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第21話

「おい、慌てるな。しっかり見て合わせろ」 「そんなこと言われても…あっ!」 アランに言われた直後、もつれたノアの足がアランの爪先を踏みつける 光沢のある高そうな靴には、すでに何度も踏まれたであろう跡が残っていた ピアノの音が響く広い広間で、アランとノアは中央でダンスの練習をしていた パーティまで残り1週間ということで、流石にノアのダンスを一度確認しておきたいと、アランはこの広間を貸し切った さっそくアランはノアの手を取って強引に進める だがこのようにノアはすぐに躓いてしまい、ピアノの音が止まるのだ それもそうだろう ノアはダンスの教育は受けていないため全くの初心者なのだから、いきなりやれと言われてできるほど、ノアの運動神経は良くなかった 「…少し休憩を」 「さきほど休んだばかりだろ」 「…今日はもうこの辺で…」 「時間がない。序盤も踊れずどうするんだ」 ノアはたった数分のことで息を切らし、その様子をアランは呆れた目で見ていた ノアは次第に、そんなアランの態度に苛立ちさえ覚えてきた 出来ないものはできない 初めてだというのにミスを指摘され、理不尽に何度も踊らされ、ノアのストレスは今にもはち切れんばかりに膨らんでいた 「もう一度だ」 「も、もう嫌だやりたくない!僕にはできません、無理なんですよ」 すでに限界を迎えていたノアの手を取ると、アランは強引に掴み引き寄せる ノアは嫌悪さえ感じるその手を、思い切り振り払った アランは突然の拒絶に一瞬、驚いたような顔をするが、すぐにその顔に怒りが滲む おそらくアランも出来の悪いノアに少なからず苛立ちを覚えているはずだ だがそれはノアも同じ なぜもっと優しく教えられないのか、少しくらい多めに見てくれても良いではないかと、彼の傲慢さにため息が出てしまうほどだ 「何を今更。自分で言ったことだう」 「…わかってます…疲れたんです」 アランの一方的に責めるような言い方に、ノアは反論する気も失せていた もう嫌だ。帰りたい。 それしか考えられないほど、ノアはすでに疲弊し切っていたのだ 半ばやけになったノアは、ついに地面にしゃがみ込んでしまう はしたないだろうが何だろうが、もうどうでもいい 剣術は疲れてもあんなに楽しかったのに、ルイスならもっと優しく教えてくれたのに。 今更になって過去の自分を恨む こんなやつに頼らなければこんな事にならなかったと、自責とアランへの嫌悪で一杯一杯だった ついに動かなくなったノアに、アランはまるで駄々を捏ねる子供を見ているような目で見やる どうすれば良いか、分からないと言った様子だった こんなに追い詰めるほど自分は何かしただろうか ただダンスを教えているだけに過ぎないのに、なぜこんなにも自分が悪者になったような気分にならなければならないのか アランは苛立ちの奥底に、ノアに対してどう接していいか分からず、困惑している事に自身は気づいていないようだった 「恐れ入ります。よろしいでしょうか」 「…なんだ」 「ノア様は初めてにございます。まだ慣れるに時間がかかりますでしょう。どうかお手柔らかにお願い出来ますでしょうか」 「そうは言えもう時間がない。恥をかくのはこいつだぞ」 ついに見るに堪えなくなったのか、グレンはピアノから手を離し、2人の間に割って入る 普段なら許されない行為ではあるが、今はこの空間に3人しかいない それに、ぶっきらぼうに答えているようでも、本当は助け舟が欲しいと、ノアもアランも思っていたのだろう 今回ばかりは、互いに何も言わなかった 「恐縮ですが、私がお受けしてもよろしいでしょうか」 「…好きにしろ。どうせこいつはできやしない」 グレンは空気を読んでそう言った アランは渋々、といった雰囲気を醸し出していたが、本当はその言葉を待っていたように思えた 許しを得たグレンは、今度はノアに歩み寄る 拗ねたノアの目線に合わせて屈むと、ノアに優しく手を差し出した 「…やりたくない」 「どうか私のために、お願いできませんか?」 