は世界を超えても共通なのか、貴族ばかりのこの場所では唯一のノアの癒しだ おばちゃんもなかなか食の細いノアを心配してか、いつもあれやこれやと特別扱いで可愛がってくれる アルファに愛でられるのはムカつくが、こういうのは、悪くない 「こんばんは。ご飯少なめで揚げ物なしがいい」 「はいはい、来ると思わなくてデザートなくってねぇ…」 「昼間もらったから、いらないよ」 「そうねぇ、あっ!お菓子あるわよ」 そう言っておばちゃんのポッケから出てきたのは、平民伝統の砂糖菓子 これまた世界共通か、おばちゃんあるあるで、だいたい出てくるのは何味かわからないちょっと風情を感じるお菓子なんだなぁ、と微笑ましく思う ノアが普段口にするスイーツとは全く競り合わないものだが、それでもノアは笑いながら受け取った 「ありがと」 そう言って笑うとおばちゃんは嬉しそうに頬を赤らめる 魅力的な男性を前にしているというよりは、孫を見ているような、そんな反応だ ノアは軟禁生活では女性のメイドとしか関わらなかったおかげか、男性よりも女性、貴族よりも平民のほうが接しやすい 近くにいた同じ学年のやつも、こんなに笑うノアは初めて見たと、驚愕の顔をしていたことに、本人は気づいていない 食事を受け取ると、いつもの席にルイスと向かった 昼間とは雰囲気が違う食堂はまるでレストランのようで、人数も昼間より多い 席に座る奴もところどころ初めて見た生徒が多かった と、ノアはある場所に目を見やる 昼間は空席のその場所 以前、ルイスに座らないよう忠告を受けた場所に、5、6人の集団生徒が、ゲラゲラと声を上げて笑っているのが見えた まあ、ああいうやつ前世にもいたが、貴族の中で見たのは初めてだな 特になんとも思わないためか、初見としてはそんな感想しかでなかった 少し見過ぎたか、集団の1人と目が合った 切れ長な目が、さらに細められる 上から下まで舐め回すように見られた気がして、背筋が粟だったノアは早々に席に歩いた 「奴らには近づかないようにね」 そんなノアにルイスも気づいていたのか小さく耳打ちしてくる 言われなくても、関わりたくない そう思っている最中、もっと面倒な奴に絡まれるとは思わなかった 「ノア」 嫌な声がして、ノアはまだ噛み切れてないまあまあの大きさのフルーツを、喉奥に押し込んでしまう くんっ、と喉がなり咽せる一方で、声の主は関係ないように、ノアを指摘した 「タイが曲がってる、直せ」 「…アラン兄様、なぜここに」 後ろを向くと数人の生徒会を連れた、アランの姿があった なるほど、この時間だとコイツらがいるのか でも何故にここにいるのだ? 生徒会専用の食事部屋は隣のはずだが、わざわざここにいる理由はなんなのだろうか それに目立つから、そんなに大人数連れて立ち止まらないで欲しいのにと、タイを正しながらノアは疑問に思った 「またソイツと連んでいるのか」 「僕が誰といようと、あなたには関係ないでしょう」 と、理由を聞いても華麗にスルーされ、仕舞いにはアランは隣で座るルイスに目を向けた また始まった 別に本人がいる前でそんなこと言わないでいいだろうと、ノアは睨みを効かせながらアランを見やるが、当の本人は、ノアではなくルイスを見ていた ムカつくが何かと思いノアもルイスを見やる 彼は失礼なことを言われても、全く気にしていないそぶりだった というか、完全に無視を決め込んでいる この前はアランに礼儀正しい挨拶をしていたくせに、今は本当に、アランの姿が見えないような反応だ そんな様子を見てノアはポカンとほおけてしまった 「ノア、行儀悪いよ」 「…はい」 さらには兄に向かって腕を組み威嚇するノアを、まるで子供のように叱る ノアが素直に組んだ腕を膝に下ろすと、いい子だね、と微笑んで頭を撫でられた アランを無いものとして扱うルイスを前に、ここまで華麗なスルーをされた挙句さらに仲の良いところを見せつけるようにされると、流石に癪に触るのか、アランの眉間には皺が寄っていた おお、効いてる効いてる アランの反応を見て、ノアはあまりの滑稽さに少し気分がよかったが、それで終わらせる気はないアランは、負けじとノアに突っかかって来るのだ 「お前、なんだこれは」 「っ!ちょっと、返して下さい!」 「こんなよくわからんものを口にするのか?」 アランが次に目をつけたのは、食後に食べようと思っていた、おばちゃんのお菓子だった アランはまるで汚いもののように摘み上げると、周りの連中に見せつけるように宙に掲げた ノアは慌てて立ち上がり取り返そうと手を伸ばすが、もちろん届くはずもない 「平民の食べ物なんて、意地汚い」 「見ろよ、必死だぜ」 「滑稽だわ」 先とは立場が逆転し、追い討ちをかけるようにアランの取り巻きがノアを馬鹿にし始める すると先陣に後押されるように、食堂の様々なところからノアを嘲笑う声が上がった マジでムカつく、ここにいる奴ら全員ぶん殴りたい せっかくおばちゃんがノアだけのためにくれたお菓子に口出して、挙句人から取り上げるなどと、意地汚いのはどっちだと言いたい ここは大人であるグレンに助けて貰いたいところだが、こういう子供のやりとりにチャチを入れないことを約束として、ノアの傍にいることを許されているため、止めようにも口出すことができないのだ 現に何もしないにせよ、不安そうに見守ることしかできないグレンの姿が端にある だから誰にも助けてもらえない 自分でなんとかしなければいけない中、そろそろ本気で脛を蹴ろうか考えた時、アランの手から、ひょいっと美しい所作で菓子が取り上げられた 「いい加減にしたらどうです?」 