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第19話
今日も変わらずルイスと共に授業に向かう
日課になった他愛もない話をしてから、お互い別れて教室に向かった
授業内容はやはり退屈で、持っていたペンでカリカリとノートの端に落書きをしていた
「それは、クマかね?」
「…猫です」
「猫か。興味深いね」
「あの、早く授業戻ってくれます?」
いつの間にか隣に立っていた教師に声をかけられるが、落書きを注意することもせず、ただただノアのノートを盗み見し始めたので、それはそれで居心地が悪い
他の生徒も見ているのでやめて欲しい
恥ずかしさからか、鬱陶しさからか、ノアはそっぽを向いて嫌な顔をする
それでも教師は蓄えた髭を揺らして、愉快そうに笑うのだ
「芸術学科と聞いたが、いやはや、私には理解できない領域だ」
「僕は音響芸術です。絵は描きません」
「際か。だが、センスがあると思うがね?」
「もういいでしょう、揶揄うのはよしてください」
ノアがうんざり言うと、教師はイタズラに笑いながら授業に戻る
周りの視線が痛い
あの教師、たった今嫌いになった
意地でも授業以外で関わるものか
ノアはムカムカする胸を抑えて教科書に向き直る
どれも前世で中学生ほどに習ったものを思い出せば簡単に解けるような内容だ
頬杖を付きながらサラサラと答えを書き記して顔を伏せる
早く終わればいいのに
そしたら、急いで荷物をまとめて、またルイスに剣術を教えて貰えるのだから
ノアは退屈で眠くなるような教師の声を背景に、ただぼーっと、描いた落書きを眺めて時間を潰すのだ
……ゴーン……
授業が終わることを示す金がなった瞬間、ノアは勢いよく立ち上がる
授業終わり数分前に、荷物をまとめて準備万端にするのは、学生あるあるだろう
誰よりも早く教室の扉を開けると、そこには見覚えのある顔が待ち構えていた
「やあ、奇遇だねぇ」
たしか、ハイエナと呼ばれていた集団にいたやつだ
以前アランと揉めている時に助けてもらったことがある
そいつはノアを見ると、ニッと口端をあげ、近づいてくる
あまりいい気はしないが、前回助けてもらったこともあって、ノアは急ぎ足を止めた
「…何か、用ですか」
「まぁまぁ、そんなに警戒しないでヨォ。俺はここの教授と話しに来ただけだらかさぁ。あ、俺はリュード。どうぞよろしく」
「あ、そうですか。この前は、どうも」
ノアは怪しげな彼に警戒気味に返事するが、その反応を見た彼は、手に持っていた教科書をパタパタと振って見せた
どうやら本当に教授に用があるらしく、ノアを待ち構えていたわけでないとわかると、ノアも肩の力を抜いた
「いやぁ、あの時は大変だったなぁ?君のお兄さん、あんなに怒ってどうしたんだろうね」
「あー、いつものことですから。では、僕はこれで」
「うんうん、君と話せてよかったよー。ルイスによろしく言っといてな?最近なかなか会ってくれないからさぁ」
ノアは軽く話して、その場を離れようとするが、リュードの言葉を聞いて再び足を止まる
この前も感じた違和感、そして今の言葉。
少しだけ不安に思ったノアはリュードに向き直る
「ルイス先輩は…あなたを知らないと言っていました」
「ふーん…それ、本当に本人が言ってたの?」
「…うっ…」
ノアの言葉に彼はぴくりと眉を上げる
切れ長の目はさらに細められ、先程までのおちゃらけた雰囲気が一変する
さらに彼から濃いアルファの匂いが滲み出てきて、ノアはすかさず鼻を抑えた
ノアの反応を見たグレンは慌てた様子で駆け寄ったが、それよりも前にアルファの匂いが引いた
「おっと、ごめんごめん。つい癖でさ。にしても傷ついたなぁ、俺とルイスはもう長い付き合いなんだけど」
「…あなたが嘘をついている可能性は?」
「嘘?まさか。疑うならお友達にでも聞いてみなぁ。みーんな俺らのこと知ってんの」
リュードがあまりに自信気に言うので嘘とは思えず、ノアは困惑した
だってこの前は知り合いではないとルイスは言っていた
でもこの人は、ルイスとは仲がいいと言っている
ルイスを疑いたくはなかったが、ノアはどうしても、彼が嘘をついているようには見えなかった
「それからぁ、ルイスの友達として教えてあげる。あいつねぇ、性格悪いから気をつけてなぁ?今まで何人も女の子がアイツに喰われたからさぁ」
「そんな話…僕は…」
「んーいやいや、やっぱり気にしないで。さ、急いでるんでしょぉ?」