アランと話す時とは違い、ノアには柔らかな言葉遣いをするグレンに対し、態度の違いを感じつつも嫌な気はしなかった アランに言われても全くやる気のなかった気分は、グレンに頼まれた途端に、仕方ないな、という諦めの気持ちが勝ってしまった それに、グレンはアランのように強引に引っ張ったりしないと知っている 決定的な違いは信頼があるか否かだった ノアは仕方なくグレンの手を握って立ち上がると、グレンはノアの腰に手を回した 「感謝いたします。ノア様」 「…ふん」 不満げに鼻を鳴らしてみるが、グレンは穏やかに笑って流す 音楽がないため、リズムはわからないが、その分グレンが指示を出してくれた 「強張らず、私に身を委ねて下さい。ええ、お上手です。次はターンをしてみましょう。手は握らず添えるのみで構いません。ああノア様、美しいですよ」 「ちょ、いちいちそんなこと言わなくても…」 ノアはグレンの指示通りに動く テンポは遅いが、アランのああしろこうしろと意味のわからない指示よりよっぱどマシだった そのおかげか、ノアは先ほどよりも動きがいいと自分でもわかるくらいに、相手に合わせられるようになった だがそんなノアの顔は疲れてもいないのに赤く熱っている 理由は明白で、ことあるごとにノアを絶賛するグレンの言動に照れを感じているからだろう グレンがノアに甘いのは普段の生活でも分かり切っていたし、こんな風に褒めるのも今に始まったわけではない だが、どうしてか、今はそんな言葉に妙にくすぐったさを感じた 体が熱い。密着しているからだろうか いつも遠くからノアを見守っているグレンの体は、見た目よりしっかりしている それでも繊細な動きを徹底している彼は、優しくノアの腰を抱きしめ、ノアが動きやすいよう先導してくれた そのためノアは全く疲れていないというのに、なぜだか顔の熱りは治らない この前グレンに抱きしめられた時に似たような、むず痒さを感じていた 一方アランはそんな2人の様子を顰めた顔で見ていた 恥ずかしそうに伏せられたノアの顔を見て、アランは無意識に苛立ちを覚えたのだ 先ほど自分と踊っている時はあんな顔していなかった 加えて、グレンの教えを得た途端に動きが上達したことに、不満を感じざるを得なかった まさか自分の教えが悪かったのか いやそんなはずはない アランは端正な容姿ゆえ何人もの女性とダンスを交わしてきた だからこそたった1人のオメガなんかに手こずるはずがない そのはずなのに、目の前のオメガは従者の教えで着々と上達し、あろうことか顔さえ赤らめている そんなノアの反応の違いに、自分が一介の執事に劣っていると言われているようで、沸々と怒りが湧いたのだ 先ほどまでグレンの助けに安堵していたと言うのに、今では自分の功績を横取りされたような思いで気が気じゃない ついに見ていられなくなったアランは、未だ回り続ける2人の空間を無理やり切り裂くように言い放った 「もういい。今日はここまでにする」 「承知いたしました。ではノア様…ああノア様お待ちくださいませ」 その言葉にグレンとノアは動きを止める 先ほどから機嫌の悪さは隣から沸々と感じていたので、ここでお開きとなるのはノアにとっては都合が良い ノアはするりとグレンの手から離れると、待ってましたと言わんばかりに早々に出口を目指した グレンが一瞬目を離した隙にノアはすでに重い扉に1人しがみ付いていた パーティ当日もこの会場が使われるため、内装は広く豪華であり、貴族が好む重量感のある扉があしらわれている まったくこんな物の何が良いというのか 背丈の低いノア1人ではなかなか手こずっていたが、気づいたグレンが慌てて扉を開いた 「待て」 「…まだ何か」 そそくさと帰ろうとするノアを、アランは引き止める 面倒ながらも無視するわけにもいかず、はやる気持ちを抑えて振り返る アランは何か言いたげだったが、一度ため息を吐くと、ノアに言い聞かせるように言った 「明日も同じ時間にここに来い」 「僕はグレンと練習するので毎日は必要ないです。