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第23話

次の日から、ノアの日常は大きく変わった 毎朝グレンに支度をして貰っていたが、次の日からノアは拒絶するように全て自分で済ました グレンも不服そうだが何も言わずに黙って見守る 彼もどこか違和感を感じ取っているのだろう そして空気の読める彼も相まって、2人の距離感は気まずいものへと変わった 互いに、いや、ノアが徹底して最小限の言葉のみで済ますために、2人の間に会話はない このぎこちない空気の中、ノアは駆け足で準備を終え、すぐさま授業へ向かう できる限り、グレンと一緒にいることを避けたのだ 変わったことはもう一つある それは、ルイスと顔を合わせることが無くなったことだ 毎朝部屋の前で待ち合わせをしていたが、もちろん今日はいなかった お互い気まずい気持ちもあるので当たり前と言えば当たり前なのだが ルイスは先輩のため、授業でも関わりが全く無く、彼がどういう状況か一切わからない状態だ だから、彼が今どんな気持ちなのか、今後もこのまま会うことなく日常が過ぎていってしまうのではないかと思うと、寂しく思えた だがルイスの部屋に直接出向こうとは思なかった あの時、ルイスを目前に感じたあの恐怖を、ノアは鮮明に覚えている あの感覚を知ってしまった今、ルイスと面と向かった時、どういう反応をすればいいのか 何事もなかったかのように並んで歩き、また他愛無い話をルイスと交わす 今のノアは、そんな自分の姿を、微塵も想像ができなかったのだ ルイスがいなくては気分は上がらない それでも部屋にはグレンがいるので帰りたくない やはりノアは重い足取りで講義室に歩くしかなかった 退屈な文字列を目でなぞり、単調な教師の話を右から左へ流して時間を潰す ノア以外の生徒もぼーっと外を眺めたり、こそこそと隣と話しており、授業もまともに聞いている人はあまりいない ノアは友達が少ないので、やはりぼーっとして時間を潰すしかないのだ 授業が終わって休憩時間になろうとも、ノアは対して嬉しくない この後は昼食の時間だが、1人で食堂に赴くのはあまり気が乗らなかった かと言って、部屋で食べるにしてもグレンがそばにいる あれほど気まずいと言うのに、はたして食事が喉を通るのだろうか 悶々と悩みながらも、いつまでもそこにいる訳にもいかず、ダラダラと支度をして教室を出た グレンは扉のすぐそこで待機していて、ノアを見ると朗らかな笑顔を向けた 「お待ちしておりました。ノア様」 「…」 「お食事はいかがなさいますか?」 その言葉にノアは軽く首を捻った ノアは都合の悪い時、行動が幼稚になる それは己も自覚した上で、グレンに誤魔化しが効くもっとも効率的な方法だとも理解していた そのためノアはグレンの問いに答えることはなく足早に歩み始める グレンは黙ってついてくるが、ノアの向かう方向は自室なので、なんとなく察しはついているだろう 「午後の授業はいかがなさいますか?」 「…いかない」 「今夜もアラン様とのお約束がありますが」 「いかない」 グレンの言葉に、まるで拗ねた子供のようにノアは食い気味でそう返す 今日はそんな気分ではない パーティまで残りわずかというのに、ノアのダンスはお世辞にも上手いとは言えなかった 普通なら、切り詰めて練習するのが当たり前だが、いかんせんノアはそんな元気などなかった どうしても気分が沈む。おまけに調子も悪い気がしてきた 今日のようなモヤモヤした日々が、明日以降も続くと考えると、果たしてノアは乗り切れるのだろうか 半日という短い時間でさえ、何度もルイスのことが頭に過ぎる その度に胸の奥でざわりと胸騒ぎがして、物事にまともに集中できずにいた 考えたところで事は解決しない。 