困惑するノアに、リュードは首を振ると、急かすように言った
ノアは目的を思い出しハッとすると、リュードも教授と話に行くためにノアに背を向ける
「じゃあ、また会えるといいねぇ」
「…あっ…」
確かにノアは急いでいる
早くルイスに剣術を教えてもらいたい
でもノアは、彼にもう少し話を聞いた方が良いのでは、と思った
リュードはルイスを知っている
そしてそれは他の人間が保証できると自信気に言っていた
「女たらしと言う噂がある」
以前アランから聞いた話と、リュードの話が一致する
だがノアから見ても、ルイスはそんな風には見えない
この食い違いを解消するために、ノアは用事を後回しにしてまで、遠ざかるリュードの後を追った
ルイスを信用していないわけではない。
ただ、この話がただの噂に過ぎないと、確証したかったのだ
だがノアが再び彼に声をかけようと近づいた時には、すでに教師と話しているリュードの姿があった
「またお前かっ!提出は期限以内に済ませなさい」
「すみません、うっかりしててー」
「全く、これで最後だぞ」
「それとぉ、ここの内容を詳しく知りたくて」
「んん?どれどれ…」
教科書と睨めっこを始めた2人の姿を見て、間に入って話を聞く気にはならず、ノアは仕方なく踵を返した
そんなノアの行動に傍で見ていたグレンも不安気だったが、それまでだった
一方ノアは、なんとなく気がかりとなったリュードの言葉に、胸をモヤモヤさせていた
おかげでせっかくのマンツーマンで剣術を教えてもらっていると言うのに、全く集中ができなかった
疲れた?大丈夫?
そう心配してくれるルイスの顔を見るのが何となく気まずくて、その日は早々にお開きとなった
「何か心配ごと?」
「そう言うわけでは…」
片付けをしている最中もルイスはノアを気にして何度も顔色を覗く
それほどノアが思い詰まった顔をしているということだろう
何度も誤魔化すのも、些か罪悪感を感じていたノアは、思い切って踏み込んでみようかと思ったのだ
「…今日、授業終わりに、リュードと名乗る人に声をかけられました」
「えっ…話したの?」
リュードの名が出てきた瞬間、ルイスの目が驚きに変わる
少し食い気味に聞かれて、ノアはたじろぎながらも、もごもごと口を動かした
「いえ…挨拶程度…」
「そっか、奴はハイエナの中でもクズで有名だから、次絡まれても無視しな」
「わ、かりました」
ノアの言葉を聞いて、ルイスは安心したような顔をすると、いつもよりキツめにノアに忠告する
ノアはその言葉にたじろぎながらも、ブンブンと首を縦に振ると、ルイスはまたもや安心したような顔をしていた
それほど警戒しなければならないのはわかったが、やはり肝心なところは聞けなくて、ノアのモヤモヤは晴れなかった
「ルイス先輩は、リュード、さんと、話したことありますか?」
「ないよ、全く…あいつが何か言ってた?」
「い、いえ」
「そう。今後何言われても信じないで」
ルイスは後押しするように言うと、何事もなかったかのように立ち上がる
磨き終わった木剣を持って、元の場所に戻しに行く
ノアはその後ろ姿を複雑な気持ちで見ていることしかできなかった
どこか、ルイスの態度に違和感を感じる
その違和感が何なのかはわからないままだった
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「終わったぞ」
「ありがとうございます…」
チョーカーからアランの手が離れた時にハッとして瞬く
ルイスのことを考えていたら、いつの間にかチョーカーの調査は終わったらしい
アランは慣れた手つきでノアのタイを直すと、ぼーっと上の空のノアの顔の前でパチンと指を鳴らして見せた
「浮かない顔をしているな」
「…そうですか。僕は、浮かない顔をしていますか」
ノアはアランの言葉を同じように繰り返す
これはノアの意識が別の方向へ向いている時の癖だ
人の話を全く聞いていないと悟ると、アランは近くの椅子を手繰り寄せ、ノアの隣で足を組んだ
ノアの意識が脱線することは、別に珍しいことではない
特にアランはよくされる
それもそのはず、口を開けば出てくるのは大抵ノアへの小言か、己の自慢話のどちらかなのだから、気をさらしたくなるのも無理はない
だがアランはこの日のノアが、少々気がかりに思ったのだ
「…最近剣術をしていると聞いた。あの、悪名高いアシュフォードと。2人きりで」
