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第18話

「おはようノア」 翌日、宣言通りルイスはノアの部屋まで迎えに来てくれた しかし準備が遅いノアは、やはりルイスを廊下に待たせるしかなかった 「すみません、遅れました」 「大丈夫だよ、あ…」 ノアが慌ててルイスの元に急ぐと、彼はいつもの清々しい笑顔を向けながら、ノアの頭に手を伸ばした 突然のことにノアはピクッと肩を揺らしたが、その手はサッサッとノアの頭をかすめて離れて行った 「寝癖、ついてる。意外と寝相悪い?」 「…そんなことないですよ。枕が悪いんです」 最速誤魔化すように目を逸らすノアの言葉に、はいはい、とまるで信じてなさそうに返事をするルイスに、頬を膨らませて1日が始まった たった数分の道のりをルイスと共に歩いてすぐに別れる わざわざこの数分のために毎日迎えに来てくれるルイスは、将来きっといい騎士になるだろう 授業中はそんなくだらないことを考えながらペンを回していた 相変わらず授業内容は退屈で、友達のいないノアは1人寂しく本に目を向ける 教師はとてもおおらかな人が担当で、ノアが授業に関係ない本を読んでいたとしても、咎めることなくスルーしてくれるのでありがたい 「ノアくん」 「…はい」 「今日の授業はどうだった?」 「はぁ、まぁ、普通ですけど」 「そうか!普通か!はっはっはっ」 授業後、ノアの席までわざわざやってきて、毎回このように何かしら声をかけてるが、結局意図はわからないまま去っていく おそらく、ノアの取るノートを盗み見ているのだろうが、あの一瞬で何がわかると言うのだろうか ジロジロ見られるのも嫌で、最近は教師が来る前に、授業が終わるとすぐに教室を出るようにしている 「はあ…」 「お疲れですか?」 「まあね」 心配そうに顔を覗いてくるグレンに素っ気なく返す 今は、他人のことを気にしていられる気分じゃない 「ご気分が優れないようでしたら、今日のアラン様との御夕食は中止致しましょうか?」 前回の事もあってか、グレンは頼みを断ることを覚えたらしい せっかくそっちから言い出してくれたのだから、気兼ねなく辞めたいと言いたいが、これは後回しにはできない事だ ノアは憂鬱な気分と一緒にため息を吐きながら、嫌々といった雰囲気で首を振った 「…大丈夫…」 もちろん大丈夫ではない返答に、グレンも狼狽えていたが、本人が言うならと、それ以上は突っ込んで来なかった 嫌な気分。 昨日の食堂の事といい、アランと顔を合わせるのは本当に面倒だった こんな事ならもう、夕食以外で話しかけないでと、お願いしてしまおうか 何か小言を言われるに違いないが、向こうもノアを嫌っているみたいだし、変な意地を張らずお互いストレスフリーでやっていった方が遥かに良いだろうに 「来たか」 「遅れて申し訳ありません」 今夜はまたアランと2人で夕食を取る 会釈程度の挨拶を済ませて、サッと食事を済ませた 前回のことを気にしてか、ノアに出される食事の量は見るからに減っていた そんな事をしたら、またアランに何か言われるんだろうな、と思っていたが、意外にもアランは何も言わなかった 「グレン、外せ」 「はい。ノア様、どうかご無理なさらないよう」 グレンはアランの指示に従い、ノアの顔色を確認してから、カートを押して出て行った グレンって物凄く過保護だな 前々から思っていたが、彼の過保護っぷりが以前よりも増している気がするが、どうなのだろうか そんな事を思いながらノアは手に取ったフォークで、スイーツをつつく 今日のデザートはいちごタルト 前回は腹がいっぱいで食べる気にならなかったが、今日は余裕がある 甘酸っぱいソースとサクサクの生地を頬張るノアを見て、アランが口元を緩めた気がしたが、きっと気のせいだろう 「さて、やるか」 タルトを半分ほど食べた頃、アランが徐に立ち上がる それを見てノアは急いでタルトを掻き込もうとするが、アランはそれを止めた 「そのままでいい」 「ですが、んむっ、はしたないです」 「口いっぱいに詰めて何言ってる。