だが忘れることなど出来なかった このところ頭が変だ ノアはいったいどうしたいのか、あるいはどうして欲しいのか、自分でさえわからない状態だった 週末のパーティは、ルイスも来るのだろうか その時までに何を話すか、どうするべきかを考えなくてはならない その事で頭がいっぱいなノアは、そんな状況でダンスをしようなど、到底思えなかった 「…ノア様、軽食をお持ちしました」 「………」 まるでグレンの視線から逃れるようにベッドに潜り込んだノアは、しばらくうとうとした後、グレンの声に正気に戻る 部屋から出ていったと思ったら、この短時間でそんなものを用意したのかと感心するが、ノアは顔を上げることはしなかった 食欲はないし、面倒だ このまま寝たふりをしてしまおう グレンは気づくだろうが、無理に起こすことはしないと踏んだノアのささやかな反抗だった だが思いの外グレンは粘った 「ノア様、少しでもお召し上がりください」 グレンはそう言うとノアの顔を覗き込むが、変わらずノアは無視を続けた 「私が邪魔でしたら、外で待機しております。ですから…何かあればなんなりとお申し付けください」 グレンは優しくノアの頰に触れる そっと目尻を撫でられるとくすぐったさにノアのまつ毛がぴくりと反応した それを見て満足そうに微笑んだ後、グレンはそっと部屋から出て行った 扉が閉まる音を聞いてノアはむくりと起き上がる 「…最近スキンシップが多いな」 ぼやきながらノアはテーブルに置かれた軽食を見やる 鮮やかな野菜を白いパンで挟んだサンドウィッチ。フルーツが盛られた皿に、今入れたばかりであろう湯気が立つティーカップ ノアはそれをまじまじと見た後、そっとフルーツの一つをつまんで口に放り込む 新鮮そうな艶やかな紫色の葡萄だった だが歯で噛んだ瞬間、葡萄とは似つかない塩っぱい味が口内に広がり、思わず数回噛んだだけで無理に飲み込んでしまった 最近、感情とあわせて体の様子がおかしい 昨日の動悸もそうだが、少し歩いただけで息が上がる。体がだるく熱っぽい そして、味覚がおかしい それ以外の不調は時々起こるが、味が変化することは今までなかった 真面目なグレンが毒味を怠るはずもないため、おそらくノアの体が異常なのだろう グレンが入れてくれた美味しいはずの紅茶でさえ酢のような酸っぱさを覚えるため、比例して食欲も下がっていた グレンに話すつもりはない とは言うのも、ノアはこの異変はアレが原因なのではないかと考えているからだ 「発情期…」 オメガは10〜14歳の間に初ヒートを経験するが、ノアはまだ来ていない そのためヒートがどのようなものかわからないが、そろそろ来てもおかしくない時期だ 以前も体のだるさを感じた日があったが、最近はその比ではないほど体調が悪い もし、この不調がヒートの前兆だとすれば、それをグレンに悟られるわけにはいかない 幸いグレンはベータのためフェロモンの匂いは嗅ぎ取れないため、近づかれても多少のフェロモンならば問題ない だが念には念を ノアは内ポケットに隠し持っていたピルケースを取り出すと、シャカシャカと振って薬を数粒手のひらに出し、それを一気に口に放り込む 水なしで飲めるタイプのためそのまま嚥下し、安堵の息を漏らした しばらくするとノアの体はスッと軽くなる 即効性なのでありがたい。これはいついかなる時も持ち歩かなければ だが抑制剤にももちろん副作用はある それはとてつもない眠気に襲われることだ すぐにノアの目の前はぐるぐる回り始める 眠気に耐えきれなくなったノアは再びベッドに身を任せ、そっと目を閉じた すぐにベッドから静かな寝息が聞こえてくる 結局、テーブル上の軽食はフルーツを一口摘んだだけに留まり、それ以外は一切手をつけなかった 温かだった紅茶もいつしか冷め切ってしまい、鮮やかなサンドウィッチも艶やかなフルーツも、時間と共に色褪せていった —————————————————— 