お兄様もお忙しいでしょうし」 「2度も言わせるな」 ノアの言葉には耳も貸さず、アランはぶっきらぼうに言い放つ こうなってしまっては、ノアも頷くしかない 元はと言えば、アランに抑制剤の借りを返すために何でもするといい、それを了承したのはノア本人だ 彼の意図に従う筋合いはある あるのだが、やはり嫌なものは嫌だった 「…わかりました」 「お前は本当に…いや、今日はもう休め」 「んっ、ちょっ、やめて下さいなんなんですか」 苦々しい顔で返事をするノアに、アランはまたもや何かを言い淀んだが、すぐに目を逸らしてしまった 最後にアランはノアの頭に手を乗せぐしゃぐしゃと髪をかき乱した ノアは鬱陶しそうにその手を避けるが、アランはそんな反応を見て、少しばかり気をよくしたようだ 人の嫌がることをして機嫌を直すなど、性格が悪い ノアは心の中で悪態をついたが、それすら口に出せないほど疲れ切っていた その後は逃げるように自分の部屋へ戻った その際、なぜだかグレンの顔をまともに見れず、気まずい雰囲気が流れていた グレンはノアの機嫌を損ねてしまったと焦っていろいろ声をかけてきたが、そのどれもにぶっきらぼうに返し、遮った ノアがグレンに対して態度が悪いことなど日常茶番時であり、いつものように明日になれば機嫌を直してくれるだろうとグレンは見込んだが、残念なことに次の日も、ノアの調子が戻ることはなかった 「ノア様、ノア様。朝ですよ」 「…」 毎度のように寝起きの悪いノアは、グレンが起こしてやらないとベッドから起きあがろうとしない 無理に起こしても、行きたくない、などと言い出すため手荒くしてはいけない そのうち観念したノアはもそもそと起き上がるのだが、今日はどこか様子がおかしかった 「今日は自分で着替える」 「左様ですか。お困りになりましたら何なりと」 今朝は珍しく自分で着替えると言い始めたノアに、グレンは特に気にせず制服を手渡す 学園に来る前からノアの自律心は高かったため、服は問題なく着ることができる 特に学園服は普段着替えをしない貴族相手でも着やすいように、シンプルかつ手間取らない構図をしているため、通常は他人の手を借りずとも着れる物だった それでもグレンがノアの着替えを手伝うのは甘やかし半分、ノアと触れ合う機会がそれくらいしかないのだ 遠くからでは見ることのできない体の成長。思春期の子供との数少ない触れ合いの場。 グレンはそれとなく毎日の楽しみとしていた日課が今日は出来ないと知ると、成長を感じる反面、少し残念に思ってしまった 「ではノア様、お髪を結いますよ」 「じ、自分でやるから、いい」 着替え終わるタイミングを計らい櫛を用意したが、ノアは焦ったようにグレンの手からそれを奪い取った おや、どうしましょうか。 その様子を見て、グレンは少し悩む ノアは確かに服などの身支度は自分でできる だが、髪に対しては意識が低く、少しばかり乱雑な扱いが見られるのだ 案の定ノアは櫛を掴むと、特に気にすることもなく髪を乱暴に梳かす そして、いつもはグレンが美しく飾り括るのだが、ノアはいかんせん興味がないのでただ一つにまとめるのみとした 学園に来る前から、メイドたちが徹底して守ってきたノアの髪。 淡いミルクティーのような美しい髪が痛んでしまわないかとハラハラとし、さらには飾り気のない平凡な髪型を見て、几帳面なグレンは我慢ができなくなってしまう 「ノア様、やはり私が…」 「いい、触んないで」 「ですが、ですがノア様それだけは、ノア様の美しい出立であればもっと…ノア様お願いです。少し手を加えるのみでいいのです」 わなわなと体を震わせ懇願するグレンに構うことなく、ノアは手早く身支度を済ませ部屋から飛び出した 「…!っと、ノア、どうしたんだ?」 「ルイス先輩」 扉を開けると今来たであろうルイスが立っていた 勢いよく出てきたノアを受け止めると、ルイスは不思議そうに聞いてきたが、後に部屋から慌てた様子でグレンが出てきたため、なんとなく状況を察することとなる 「ノア様、せめて整えるくらいは…」 「もうこれでいいよ。動いても崩れないんだし」 「そ、そうかもしれませんが、私としてはもう少し頑丈にしたいと言いますか」 「アラン兄様も髪は長いけど、僕みたいに手の込んだ髪型はしない。何が違うと言うの」 グレンから逃げるようにルイスの後ろへ回ると、ひょこりと頭を出して反論する そんな様子を可愛らしいと思いながらも、ノアの言葉にぐうの音も出ないことにグレンは焦る あたふたとしているうちにノアはさらに追い討ちをかけるように言った 「今日はこれでいい。