首輪を見るだけなのだから、そう気にするな」 「ちょ、ちょっと待ってください。今飲み込みますから…」 急ぎ食べたせいで、喉に詰まらせるノアに、アランは肩をすくめて言うが、対するノアはそんなアランを停止するように待て、のジェスチャーをする いやいや、アンタじゃなくて、僕が気にするんだけど チョーカーを見ている時に食べたしまえば、僅かでも咀嚼音や、嚥下する様子が見られてしまうだろう それは少し恥ずかしい 結局ノアは食べることを諦めてフォークをテーブルに置いた 「はい、どうぞ」 「…お前は全く、可愛げがないな」 「はい?」 何か嫌味のような言葉を聞いてノアは眉を顰めるが、アランは何事もなかったかのように、ノアのチョーカーの観察を始めた 彼がチョーカーに触れた瞬間、ヴンッと振動が首を走る 前回と違ってピリピリと痺れるような感覚が伝わってきて、ノアは驚き目を見開いた 「少し我慢しろ。すぐに終わる」 そんなノアに気付いたのか、アランは宥めるように言った その言葉にノアも大人しく従う 動くことが出来ない退屈な時間は、目の前のティーカップから出る湯気をじっと見ていればすぐに終わった 「以上だ」 「はい。ありがとうございます」 「あと2、3回すれば、なんとか魔法は解けるだろう」 「そうですか。案外早く終わりそうで、よかったです」 数分の短い時間が終わり、ノアのチョーカーから手を離す ピリピリとした感覚がくすぐったく感じていたので、アランが手を離した途端、チョーカーをカチャカチャとイジって違和感を消した 残り2、3回と考えると、心が軽くなる ホッと溜め息を吐いたノアを、アランは椅子の背もたれに手を置きながらじぃっと見つめていた 「あの、この前話した…」 「ああ、抑制剤か?あるぞ」 そんなアランに、ノアは不思議に思いながらも、ここに来た第二の目的のことを聞いた アランはハッと思い出したかのように、制服の胸ポケットから薬箱を取り出した ノアはそれを受け取り中身を見る 箱自体は小さいが、中にはびっしり抑制剤と思われる錠剤が入っており、ノアは安心して顔を緩めた これほどあれば、しばらく大丈夫だろう 「ありがとうございます」 「なるべく強い物を選んだが、その分副作用も強い。1日1錠だ、いいな」 「わかりました」 ノアはアランの言葉を聞き流しながら、薬箱を大切にポケットに入れる グレンにバレないよう、隠し持っておかなければ 話を聞いてるのか聞いてないのか怪しいノアに、アランは訝しげな表情だった 「それで、借りの話だが」 「ああ、はい、僕にできることであれば」 薬が手に入って気分上場だったが、アランの言葉にスンッと緩んだ顔が元に戻る 全てを待ち合わせたアランが、果たしてノアを必要とする機会はあるのだろうか どうせロクでもないことを言われるのだろうかと、ノアは身構えた 「毎年学園は、この時期になるとパーティを開く」 「ああ、慣例のパーティですね。確か参加の可否は自由でしたよね。僕は行かない予定ですが」 「いや、お前にも参加してもらう」 この話が持ち出された時、何となく嫌な予感がしていたが、まさかパーティに参加させることが目的か? なぜノアがパーティに参加すると、アランに利益があるのだろうか そんな疑問は、次のアランの言葉で消え去った 「毎年面倒なのだ。エスコートだの、ダンスだの、大勢に誘われて嫌になる」 「はあ、参加しなければいいのでは?」 「生徒会は強制参加だ。特に今年は第二皇子は卒業年のため、必ず参加するはず。外すわけにいかないのだ」 第二皇子と言えば、普段は忙しすぎて学園に来ないが、正式場は在籍していることになっている 後々ややこしくならないためだ だがそんな彼も行事毎には積極的に参加しているようで、このパーティもその中に含まれるようだ ヴァロワ家は王族と関わることが多いので、顔を合わせることは必須事項 次期公爵のアランはパーティにて皇子に挨拶せねばならないのだろう 「なるほど、それは仕方ないですね…でも、僕が参加する意味とは?」 