耳を澄ましても、扉の向こうから音が漏れることはない そのため今、用意した軽食をノアが食べてくれているかどうかなどわからない だがグレンはどうしてもノアの動向を窺ってしまう 昨日の件から見てわかるくらい落ち込んでいるようだが、グレンはそれ以前からノアの違和感に気づいていた いつにも増して疲れやすく、寝ても疲労が取れない、注意散漫、食欲低下 だがこのあたりはノアにはよく見られる不調だった 問題はそれが一変に来ており、顔色が悪いと言うのに本人はとくに気にしないそぶりを見せる 元々強がる性格のためなんとも言えないが、添いのグレンにも言わないなど怪しいことこの上ない 例えば朝はとても怠そうにしているのに、授業が終わり教室から出てくるとケロリとした表情に戻っている 顔色は変わらず悪いのに、まるで感覚がなくなってしまったかのように振る舞う 「体調の方はいかがですか?」 「もう治った」 こんな会話を何度もした 今朝まであんなに辛そうだったのに、本人は平気だと言い張る ただ本当に平気そうに振る舞うため、グレンに嘘をついているように見えない ノアがそのようになるのは決まってグレンの目が離れている間なので、おそらくなんらかの手をこっそり打っているのだろう 確かに目が届かないところで、隠れて何かしているとなると少し不安だが、グレンが気にしているのはそこではない 問題は、本人が"治った"と錯覚しているところだ 数時間前と比べると、まるで麻酔を打ったかのように普通に過ごし始める だがグレンの目には不調が治ったようには見えなかった アランとダンスの練習をしている時も、この特徴が大いに当てはまっていた グレンは気付けばすぐに対処するべきだった しかし、本人が平気と言ってしまえば、それ以上何もできなかった 大熱が出るわけでもなく、咳き込むわけでもない タイミング悪く重なってしまったと言われれば否定できず、原因がわからない上に当事者に拒否されてしまうと、グレンはお手上げ状態だった ノアの体を労るなら、これ以上体に鞭打つことはやめてほしい だが同時に精神面の心配もしていた 色々重なったこの頃に、グレンが追い打ちをかけるように問い詰めてはあまりに不憫だ 今はそっとすることが大事か、無理にでも原因を突き止めるべきか ただでさえグレンは避けられている ノアにこれ以上不審がられて、今後うまくやっていけるのか 珍しくグレンは迷っていた しばらくしてから、扉を開けてノアの様子を伺った ノックしても返事がなかったためまさかとは思ったが、ノアは可愛らしい寝息を立て、体を丸めて眠っていた 用意した軽食にはほとんど手をつけず、そのままの状態で放置されている グレンはそれらを無言で片付けると、傍で穏やかに眠る主人を見やった まるで気絶をしているのではと思うほど静かに眠っているが、微かに上下する肩を見てグレンは安堵する 自身の体を守るように丸まって眠る主人の体に、そっとシーツを被せてやった 顔色は変わらず青白い やはりグレンには体調が良くなっているとは到底思えない ノアの年齢で思い当たるのは発情期の準備などによる体の不調がそろそろ現れる時期だろうが、それにしては症状が重い 通常、発情期前は体の気だるさや食欲の増加などを訴える者も多いが、ノアほど酷いものではない むしろ食べなけらばいけないのに、ノアの食欲は減少気味だ もし、このままノアの不調が治らない場合、アルノルフ公爵から帰還命令が下され、以後自宅療養となるだろう そうなると、ノアはいつ学園に戻って来れるか分からない グレンはすでに公爵に現状を伝えてある できらば早め早めに問題解決に至りたい そうすれば、ノアに余計な負担をかけずに済むだろうに グレンは悩ましげに眉を顰め、眠るノアの頬を指でなぞった 最近グレンは妙にノアに触れたくなる それは母親が我が子に思うような感情のためか、あるいはまた別の感情があるのか