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 おずおずと、フィルはリースへと振り返った。きょとんと首を傾げられ、確かな違和感が込み上げる。 「ときに、フィル。これはあくまで伝説に過ぎないんだが……」  もごもごと口にしたウォーレンの言葉に、フィルは半信半疑で耳を傾けた。 「かつて、古記で読んだことがあるんだ。『満月が血で染まる夜、一頭の馬を生贄にし、悪魔との契を交わすことで、亡くなった魂を呼び覚ますことができる』と……」 「何っ⁉」  咄嗟に、フィルはウォーレンを見た。  満月が血で染まる夜。一頭の馬。一致する条件に、ぞくりと背筋が寒くなる。 「そ、それはどういうことです! つまり、今坊ちゃまの肉体に入っておられるのはっ――」 「いや、しかしこれは単なる伝説だ。そのような非科学的なことが本当に起こるとは思えない。きっと、ただの偶然――」 「ではこの瞳の色はどう説明するのです!」  思わず声を荒げたフィルに、ビクリとリースの体が跳ねた。  はっと我に返り、フィルは慌てて声を落とす。 「も、申し訳ございません坊ちゃま。私としたことが、取り乱してしまいました……」 「僕、大丈夫だよ! それより僕、何か悪いことしちゃったの……? おじさんたちに怒られちゃう?」  ぽそぽそと口にする姿を見て、違和感が確信となった。この少年は、リースではない―― 「おやめください、リース様。今は気が動転しておられるのかもしれませんが、あなた様の名はリース・ローズドベリー――この国の第四王子で間違いありません。亡くなった人間の魂が蘇るなど、ありえないのです。そのような幼い喋り方はやめて、王子として然るべき威厳を示してくださいませ」 「う……僕、そんなこと言われても……」  現実主義であるウォーレンに詰め寄られ、怯えたようにリースが肩を竦める。 「その辺にしとけよウォーレン。アイル様が困っちまってるじゃねえか」  ふと部屋の戸を開けて割り込んできたのは、かのクラウスだった。片手片足にぐるぐると包帯が巻かれており、右頬には大きなガーゼが貼ってある。 「クラウス! 目が覚めたのか!」  今日一番の大声を、ウォーレンが上げた。リース同様、クラウスも昨晩から意識を失ったままだったのだ。 「これだけ騒がしけりゃ目も覚めるさ。さておき、その坊っちゃまの正体だが……俺はアイル様に一票だな」 「何っ?」  問い返したウォーレンと揃って、フィルは眉を顰めた。  フィル自身、直感的にこの少年はリースではないと思っているが、そう言い切れる根拠はどこにもなかった。しかし、それを言うクラウスの態度はどこか確信じみている。 「どういうことです、クラウス。何か根拠があるのですか」  尋ねると、クラウスはひょいと肩を竦めた。 「いや、そこまでのものじゃない。――ただ、見たのさ。崖から落ちて意識が覚醒する直前、リース様の体に向かって真っ赤な月の光が差し込んでいるのをな。よくわからねえが、ただならぬ気配だったぜ」  ――月の、光……。 「はっ、馬鹿馬鹿しい。単に頭をぶつけて幻覚を見ていただけだろう」  取り付く島もないといった態度で、ウォーレンは切り捨てた。何を信じればよいのやら、フィルは困惑した瞳で二人を交互に見る。  ふいに、ちょんちょんとタキシードの裾を引っ張られリースへと振り返った。 「どうなさいましたか、坊ちゃま。どこかお体が痛まれるのですか」  優しく尋ねると、リースはふるふると頭を横に振る。間もなく、ぐううという音がリースのお腹から聞こえてきて、フィルははっとした。 「坊ちゃま……」 「あ、あのね、僕ね……ちょっぴりだけ、お腹が腹ぺこになっちゃったんだ」  もじもじと告げて、リースはフィルの服の裾を掴んだまま、上目遣いにこちらを見上げた。あまりにも幼気なその瞳に、フィルは頭痛が痛くなるような思いがした。

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