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第20話:サラブレッドをやめる日(攻視点)

 店の前につくと「臨時休業中」の貼紙がしてあった。 「朔太、ありがとう」  ここからは、俺の問題だから俺が行かなくちゃいけない。  朔太は、公園で待ってるから、何かあったら呼んでくれと言って手を振った。  貼紙をしてあっても鍵はかかっておらず、ドアはカランカランと音を立てて開いた。  店の一番奥の席に、母親と父親が座っていた。背後でドアが、カランカラン、バタンと閉まった。  * * * 「何から話せばいいのかわからないんだけど……とりあえずアンタに言っておくこととして……」  俺が席につくと、母親が気まずそうに口を開いた。 「アンタは、淫乱サラブレッドじゃないよ」  ──どういうことだ。何が言いたいんだ。  眉間にシワを寄せる俺の表情に気づいたのか、母親はちょっと気まずそうに言った。 「あたしたちがどんな人間であっても、アンタは、縛られなくていい」  縛られない、世間に溶け込めるような親だったら、どんなによかったか。  無言のままの俺の言いたいことに気づいたのか、母親は続けた。 「……言いたいことはわかるよ。でもあたしは、家の事情もあって、高校卒業したらすぐにAV《この》業界に入ったんだ。やっぱり普通の仕事はできなかったと思う」 「それで、ついでに話をすると、なかなかAVだけで食っていくっていうのは難しかったし、売れる保証もないし、同時にSMクラブで女王のバイトしてたんだ」  だからSMものが多いのか……。 「そこで、年齢ごまかしてバイトでM男やってたのが……」 「僕なんだ」  それまで黙っていた親父が口を開いた。  ──初めて知ったぞ! 今ではヤリチンやってるこいつがM男のバイト? 「それで、私専用のM男として、まあちょっと二人セットで人気になったんだよね。それで、あたしはこいつと付き合うようになって、冬真が生まれたわけ」  ──はあ。そうだったのか。  親父が取り繕うように慌てて言う。 「あ、あのね誤解があるかもしれないんだけど、SとMとは、大きな信頼関係があって初めて成立するものであって、専用のMともなると、その絆は絶大なものなんだ。仕事でMをやっていただけじゃなくて、僕は本当に桃ちゃんを心から愛し、信頼するからこそ、よろこんで鞭をもらっていたんだ」 「Sはね、Mの全体を愛するからこそ、すべてを支配したいと望み、Mが全幅の信頼を寄せてその支配の証を受け入れる姿を見ることで、愛情を感じるわけで……」  二人そろってSMについて語り始めたぞ。 「でまあ何が言いたいかというと、あたしたちはちゃんと結婚していたわけよ」 「その間、僕も他の女の人とは、一切関係持っていなかったから!」  母親は顔を赤らめて照れながら言い、父親は当然のことをなぜか胸を張って力説した。  余分な情報が多すぎるが、要するに愛し合って結婚していたんです、ということが言いたいのか。 「でも、アンタが小さい頃に、あたしのAV女優仲間が、塁にべろんべろんに酒を飲ませた上に薬まで盛って、寝取ったのよ!」  ──そんなことがあったのか。まあでもそのくらいなら父親には情状酌量の余地があるのではないだろうか。  しかし父親は、恍惚とした表情で言った。 「それで、その時桃ちゃんにもらった、おしおきの味が忘れられなくて……」  母親は怒りながら続きを引き取った。 「……こいつは、他にもいろんな女を引っかけて寝るようになったのよ!」  だから、離婚したのか。「おしおき」をしてしまったら「ごほうび」になってしまうから。  もう何も言うまい……。俺はただ黙って二人の会話を聞いていた。 「こんな悪いことをすれば、桃ちゃんにおしおきしてもらえる……。そう思うと興奮して……」  父親の表情が、もっと恍惚とし始め、ポワワ~ンとなっている。  ……。 「それを続けて、今に至る、ということなのか?」  俺は言った。  なんと、これまでの俺の人生は、壮大なるSMプレイの一環だったのか。 「……ごめんなさい……」  二人ともうなだれながら、素直に謝った。 「二人とも……、ダメ人間だな……」  イケメンだから、恋愛が多いのは仕方がない。AV女優だから家庭を持てないのは仕方がない、その間に生まれた俺が、ドスケベなのは遺伝だから仕方ない……。そう思っていたが、単純にこいつらは、弱い、ダメな人間なんだな……。 「僕たちが、社会的にちゃんとできない大人なせいで、冬真には苦労をさせたし、僕たちのせいで傷つくこともあったと思う。……本当にごめん」 「私も、仕事を言い訳にして、親であることを引き受けていなかったと思う。……今更と思うかもしれないけれど、ごめんね……」  二人そろって、うなだれるように頭を下げた。  こいつら、本当にしょうもないな。 「お前ら、謝るだけじゃなくて、ちゃんと……。今からでもちゃんとしろよ……っ」  俺が声を張ると、親父は、脇に置いてあった紙を広げた。 「わかってる。だから僕たち、再婚することにしたよ」  婚姻届に、もう二人の署名が記入してあった。 「あたしもAVやめるわ。年齢的にもとっくに潮時だしね」  ──そうか……そうか……。  俺が色々なものを飲み込んで、うつむきながら、 「……こんな……こんなんで、俺が簡単に許すと思うなよ。まずは書類出してマジメに暮らしてみろよ」  と言うと、母親は、 「うん、……わかってる」  とかすかに微笑んだ。 「で、まあ最初に話が戻るけどさ、私たちこんなダメ人間だから、サラブレッドなんかじゃないよ。あんたは好きなように恋愛していいから」  最初の話は、そういうことが言いたかったのか。 「昨日、朔太君に会って怒られたんだ。『サラブレッド』って言われるがままにしておくことで、呪いをかけてるって……いい子だね。見た目はかわいいけど、私なんかより大人だし」 「サラブレッドの話の時は、桃ちゃんはいなかったから、悪いのは僕なんだよね。相手に気があるかどうかなんて、なんとなくわかるんだから、用心深くしていれば、冬真が殴られることも、学校で無視されることもなかったかもしれない」 「……もう、いいよ」  俺は、自分が今、怒っているわけではないということに気づいた。色んなことを、ちゃんと話してもらえたと、初めて思った。  俺は俺で幸せになれるということを、朔太が教えてくれた。後は、自分でも何が言いたいのか、うまく言葉にできない。 「これからは、ちゃんとするんだぞ」  俺はそれだけ言って、店を後にした。  公園に行くと、朔太がスマホを見ながら待っていた。  俺は朔太に走り寄って抱きついた。 「わわっ! ……どうだった?」 「再婚、するって……」  俺は抱きついたまま言った。  朔太は、俺の肩をつかんで、顔を見上げると、とびっきりの笑顔で、 「そうか! よかったな!」  と言った。  何の屈託もなく言える朔太がまぶしい、うらやましい。  俺は、言えなかった。  本当に朔太は俺の太陽だ。  俺は朔太の肩に頭を乗せたまま、ぼろぼろ泣いた。

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