とにかく食事を摂ってもらわなければ治るものも良くならない そのためには夕食くらいはなんとか口にして貰わなければ 食べやすいゼリーなどと、ノアの好きな甘味を主役にしたものを用意しよう そうと決まればグレンは部屋を出ると、足早に食堂へ向かった 本来生徒は皆食堂で食事を摂る 自室で済ませたい者は事前に買い、そして自分で持ち帰るのが妥当だ グレンはノアの代わりにその役目を担い、さらには出来立てを用意するためにあの手この手と策を打つ 幸いにもノアは料理メイド達からの評判が良く、グレンが頼めば多少の無理も気前よく受け持ってくれる まずはアランにこの後のダンス練習を中止する思を伝え、今回も彼女たちに頼むべく食堂に向かっていた最中、背後からグレンの名を呼ぶ声が聞こえてきた 「グレン、ノアはどうした」 「アラン様、これは奇遇にございます。ノア様は現在体調が優れず、アラン様にご報告に伺うところでございました」 声のした方向には何人かの生徒を侍らせるアランの姿があった グレンは身を翻し、素早く頭を下げる アランに会えたのならちょうど良い このまま断りを入れてから、ノアの食事を用意しよう そう思っていたがアランは不愉快そうに顔を歪めると、グレンを問い詰めるように言った 「パーティは今週だ。さっさとダンスを習得してもらわねば困る」 「ご尤もでございますが、私はノア様の体調を優先いたします」 「…お前が甘やかすから、ここまで病弱なのではないのか」 「弁明の余地もございません」 グレンはまた深々と頭を下げる アランは自分が言ったことなのに、その様子を見て罰が悪そうにたじろいだ グレンに当たったところで、仕方のないことだと理解しているのだろう アランはそれ以上小言を言うのをやめ、別の質問を問いかけた 「…午後の授業を欠席したそうだな。昼食はどうした」 「お召しになっておりません」 「なら夕食はどうする?」 「お部屋で召し上がって頂こうかと」 「俺に断りはないのか?」 アランはことごとくグレンを問い詰める この2人もなんだかんだ関係は長い すでにグレンは、アランの要求を理解していた だがグレンは引き下がるわけにはいかなかった 「失礼いたしました。この後のご予定は見合わせていただきたく存じます。許可をいただけますか」 「なぜそう遠ざける?夕食くらい顔を出せるだろう」 「アラン様、どうかご理解をお願いします」 夕食後ノアが嘔吐したあの日から、グレンはノアに無理をさせる事を避けている ノアはグレンを叱るでもなく、嫌うわけでもなかったが、それでも自ずと距離が空いてしまったのは明らかだった 主人が従者を信用できないなど、あってはならない そして今のグレンの主人はノアだ 主人であるノアの体調、意向を常に優先すべきなのだ そんな意志の強いグレンにアランの怒りは増し、不機嫌になっていく様を見て後ろの取り巻き達は後ずさる だが同時にそんなアランにも物怖じしないグレンの姿に驚愕した 貴族である自分たちでさえあそこまで楯突いた事はない たとえ幼少からの付き合いだとしても、そんな権限は一介の従者に、貴族である自分らが劣るなどあまりにも信じられなかった 「俺が面倒を見てやると言ってるんだ」 「ノア様のお世話は私が仰せつかっております。アラン様のお手を煩わせるわけにはまいりません」 「お前は今から用があるんだろう。病人を1人置き去るなど理解できないな。誰かが見てやるべきだろ?」 話は変わり、今夜会えないならば今から見舞いに行くとアランは言い張るが、グレンは必要ないと突っぱねるばかりで、お互い折れる気はないようだ どちらも声を荒げたりなどはしていないはずなのに、威圧は伝達しそのうち人だかりが出来る 2人を遠巻きに見ていた人は時間と共に増えて、それがさらに人を呼んだ アルファとベータが言い争っており、今にも波乱が起きそうだ。 