「察しが悪いな。俺はお前をエスコートするつもりだ。身内なら、女どもの醜い争いも見なくて済む」 「いや、いやいや、身内とはいえ、僕は男ですよ?」 「オメガだろう?お前は。何か問題が?」 男が男をエスコートするなど、おかしいことこの上ない ノアはそう思っていたが、逆にアランはキョトンとした顔で言い放つ ああ、そっか こっちの世界では、男だろうがオメガなら、女性のように扱われるのが基本なのだ 前世では第二の性なんて存在しなかった 多少は多様性などで完璧に別れることはなかったが、それでも基本的に女と男が常識の世界だった ノアは前世のように男として生まれたし、今世も男として生きていきたい でも、第二の性の存在はかなり大きいのだ 例えノアが女性のように扱われて腑に落ちなくても、それがこちらの常識なのだ こっちに来て、その事実には未だに慣れることができない 「ああ…そうか…僕はオメガなのか…」 「どうした?」 「…いえ、なんでも」 歯切れの悪いノアにアランはまた訝しげに見つめた どうにも納得がいっていないような、ショックを受けているような、ノアはそんな顔をしていたのだ 「そんなに俺のエスコートが嫌か?」 「嫌と言えばそうですが…まぁ僕が言い始めたことですし、エスコートを受けるだけなら…」 ノアは言いながらポケットにしまった薬箱を取り出して、そっと握りしめる この借りは、抑制剤の代わりだ 確かに断りたい気持ちでいっぱいだが、それでやっぱり返せと言われても困るし、そうでないにしろ、いずれは借しを返さねばならない 多少のリスクがあっても、1日の、それも数時間で終わる頼みであればコスパは良い ノアはアランの条件に嫌々頷いた 一方アランは、キッパリとノアに嫌だと言われてムッとした顔をする この学園でファンを持つほど人気のアランが、自ら誘ってやったと言うのに、目の前のオメガは不服そうな顔をする 毎年何十、何百の女性がアランの隣に立とうと競い合っていると言うのに、このオメガは喜ぶどころか嫌そうに顔を歪めるのだ こんな扱いをされたアランは苛立ちと、同時に虚しさを覚え始める コイツは本当に、俺に興味がないのだと こんなちゃらんぽらんな奴にたどう思われたって構わない アランの人生をめちゃくちゃにしたコイツが、心底憎らしい そう思っていたはずなのに、ノアの態度を目の当たりにした今、アランは何故か心にモヤがかかったように息苦しく感じた 「ですが問題があります」 「…なんだ」 「エスコートは受け入れます。登場から退室まで一緒にいて下さい。ですが僕はダンスは受け入れません。あくまでエスコートのみです」 未だ不機嫌なアランにお構いなしにノアは条件を課した 強く意思表示するためにピッと立てた人差し指に、アランはまた眉を顰めたのだった 「何故だ?お前がやれば面倒ごとが減ると言うのに」 「踊れないんですよ、僕」 「問題ない。俺がサポートしてやる」 「いえいえそんな、本当に壊滅的なんですよ。踊れないどころじゃないんです。もはや妨害に近いんですよ。本当に」 少し強気になるアランに対し、ノアはこれでもかとダンスの下手さを強調する ちなみに、ノアのダンスが壊滅的なのは事実だ これは前世でも今世でも経験済みなので間違いない それにエスコートと一緒にダンスまで受け入れて仕舞えば、そこらのご令嬢は黙っていないだろう 確かにアランの思惑通り女子同士の争いは減る それでもそのヘイトは全てノアに向かうだろう ただでさえ疎まれているのに、これ以上反感を買いたくない ノアはそんな思いからアランに負けじと言葉を発するが、それでもアランは折れてはくれない 「できないのなら、その抑制剤はお預けだな」 「それは…ず、ずるいです!