「グレンがいます。2人きりは語弊があるかと」
よし、食いついた
アランの言葉にほぼ反射で反応するノアの顔は、少なくともぼーっとティーカップを眺めていた顔よりずっとマシだ
アランはすかさずノアの意識に留まるよう大袈裟な身振りで話し始める
ノアはアシュフォードの名に反応した
つまり先程まで上の空の理由に、少なからずアシュフォードは関係しているのだろう
「何をそんなにムキになるんだ。知られて困るような事でもあるのか?」
「い、いえ…そんなわけ…」
アランの挑発に対する切れ味が弱まって行く
ノアは悩んだように首を傾げると、決心したのか鋭い眼つきでアランに問うた
「ルイス先輩の、知ってること全部教えてくれませんか」
「その感じ、やっとアイツの怪しさに気付いたのか?」
「ルイス先輩は、そんなんじゃないです…きっと…おそらく…」
だんだんと自信をなくし尻すぼみになるノアに、アランは呆れ気味にため息を吐く
ノアはまだ貴族として世に出るには未熟すぎる
貴族は常に相手を疑い、気を許すことはできない
もちろんノアもこれは理解しているはずで、他人には徹底しているようだが、その分1人に固執する癖があるようだ
かく言うアランも、今まで誰にも興味を持ったことがないにも関わらず、ノアに対しては妙に敏感になる
現在も、どう伝えれば彼を傷つけずに済むのか、頭で考えてしまっているのだ
黙り込んだアランを、ノアは不思議そうに見つめる
言葉を噛み砕くのに苦戦したアランは、しばらく沈黙してからやっとのことで口を開いた
「アイツの噂は生徒会の中でも有名だ。特に女生徒に関することだ」
「女生徒…」
「アイツに言いよる女生徒は一定数存在するが、もれなく全員アイツに会ったその日に自主退学している」
「え、は?退学?いやいやいや…」
予想外の言葉にノアは狼狽える
アランはそんなノアを落ち着けるために手で遮った
「落ち着け」
「っ、はい、すみません。ですが信じがたい話です。本人たちに話は伺ったんですか?」
「もちろん。だが、女生徒に退学の理由を聞いても、誰も話したがらない」
「そうですか…」
「だから、アシュフォードの仕業にするには証拠が足りないが、無関係とは言い難い。アイツは何かを隠してる。だが一向に尻尾が掴めず、噂止まりだ」
悔しそうな顔をするアランと、それでもなお納得のいかないノアは、顔を手で覆って考え込む
ルイスは優しくて、気遣いのできる良いやつだ
そのため普段のノアなら、そんなことあるはずないと、突っぱねていただろう
今回そうしないのは、ノア自身も、ルイスが何か隠していると思った節があったからだ
「なぜ急に気にするようになった?アイツが何かお前の気に触るようなことでもしたのか」
「いえ…この間、リュードと名乗る方と話しました。その時に少し、先輩の話を聞いて」
「クソ、あいつか。まぁいい、それでようやくアシュフォードの胡散臭さに気づけたろう。俺の忠告は一切聞かなかったからな」
呆れと嘲笑が混じった声で、アランはノアを少しばかり揶揄うが、対するノアの顔は不安な気持ちからか俯いたままだった
アランもその様子を見て、にやけ顔を元に戻す
アランはこうやって言うが、本人はかなりショックな話だろう
誰だって最初に差し出された手のひらは信じたくなるものだ
それを他人にとやかく言われたくらいじゃ、考えは変わらない
アランはそれを理解した上で、もう一度、ノアに念押しするように言った
「アイツには、気を許すな。警戒しろ、常にな」
「………」
「…友を作れ、ノア」
「…え?」
突拍子もないことを突然言われ、ノアは腑抜けた声を漏らした
友を作れ?それは、ルイスとなんの関係があるというのか
ノアはアランの意図がわからず、そのままポカンとしていると、アランはまた呆れ気味なため息と共に口を開く
「素性のわからん奴は友とは言わない。互いに信頼できるような相手を作れ。アシュフォード以外にな」
「そこまでする必要が、あるのでしょうか」
「どちらにせよお前は人との関わりが少なすぎる。視野を広げるために話せるやつを増やせ。以上だ」
納得のいかない顔をしたままのノアに、アランはこの話を強制的に終わらせると、ノアを出口へと追いやる
いつの間にかかなり時間が経っていたようだ
外で待っているグレンに申し訳ないので、ノアも押されるがまま出口へ向かう
「またハイエナ共に話しかけられても、無視しろ。いいな」