このままではアルファが暴走しかねない 噂は広がるたびに形を変えるというが、まさにその通りだ その形は教師陣の耳に入る頃には、かなり誇張されていたようだ しばらく静かな口論を続けていた2人の元に1人の教師が駆けつけた 「何か問題でも?」 「教授?」 「おや、グレイストン教授。いつもアラン様とノア様がお世話になっております」 割って入ったのはノアの魔術論の教師であり、アランの専属指導者だ よくノアに突っかかり、面倒がられている教師だった グレイストンは聞いていたような酷い有様ではないことに安堵の息を吐くと、2人に向き直る そんな2人は自らが原因だとは自覚していないようだ なぜこの教師が駆けつけたのかわかっていない様子で、グレイストンを見ると驚いた顔をしていた 「ああグレンさん、こちらこそ。…ところで、ここで乱闘があったと聞いたのですが…どうやら誤認だったようですな」 「何だって?まさか俺らだって言いたいのですか?教授、それは誰から聞いたのでしょうか」 「誰でもないさ。騒ぎを聞きつけたから来ただけだ」 アランはそれを聞くと周りのガヤに向かって睨みを利かす まずいと思ったのか、遠巻き達はそそくさと散って行った そんなアランをグレイストンはまあまあと宥める 反対にグレンは表情を変えず、穏やかに謝罪を述べた 「お騒がせして申し訳ございません。私とした事が、配慮に欠けておりました」 「いやいや、こちらこそ大事にしてしまったみたいで。ところで、何を話していたんです?」 グレイストンが気になっていた事を聞くと、2人は簡単にことの経緯を説明した その際もアランはグレンを責めるように言ったり、グレイストンから説得してくれるようにと必死であったが、対するグレンは淡々と事実のみを述べた 「ふむ、確かに最近調子が悪そうだ。病人にあまり無理させるものではないよ、アラン君」 グレンの説明を聞くとグレイストンは納得の頷きを数度交わすと、アランに向き直り彼を咎めた だがアランはグレイストンの言葉に驚いたように硬直し、納得のいかない様子で反論をする 「…あんたが言ったんだぞ。ノアの動向を探れと」 「いつからそんな大層な話になったのかね?私は弟を気にかけてやれと言ったのだよ」 「だから面倒を見てやると言っているんです」 そんなグレンの物言いに、グレイストンは困ったように表情をこわばらせ、グレンは苦笑いと言った表情を見せた 「アラン君、君は看病も誰かの世話を焼いたこともないだろう?今の君じゃ、負担にしかならんのだよ」 「それはそうだが…っ」 正論だった アランは世話を焼くためなどではなく、ただ自分のわがままを押し通したいだけで、そんなことはあけすけなのだ ノアのため。そうは言うがアランは自分の事しか考えていない グレイストンはただ静かに、アランの誤った考えを咎めたのだった 当然アランに返す言葉はない 本人も自分の矛盾を自覚していたから尚更だ ただノアに会うための口実を探していた それだけだ 口籠るアランを横目に、グレイストンは見物に来た生徒を散らした なんとなく事が済みそうな雰囲気があったので、ガヤはすぐにいなくなった 人が散ると空間に余裕ができる その空気感をアランも感じ取り、少し冷静さを取り戻したようだ 言わんとしていた言い訳を飲み込み、少し居心地悪そうにするアランを見て、グレンは再び丁寧にお願いした 「アラン様、今日ばかりはお許しいただけますか?」 「…もういい。これ以上悪化されては、パーティに出ることも危ういだろうしな」 アランはついに負けを認めると、その場で空気と化していた取り巻きたちと共に歩き出す だが去り際に、アランは目を細めてグレンに言い放った 「言ってなかったが、パーティは従者の同行禁止だ」 「え」 「これは規定だ。お前がパーティの参加を許可したんだろう?