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 薄明るい日差しが差し込む午前六時過ぎ。フィルはリースの眠るベッドのそばで、じっとその顔を見つめていた。 (その、フィル……) (はい) (もし、例の件が上手くいったらなんだが……今宵、ともに月を見てはくれないだろうか)  記憶に新しいはずのその言葉が、やけに遠く感じられる。  昨晩、重症の状態で見つかり、慌てて連れ帰った館で手当を施したあとから、リースはまだ一度も目を覚ましていない。その間、フィルは片時も離れずリースのそばについていた。  本当なら今ごろ、自分たちは世界一幸せな気持ちで朝を迎えていたはずだった。なのに、リースは目を覚まさない。フィルは一睡もできていない。  リースに息があると知ったときには、大袈裟でなく死ぬほど安堵した。しかし、依然として目を覚ます気配のないリースを見ていると、段々とまた不安な感情が強まってくる。もしやこのまま二度と目を覚まさないのではと、過った最悪な思考に心臓がねじれるような痛みを覚えた。 「坊ちゃま……」  そっと、眦に触れてみる。心なしか、ひんやりと冷たい。 「……坊ちゃま」  もう一度呟いて指先を滑らせたそのとき、ぴくりとリースの瞼が震えた。  驚いてフィルは目を見開く。前後してくっと眉を寄せたリースが、そろそろと瞼を持ち上げた。 「坊ちゃま!」  リースが目を開き切るよりも早く、フィルは横たわる体を抱きしめた。 「坊ちゃま! 坊ちゃま! お気づきになられたのですね!」 「ん、んん……ここ、は……」  耳元で発せられた掠れた声を聞いて、本当に意識が戻ったのだと泣きそうになった。 「坊ちゃま……ここは坊ちゃまの寝室でございます。覚えておられませんでしょうか。昨夜、坊ちゃまのお乗りになった馬車が何者かに狙われて――」  腕を緩め、説明しながらリースの顔へと視線を向けたそのとき――思わずふっと言葉が途切れた。ぼんやりとした表情でこちらを見つめるリースの瞳を見て、恐る恐る問いかける。 「坊、ちゃま……?」  震える声に反応して、リースがゆっくりと目を瞬いた。  見覚えのないエメラルドグリーンの瞳が、消えて、また現れる。 「ここは、どこ……? 坊ちゃまって……? おじさんはだあれ……?」  訥々と尋ねられ、さっと肝が冷えた。  ――おじ、さん……? 「ぼ、坊ちゃま……。あなたは、リース坊ちゃまであられますよね……? だって昨日、お体を拭いて差し上げた際に……」  言うが早いか、フィルは「失礼いたします」とリースのネグリジェを捲る。 「わあっ」  普段のリースに似つかわしくない間抜けな声を上げて、リース――と思しき少年が腕を閉じる。リース――と思しき少年が、やはりリースで間違いないということは、右の横腹にちょこんとついたほくろの位置で確認して取れた。  掴んでいたネグリジェを離し、フィルはもう一度、至近距離でリースの顔を凝視する。 「……瞳が、赤くない」  どういうわけか、リースの瞳が緑色に変わっているのだった。

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