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薔薇が咲く日2
約束をした月曜日の午後。薬井さんが来るのをコーヒーを飲みながら待っていた。こうやって約束の日を待って、その相手が来るのを待つのなんて何年ぶりだろうか。
千屋とは時間を約束して会ってはいるけれど、千屋の場合は仕事だから違う。
こうやって日時を決めて人と会うのが久しぶりだというのは人見知りなこともあるけれど、仕事が不規則に忙しいので人付き合いというのは後回しにしているからだ。
そうやって薬井さんを待っていると少しドキドキしたりして、まるで恋人を待っているみたいだ。男相手におかしいだろ、と自分に突っ込みを入れる。
そうしていると着いたと連絡が入り、急いで下に降りる。
「お待たせしました」
前回と同じように車で迎えにきてくれた。
少し恥ずかしそうに笑うその表情が、まるで付き合いたての恋人同士みたいだなと思う。なんだか薬井さんのその笑顔に少しの甘やかさを感じるのだ。その笑顔を見るとなんだか恥ずかしくなってしまう。
「2ヶ所あるけど、どっちに行きますか?」
「どっちがいいのかわからないので、お任せしてもいいですか? できたら散歩できるといいですけど」
「そしたら、珍しい薔薇が見られる方がいいかな。なかなか見られない青い薔薇があるので」
「そうですか。じゃあそっちで」
「はい」
そう言って車を出す。どの方向へと行くのだろうと思っていると、薬井さんが住んでいる市の方へ通じる道へと向かっている。
散歩ができれば、と言ったのは普段あまり歩くことがないし、今日だって久しぶりの外出だからこういうときくらいは歩きたいと思ったのだ。
しかし、車の中は静寂に包まれている。考えてみたら、メッセージのやり取りはしているものの相手はまだ3度目なのだと気づくと今さらながらに緊張感が押し寄せてくる。
「なんだかデートみたいで緊張しますね」
俺の緊張感なんてどこ吹く風で、どこか浮かれたような言葉が聞こえてくる。
いや、男同士でデートもないだろう。
「デートもなにも付き合ってないですし、なんなら男同士です」
「そうだけど、好きな都谷さんと時間決めて出かけるのってデートになりません?」
すっかり忘れていたけれどメッセージのやり取りをしていて「好きです」なんて送ってくるような人だった。
もちろん、この場合の好きというのは作家としての俺だと分かっている。分かっているけれど、言葉のチョイスが普通の人間と少し違うのだ。
悪い人間ではない。千屋が言っていた通り人畜無害そうだ。しかし、そんなことを普通の人間に言ったら驚かれる、という世間一般の常識が欠けているのではないかと思うことがあるのだ。
「それ、知らない人間が聞いたら誤解するので外ではやめてくださいね」
「誤解じゃないんですけど、まだ早いかな」
と訳のわからないことを言う。これ以上言っても仕方がないと思い口を閉ざす。
「原稿、大丈夫ですか?」
運転をしながら薬井さんが訊いてくる。
「ひとつあがったので。長編を書き始めないといけないけど、少し息抜きしたいので。この1週間引き籠もりになっていたから」
「引き籠もるほどって大変っていうことですね」
「まぁ自分で自分の首絞めたので仕方ないですよ」
「ドラマの脚本でしたっけ。脚本までやるって凄いなと思って」
「いや、脚本家に任せれば良かったんですけどね」
「でも、ファンとしては楽しみが増えたことなんですけど、でも体に気をつけて頑張ってください」
「薬井さんは大丈夫なんですか?」
「今はイラストの仕事中です。そのあとは個展があるので個展の準備をします」
「個展あるんですね。そのときは教えてください。見に行くので」
そう言うと薬井さんは恥ずかしそうに笑った。
「先生に言われると嬉しいけど恥ずかしい」
頬が赤くなっていて、本当に恥ずかしいのだとわかる。絵を見られるのは仕事柄あることなのに俺に見られるのがそんなに恥ずかしいのだろうか。行くというのは社交辞令でもなんでもなく、ほんとに見に行くつもりでいる。あの画集を見たときの衝撃が今も忘れられないのだ。あの衝撃をもう一度感じたいと思う。それくらい俺はこの人の絵が好きだと思っている。
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