まさか知らなかったわけではないよな」 意地の悪い顔でそう言うと、アランは颯爽とその場から立ち去った 残されたグレンは呆気に取られていた もちろんそんな話は、初めて聞いたからだ 「今のは本当ですか?」 「ええ…教師も立ち入りが出来ないです。これは前々からあったルールですからね…数日で許可が出るのは難しいのでは」 グレンは珍しくも慌てる 確かにもう少し前に知っていれば、責任者に同行の申請を出して、今頃受理されているはずだった だがグレンはその事実を全く知らなかった こうなると測って、アランはわざとグレンに話さなかったのだろう そして、今更聞かされたところで、グレンにできることは少ない 「一杯食わされたと言うわけですな」 「そのようです…どうしましょうか…」 グレンはあまりのことに頭を抱えたくなるくらい困惑した 己の確認不足で起こってしまったがためなので、グレンもそれなりにショックを受けた グレンはノアから目を離してはいけないと仰せつかっていたと言うのに、なんたる不覚。 特に悔いる理由がもう一つ 「お二人の晴れ姿が見れないなんて…とても残念です」 「そこなんですね。はは、私も残念ですよ」 しょぼくれるグレンの肩を、グレイストンは立派な髭を揺らしながらポンポンと叩く 喧嘩を止めるためにここに来たはずなのに、最後は似ても似つかない、なんとも虚しい空気がその場に立ち込めていた 時刻は夕食時 昨日同様、昼食は取らずに部屋にこもっていたノアの元に、わざわざアランが迎えに来ていた ノアは恐る恐る扉を開く アランは隙間からのぞいていたノアに気づくと、扉の隙間に手を差し入れて半ば無理矢理ノアを引き摺り出した 今日も何かと理由をつけて夕食を断ろうと思っていたが、どうやら先手を打たれてしまったようだ ノアは嫌悪感で顔を歪めるが、アランは大して気にしてなさそうだった 「では、行くか」 「は、え、ちょなん、何ですかっ」 アランはそう言って逃すまいと、ノアの腕を引く 突然のことに驚き反射的に踏ん張ってみたが、努力虚しく全く効果はなかった 何度か名前を呼ぶが、アランが止まる気配はなくズンズンと進んで行く そばで見守っているグレンも困ったように微笑んでいるのを見て、すぐにノアは諦めた 今日もまたあのだだっ広い個室で、喉を通らない食事をちまちまと食べなければならないのか そう思うとノアはゲンナリしたが、アランが向かったのは、いつものアランの個室ではなかった 「え?食堂で食べるのですか?」 「ああ。お前はよくそうしているだろ」 「お兄様食べるんですか?」 「リフェクトリーは下級貴族向けだろう。俺は食べない」 「なら、どうして、ちょっとっ!」 簡単にそう言い放ったアランは、冗談を言っているようには見えない いたって真面目に、そんな事を言っているのだ なぜ自分は食べないのに、わざわざ食堂え?いつもの夕食は個室で食べていたじゃないか ノアは彼に何故だと聞きたかったが、それよりも先にアランは食堂の扉を潜った 腕を引かれているので半ば無理矢理の形で、ノアも扉を通る その瞬間がやがやとしていた食堂全体がしんと静まり返る 先ほどまで談笑していた生徒たちが、一斉にノアたちを見ていた それもそうだ お高く止まっている上級貴族が、こんなところに来ること自体珍しい事だ さらに隣にいるのはオメガとなれば、皆無視はできないだろう だがアランは向けられた視線などお構いなしに中へ入っていく ノアは注目されるのが嫌だった もう手遅れだろうが、それでも無意識に顔を隠すように下を向いてしまう 「あの、いつもの個室に行きませんか?皆僕のことを睨んでます…」 「気にするな」 「無理です。嫌なんですあなたと食べてるところ見られるのは…聞いてますか?」 