「なぜ皆んな、彼らをそんなに警戒するのですか?」
「理由なんてどうでもいい。いい加減、俺の忠告を聞かないと、そのうち痛い目を見るぞ」
脅迫とも取れるその言葉に、ノアが不快感を示さなかったのは、アランの声がいつもより穏やかだったからだろうか
馬鹿にするようにではなく、本気で心配してくれるような言い方。
ノアはそんな彼に困惑しながらも、アランの言葉にこくこくと頷ずくと、アランは満足気にノアを外に放り出す
外にいたグレンにノアを託すと、特に何も言うことなく扉を閉められる
最後に見えたアランの顔が、どこか寂しげに見えたのは、きっと気のせいだろう
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人気のない広い部屋で、アランはグラスに並々入ったワインを飲み干した
ここはアランの寮部屋
通常生徒のほとんどが相部屋で2人一部屋のはずが、アランは生徒会と言うことで1人部屋を許されている
もちろん1人なので部屋ではやりたい放題できる
今飲んでいるワインも、パーティなどの催し以外では禁止されているが、もちろん密告する者もいないので、アランは好き勝手に飲んでいる
くだらないおままごとのような、生徒会を続けているのはこれが主な理由だ
最初こそ父親の気を引きたくて生徒会を目指していたが、どのみちあの人は自分には興味がないとわかり、最近は諦めがついた
とは言え生徒会の特権は素晴らしいものだった
そんなアランは今日も1人至高の時間を味わう
はずだったが、アランの表情は曇ったままだった
原因はあのオメガ
今日の話を聞く限り、ノアはあまりにも世間知らずすぎる
その上、人の話を聞き入れず、頑固で疑い深いくせに、一度信用した相手はとことん信じてしまう
そんなノアが初めてルイスの素性を知りたがったことは、不幸中の幸いだっただろう
とは言えアランからしたら今更感が凄かった
友と連まず、付き合ってもいない年下のノアに四六時中付き纏い、他に友人を作る機会を与えない
これは対象を孤立させ、自分に依存させる常套手段だ
噂どうこうではなく、貴族なら誰しも怪しむ行為だ
貴族の中、特にアルファはプライドが高いためそう簡単に他人を手助けしようとはしない
親切にしてくるやつほど裏がある
むしろ敵対視向きだしくらいがちょうど良い
それを皆理解しているのだ
だがノアはどうだろうか
ノアは世間知らずの箱入りで、そんな裏のある親切にまんまとハマっている
危機感がないと言うか、変に純粋と言うか、とにかく見ていて安心できない状況だ
別に助けてやる義理はない
愛想もない、関心もない、アルファには取るに足らない惨めなオメガだ
むしろ勝手に自滅してくれるなら、アランにとっては好都合のはずだろう
だが、やはり気にしてしまうのだ
放っておけないあの朧げな雰囲気が脳裏から離れない
奴が生まれた瞬間から父親はアランに興味を示さなくなった
だからあいつが嫌いだった
嫌いなはずだった
だが不思議と、憎くて憎くてたまらないアイツを実際に前にすると、その憎しみはスッと消える
それはきっと、本当はノアのせいではないと、己の奥底で気づいてしまったからなのだと。
対してノアはアランを嫌っている
普段の態度もあって中々気を許して貰えず、顔から滲み出る嫌悪感は毎回のように増しているのだ
他人に対してもそうなのか知らないが、そのせいでアランの忠告は真面目に聞き入れてもらえない
だからノア自身に友人を作らせ他者の話も聞けば信憑性が沸くはずだが、はたしてノアはアランの言葉を、本気にしていただろうか
パーティのことも、どうせ後からアシュフォードに誘われるだろうから、先手をとってこじつけでパートナーとして繋ぎ止めたが、それもどこまで効果があるだろうか
アランは悶々と考え頭を抱えた
すでに飲み干したワインの味など終始わからずじまいで終わり、空のグラスを机に置いた
考えごとをしていては酔うこともできない
忘れたさに飲んだはずのアルコールのせいで、むしろ鮮明にノアの顔が頭に浮かんでしまう
いや、今日は早く寝よう
思い浮かぶ最悪な想像を振り払い、アランは横になる
何かあれば、その時自分か対処すればいい
それまでは、顔を突っ込んでもより鬱陶しがられるだけだろう
そんな思いを馳せながら、アランは深い眠りについた
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