見ると、先程まで無視を決め込んでいたルイスがついに立ち上がり、アランの手から取った菓子を、自然な手つきでノアに返す だが目線は睨め付けるようにアランを見ていて、ノアと目が合うことはなかった アランとルイスが向き合う中、先程までうるさくしていた外野がゴクリと喉を鳴らす その顔は蒼白していて、まるで乱闘が起きる寸前のような雰囲気がその場に漂っていた 「礼儀がなっていないな」 「見てわかりませんか?食事中です。礼儀がないのはどちらですか」 アランは突き刺すような視線でルイスを睨むが、ルイスは全く動じず、堂々たる態度でアランのノアの間に割って入った まるで庇うように立ち塞がるルイスを見て、ノアは関心した ルイスの家は侯爵、ヴァロワ家は公爵と、雲泥とはいかないがそれなりの地位の差はある それでも怖気付くわけでもなく、さらに他人のためにここまで口答えするなどと、かなり度胸がいることだ 同じ家系のノアでさえ、地位の差がある兄には強く反抗できないというのに、ルイスが自分のために怒ってくれているのだと思うと、なんだか感慨深くなる ばちばちと火花が散りそうなくらい睨み合う2人を見て、大事になる前にそろそろ止めた方がいいだろうと、ノアが口をひいた瞬間、どこからともなく間抜けた声が響いた 「なにか、お困りデスかぁ?」 語尾が伸びていて鼻につくその声は、ノアたちの後方からかけられた ノアを含め、その場の全員がその声の主に注目する 見るとそれは、あの怪しい集団の1人で、先ほどノアと目が合った人物だった タイの色的にルイスと同学年であろう彼は、座っていた腰をのっそりと上げ、ゆっくりとした足取りでノアたちに近づいてくる 今更首を突っ込んでどうするつもりだろうか、とノアは不思議に思ったが、対するアランの顔は不快そうに歪められていた 「お前には関係ないだろう。まさか、文句を言いに来たのか?」 「滅相もない!私ごとき恐れ多い…ですがここは食事処。お困りでしたら、助け合うのが筋でしょう?何か必要なものでもありましたらぁ、なんでもご用意いたしますよぉ?」 彼の細い目は、相変わらず三日月型に笑っていて少し不気味だ 喋り方も相まってとてつもない異質感がある なんだこいつ、何しに来たんだ ヴァロワに刃向かったところでいいことなどない わざわざ面倒なことに首を突っ込むようなタイプには見えないし、全く面識のない彼の行動にノアは疑問に思った だが、そんな思いとは裏腹に、アランの顔は歪められる一方だ 何か苦虫を噛み潰したような顔をして、奴を睨んでいた 「…行くぞ」 「おや、問題は解決しましたかぁ?」 「失せろ、ハイエナめが」 口調は粗いものの意外にもアランは、彼の存在を目の前にして急に戦意を喪失させたようで、取り巻きたちを連れてその場から去っていた なぜにアランはこの男を避けるようにしていなくなったのか 家柄も学年もアランの方が上だし、この男自体に特別なことはなさそうに思えるのだが 「問題解決したんなら、俺はお暇しなくちゃねぇ」 疑問に思っていたノアを他所に、男はまたゆったりとした口調でそう言った 離れ際、またノアを睨め回すように見やるが、その視線はすぐにルイスに向けられる 「どうも、お邪魔しましたぁ」 「………」 まるで思ってなさそにそう口にする男は、ルイスに向かってにぃ、と気味の悪い笑顔を向けて、またあのうるさい集団の中へと帰っていった 「お知り合いですか?」 「…いや、全く」 2人の雰囲気が、なんとなくそんな感じがして聞いてみたが、ルイスは不快そうに眉を寄せながら言った 気のせいだったのだろう おそらく同じ学年というだけで関わりはあまりなさそうだし ノアは少しホッとする 助けてくれたのかはわからないが、彼のおかげでこの場は収まった とはいえあの目つきと、人を見下すような態度が気に入らない そんな彼とルイスが知り合いだったのなら、あまりいい気はしない なんだか背筋に嫌な汗が伝いそうな目つきは、衝動的に嫌な気持ちになる 前世でもああいうタイプには近づかない方がいいと社会で教わった アランが避ける理由もこれなのかもしれない なんだか人間の闇を感じる場面だったな ノアは複雑な気持ちを抱えつつ、何事もなかったかのように食事を再開するルイスの隣に座ってノアもまた食べ始める 「さっきはありがとうございました」 「いいよ。ごめんね、僕も強く言える立場じゃないんだけど」 「ふふ、かっこよかったですよ」 「っ、そっ、そっか…そう思ってくれたなら嬉しいよ…」 先程ノアを庇ってくれたことに御礼を言うと、照れているのかドギマギと言う反応をされた 今日も何かと色々あったが、なんだかルイスとの距離がぐんと縮まった気がする それに伴って前よりルイスが人間じみた表情を見せてくれるようになったことが嬉しかった いつもシャンとしていて余裕のある顔が、照れているのを見るのは面白い 色々あったが、悪いことばかりではなかったなと、おばちゃんがくれたお菓子を頬張りながらそう思った

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