ノアは慌ててアランを止めるが、当の本人は聞く耳を持たない そのうち騒ぎを聞きつけた料理メイドがカウンターから顔を覗かした その中の、ノアと仲のいいおばちゃんと目が合ってしまった 「あらノアおぼっちゃ……ヴァ、ヴァロワご令息様…」 見知ったノアを見つけた途端、おばちゃんは嬉しそうに手を振ろうとするが、隣にいるのがアランだとわかると、一瞬にして顔を強張らせた 彼女が驚くのも無理はない ここに来る者はほとんど下級貴族のため、彼女たちはアランほどの貴族に対面することはごく稀だ 時々冷やかしに上級が来るが、その度に良くない騒ぎが起きるので、警戒してしまうのも必然だった 可哀想になるほど小さな声で、形式上の挨拶を交わすと、そそくさと顔を引っ込める 今までノアがヴァロワ家だと言っていなかったので、アランといるのがあまりに衝撃だったようだ ノアの顔をチラチラと見ていたが、その後も声をかけられることはなかった 「それで、お前はいつも何を食べるんだ?」 「ねぇ、やっぱりやめましょう。僕いつもの場所で食べたいです」 「あそこで食べると食いつき悪いだろう?ここだと良く食べるんだろ」 それはそうだけど、あんたがいちゃ意味ないんだよ ノアはそう思うと同時に足を止める 急に止まったため引かれていた手がくんっと張った 今まで前を歩いていたアランも、ようやっと立ち止まってノアを見る 「これは嫌がらせのつもりですか?」 「違う。お前が何も食べないと聞いて」 「いつものところで食べたいです」 アランの言葉を遮るようにもう一度同じことを言った ノアは小さくため息を吐く あまりに傲慢で、面倒なアランの行動にノアは辟易していた そんなノアの表情を見たアランは、言葉を詰まらせてしまった 彼のお節介は今に始まったことじゃない 事あるごとに裏目に出ていることに本人が気づいていないのも今更だ だからと言って彼の思惑通りになるほどノアも大人しくはなかった 「…場所を変更しよう」 「すぐに準備いたします」 ノアの堂々たる物言いに負けたのはアランの方で、ぼそりとそう言うと、グレンがすぐに準備に取り掛かった その間にアランはノアを連れ、いつもの個室に向かう その様子を見ていた生徒たちは、一体何がしたかったんだと不思議そうにしていた もちろんノアも同感であり、アランが何をしたいのかよくわからなかった ディナーに誘われるならまだしも、アランが毛嫌いしている食堂に行くなんて、初めてで動揺していた おそらくは、昨日ディナーを断った腹いせか埋め合わせか、そんなところだろうとノアは肩をすくめた こんなところで言い争うのも好ましくない ノアは大人しくアランに着いて行った 「体調はどうだ」 カトラリーの小さな音さえ鮮明に聞こえるほどの静寂を切ったのはアランだった ノアは相変わらずムスッとした顔で鬱陶しそうに答えた 「いいですよ」 「今日も昼食を抜いたらしいな」 「ええ、まあ」 適当な返事をして再びノアは食事を再開する アランは無理矢理連れてきたことで機嫌が悪いとわかっているはずだ それでもなお、アランはノアをわざと煽るように言う 「どうせ仮病だろう」 「…だったらなんです?また説教ですか」 「アシュフォードと何かあったんだろ」 「お兄様に関係ありますか?」 図星を突かれ、らしくなく語気に力が入る 確かにルイスとは気まずい状況だが、それをアランにどうこう言われる筋合いはない どうせまた、奴は信用ならないとか言い始めるのだろう。そうに決まっている ノアはうんざりした気持ちで、早くこの場から去ろうと食べるペースを早めたが、次に出た言葉にノアは驚き咀嚼を止めた 「ないな。だが、お前に活気がなかった」 「…はい?」 ノアは驚き、口に運ぼうとしていたキッシュはフォークに乗ったまま空で止まった まるでノアを心配するような言い振り これまでのアランの態度からは、想像もできない言葉だった 「僕に活気がないのは、いつものことでしょう?」 「俺はお前の兄だ。