これ以上突っかかるなら僕もう髪切るから」 「そ、そんな…」 「行きましょう、ルイス先輩」 「あ、ああ」 2人のやりとりに挟まれじっとしていたルイスだったが、ノアに言われて我に帰る ショックを受けているグレンを横目に、ノアはルイスの手を引っ張ってそそくさと行ってしまった 呆けていたグレンだったが、ハッと我に帰ると慌てて2人の後を追った その後も、ノアの後頭部に鋭い視線を感じたが、ノアは何食わぬ顔でルイスと別れ、教室へ入った 中まではグレンは入ってこれないので、最後に見た顔は、少し悲しそうに見えた グレンが感情を表に出すなんて、よっぽど気に食わなかったんだな ノアはそんなグレンをぼんやりとして思い出しながらそっと俯いた 昨日から、まともにグレンの顔が見れない 何故だかわからないが、グレンの顔を見るとよくわからない気持ちになる それはどこか羞恥心に似ており、心の奥にモヤモヤと霧がかかり、小恥ずかしい気持ちになるのだ だがなぜ急にそんな気持ちになるのかわからなかった 昨日の夜、ダンスのレッスンをしてから急にこの感情は浮き彫りになった いきなりあんな風に冷たく当たるようなことをすれば、グレンも困惑するだろうに、自分はいったい何をしているのか だが、自分でもよくわからないのだ 悶々と1人考えた結果、ノアはある結論にいたる これってもしかして…反抗期? その言葉が思い浮かんだ瞬間、点と点が繋がったようにクリアになる ダンスをした時の気恥ずかしさ、その後の気まずさ。 今思えば反抗期の前兆に程なく似ている気がする そしてノアは13歳 思春期真っ只中の子供が無駄に意地を張り始める、時期相応だ この貴族社会に反抗期なるものが存在するかわからないが、ノアは前世ですでに通った道だったので、おそらくその筋で間違い無いだろう グレンと過ごした時間は少ないが親代わりになるには充分過ぎるほどノアの面倒を見ている グレンに対して気まずさを感じるのも、なんらおかしなことではないのだ 決して彼に多大な感情を抱いているわけではない 原因がわかった途端、ノアはスッキリとした気持ちになる 同時に、自分はまだまだ未熟な青二歳なのだと実感する 面倒を見てくれるグレンには悪いが、なんとか耐えて欲しいものだ こればかりは成長過程において重要なプロセスなのだから、仕方がない むしろグレンには、このままノアを見限ってくれた方が… ノアは少しナイーブな考えを思い浮かべる もしこれを機にグレンがノアを嫌ってくれたのなら、彼に隠し事をする度に覚える罪悪感も、感じなくて済むのに、と。 ——————ゴーン——————— 授業終了の合図を聞いて、ノアは目を覚ます やはり午後の講義は眠くなる 自分が睡眠不足なのは重々承知なのだが、悪夢は対策しようがないので、ノアはもう諦めて眠るようにしている 「今日は良く眠れたかね?」 「………」 講義が終わり、寝ぼけ眼のノアに話しかけてくるのはこの講義では1人だけだ むくりと顔を上げると、そこには立派な髭を蓄えた、この講義を担う教師がノアの横に立っていた 彼はノアが講義中に何をしてようが怒ることはない だが講義が終わると何かとノアに突っかかってくるのだ ノアはそれを鬱陶しく感じている これも反抗期だからだろうか ノアは教師に一言も交わすことなく立ち上がる 毎回講義をまともに聞かないノアに対しての腹いせだろうと思い、ノアも対抗するように無視を徹底し始めたこの頃。 だが教師は凝りもせずにノアに話しかけてくるのだ 「ノアくん」 「…」 「何か困ったことがあったなら、私に言いなさい」 「…?」 荷物をまとめて早々に出て行こうとするノアの背中に、そんな言葉がかけられた 今日はなんだかいつもと違う様子に、ノアは思わず振り返る クマのように大きな体と、もじゃもじゃの髭の向こうには珍しく、憂いの籠った眼差しが見えた どうして突然そんなことを言うんだろう ノアは不思議に思いながらも、結局彼に一言も交わさず、講義室を後にしたのだった

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