僕が断れないのを良いことに…っ」 「お前が言い出したんだ、借りは返すと」 確かに、それを言い出したのはノアだ でも今はその言葉を言ってしまったことをとてつもなく後悔している 後先考えず出まかせに物事を測るのがノアの悪い癖だ その癖が今、ノアを苦しめている 何も言い返せずおろおろと、薬箱とアランを交互に見やるノアを見て、アランは勝ち誇ったように腕を組んだ 「一曲だけでいい。踊り終えたら自由にしてて構わない」 「うぅ、ですが…」 「やるのか、やらないのか」 ノアの迷いに追い討ちをかけるようにアランは返答を急かす それがよりノアを焦らせ、さらに悩ませた これを断ったら抑制剤が取り上げられる 今から他の人に頼むのは、ノアの体が持つかどうか そもそも、この人以外に頼めるような人などノアは知らない だけどもダンスは踊りたくない この人と踊るなら尚更だ ノアは深く考え込み、逡巡してたどり着いた答えは、やはりアランの思惑通りに頷くしかなかったのだ 「わかりました…やります」 「そうか、グレンには俺から話す。パーティは2週間後だ。ダンスの練習をしておけ」 これは不可抗力。本当に仕方なくだ。 ノアの決死の判断を、アランはたったそれだけで返す この人にとっては、ノアが令嬢たちに恨まれようと、ダンスでヘマして笑われようと関係のないことだ だからそんな事が言えるのだ あー、やだな、この人。 ノアの心は次第に憂鬱になる よくない想像はすぐにでも思い浮かんで、これから起こりうる想定内の不幸、不安がノアの頭に広がっていく もちろん当日も嫌だが、2週間もこんなことで悩まなければならないと考えると、とさらに心は沈んだ 「拗ねてるのか?」 「いいえ…」 「…わかってる。お前が考えているようにはしないから、心配するな」 そう言ってアランはノアの頭に手を置くと、ぐしゃぐしゃと乱雑に掻き乱した 「やめてくださいっ、もう、帰ります」 「ああ、また来週に」 ノアのわかりやすい反応にアランは嬉しそうに目を細める その様子は前世にいた、事あるごとにノアをからかってきた近所のお兄さんに似ていた その時もどれほど嫌だ嫌だと言ってもソイツはノアに絡み続けた 嫌なこと思い出したな… ノアの不機嫌は誰がどう見ても明らかで、それはアランと別れた後もずっと続いた 「グレン、本読みたい」 「もう遅いですよ」 部屋に戻って寝支度を整えても、嫌な気持ちは消えず、なかなか寝付けない グレンにダメ元で頼んでみるが、やはり返ってくる答えはノアの思い通りにはならない それがまたむしゃくしゃして堪らなかった 「…何か悩み事が?」 「いや、もういい」 「ノア様」 本が手に入らないなら、もう話す必要もない 拗ねるようにグレンに背を向けシーツを被る だが突然にも、ノアを宥めるようにグレンは優しく、子供に語りかけるように話し始めるのだ 「私は知っています。ノア様が毎晩悪魔にうなされていることも、悩み事が多くお疲れなことも…アルファがお嫌いなことも」 「………」 突然何を言い出すのかと、ノアはシーツから頭を出しグレンを見やる 彼の顔はいつも通り、人当たりの良い微笑みを浮かべていた それでもノアが違和感を覚えるくらいには、グレンの声は冷たく、でも優しく、ノアに向かって問いかける 「…私に何か、隠し事があるのでしょう?」 「…べつに…」 一瞬心臓が凍りつきそうになるも、平静を装ってみるが、おそらく意味はない 隠し事が得意ではないノアの言動などを見て、グレンは何かを感じ取ったのだ ノアはチラリとタンスを見る グレンの目を盗んで、抑制剤を隠した場所だ さて、どう言い訳するか ノアの頭はその事だけでいっぱいになる グレンのような聡明な大人に、ノアの言い訳がはたして通じるのかどうか ぐるぐると考え込むノアだったが、なぜだかグレンはその様子を見て、優しげにフッと笑って見せた 「いいのですよ」 「…え…」 「無理して言わずとも、私は貴方様にお支えいたします。