違いくらいわかる」 「兄って…関わり合ったのはここ数ヶ月そこらでしょ」 今度はアランがノアの言葉にムッとした 「それでも血が通っていることに変わりはない。なんだ、心配してやっているのにそれすらも迷惑がるのか」 ついにアランから心配という言葉が出てきてノアは疑問に思う あまりにもアランらしく無い言動に対し、ノアの気持ちは思わぬ方向に眩んでいった 「…僕を揶揄っているのですか?」 「どうしてそうなる」 「だって、あなたが望んだ通りですよね?あれほどルイス先輩と距離を取れってうるさかったくせに、いまさら心配になった?何を心配する必要がありますか」 「そうじゃない俺は…」 「だいたい、同じ血なんて半分しか通ってないではないですか。それにあなたと僕では待遇が全く違うんですよ。それで兄面されても、いっそう僕が惨めになるだけです」 「ノア」 ノアは持っていたフォークを強く握りしめる 捲し立てるような言葉は、裏腹に淡々と紡がれる だが、その片鱗からは苛立ちが滲んでいた 何かがアランに酷く嫌悪感を抱いている ノアはその正体を知っているが、自分では止められないほど、膨大に膨れ上がってどうしようもなかった ノアは最後のトドメを突くかのように、一息ついた後口を開いた それはノアの髄の奥に染みついた憎悪からついて出た言葉だった 「この際言いますが、僕はあなたのこと兄と思ったことは一度も」 「ノア様!」 ノアの言葉を遮ったのは、そばで待機していたグレンだった グレンはいつも見守る立場であるが、こればかりは見てられなくなったのだろう 言ってはいけないこともある、などと言うが今がその時のようだ グレンは険しい表情で目を細めていた ノアにこれ以上は言うな、と圧をかけているようだった ノアはそれに対してさらに怒りが湧いた なぜ自分が悪い雰囲気になるのだ ノアは事実を言ったまでで、今まで言わなかっただけでずっと思っていた 関係を遠ざけるような行動をしたのは向こうで、我慢し続けたのはノアの方だ たかだか不満を言っただけで責められる筋合いはない そんな理不尽があってたまるか グレンから目を逸らすようにふと顔を上げると、酷く顔を歪め、俯くアランが見えた 寸前に止めたものの、ノアの言わんとしていることは理解したはずだ 罪悪感がないわけじゃない だがノアは謝る気などなかった 自分は悪くない。だから被害者のような顔するアランも、責めるように見てくるグレンにも納得ができなかった 対するアランはノアに反論しようともせず、ただ俯いて聞いていた ノアの言葉を受けアランは今までを振り返った 本当に自分はノアを理解しようとしていたか 兄という立場を使って圧をかけていただけではあるまいか 今更になって後ろめたさを感じる アランを射るように睨みつけるあの碧眼を、まともに直視なんて出来なかった 「お疲れでしょうから、今日はもうお戻りになりますか」 空気を読んだグレンがノアの退出を促す ノアは煮えきらない感情はそのままに立ち上がるが、アランは最後にノアを呼んだ 「ノア」 「はい」 「パーティは…無理に出席しなくていい」 「いえ、大丈夫です。心配せずともちゃんとやりますよ」 ノアは投げやりにそう言い放つ なんの情けか知らないが、後々小言を言われるのも面倒だった 不機嫌を隠すこともなく、ノアはそのまま部屋を退室した グレンは心配そうに最後にアランを見やる アランは深く傷ついたように、暗い表情をしていた グレンは何か励ましを言えないかと迷ったが、きっと余計に虚しくなるだけだろう グレンはぐっと唇を噛み締めてから、深々とお辞儀をしてその場を去った ついにその場にはアランだけが残る 食べかけのディナーを前に、食事が捗るわけもなく、ただただ小さなため息が漏れるだけとなった

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