いずれノア様からお話ししてくださることを、私は待つだけでございます」 グレンはそう言ってノアがいるベッドの横に跪く そしてそのまま、ノアを包み込むように抱きしめた 急に感じる人の体温にノアは固まる こっちの世界で、誰かとハグするようなこと赤子以来で、久しぶりの感覚にどうしていいのかわからなかった 大人の体は簡単に、ノアをすっぽり包む 満遍なく伝わるグレンの感触、匂い それらをどう受け止めていいか、それとも拒絶していいのか、それすらもわからなくなってしまった 普通、従者が許可なく主人に触れることは不敬に当たる 抱きつくなどもってのほかで、その事実をグレンが知らないわけがない それでもグレンがこうしてノアに抱きついているのは、それはノアを軽んじている訳ではなく、むしろノアを大事に思っての行動なのだろう 普段から鈍感なノアは、こう言う時に限って、その事に気づいてしまう 人の、裏のない優しさに触れてしまうと、どうにもノアは困惑してしまうのだ ベータの匂いは、アルファと違って包容力があった アルファの匂いは主張が強く、脳に直接流れ込んで来るような、強い匂いだ ノアはそれが酷く嫌だった 自分の思考を支配されてしまうようで、とにかく嫌悪を感じていたのだ でも、ベータの匂いは違う アルファとオメガの匂いに埋もれて気づかないが、彼らも微弱に匂いを発してる それは澄んでいてノアを快く包み込み、暖かく浸透していく そしてその匂いに翻弄されてしまうのは、ノアが今、酷く疲れているからだろうか 「ノア様は、よく頑張っておられます。ですがどうか、1人で抱え込まないで下さい。お願いです」 「………」 何も言わないノアに、まるで懇願するように囁くグレン 顔が見えなくなってしまった今、その声は聞いてるこっちまで切なくなるような、そんな声だった グレンの言葉を聞いても、ノアはやはり困惑していた 突然にもそんな事を言われて、悩まない人の方が少ないだろう グレンは父に仕える従者で、ノアの傍にいるのは一時的なものだ はたしてそんな男を、ノアは信用していいのだろうか ベータの匂いが鼻を掠める中、ノアは必死に考える この男に、ノアの気持ちを曝け出していいのか 思いのまま、この背中に手を回してもいいのだろうか 暖かい彼の体温に触れることを、ノアは望んでいる 「…あつ、ぃ……」 「…申し訳ございません」 しばしの沈黙の間 宙を彷徨うノアの手は、結局グレンの背に触れることはなかった 代わりにノアはグレンの厚い胸板を控えめに押す 強く抱きしめられていたはずの腕は、ノアに拒絶された瞬間、あっさりと離れて行った 初夏に差し掛かるこの時期は、やっぱり少し暑く感じてしまって、グレンが離れると密着していて熱った場所に、冷気が入って涼しくなる 涼しい方が、良いはずなのに、ノアは離れた体温を恋しく思ってしまった だが、今やもう他人の体温などそこには存在しない 抱きしめられた圧迫感がなくなり快適になったはずのノアは、ただただ虚無感を抱いてやまないのだ 「もう遅いです。どうかゆっくり、お休み下さい」 「………」 離れた時にはグレンはいつも通りの調子に戻っていて、固まるノアをベッドに横たわらせた 先ほどの切ない声も、歪な表情もそこにはない それでもノアは少しだけ罪悪感を抱いてしまったのだ グレンを信用できないノアを、グレンは薄情だと思っただろう でも、彼は父の忠実な執事だ それは必然的に、ノアの敵という立ち位置にいる 信用できない、してはならない それでもやはり、グレンがいなくなった後も、あの感覚を忘れられずにいる 欲望に赴くまま、グレンと同じように強く腕を回したのなら、ノアの人生は変わっていたのだろうか ノアの気持ちは救われただろうか ねぇグレン 僕はいったい、どうすればよかったの?

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