17 / 74

2-9

 クラウスは苦い表情を浮かべて口を噤んだ。  ……ウォーレンの言う通りだ。彼がもし、悪魔との契によって呼び覚まされたアイルだというのなら、肉体の主であるリースの魂はどこに消えてしまったというのだろう。  ――まさか、入れ替わりで消滅してしまったなどということは……。  過った最悪の予感に、フィルは絶句した。  黙り込むクラウスを一瞥して、ウォーレンはリースへと向き直る。 「何度でも言います。あなた様の名は、リース・ローズドベリー。決してアイル様などではありません。よろしいですね?」 「うっ、うう……っ」  数回、喉をしゃくらせるようにして、とうとうリースは泣きだしてしまった。 「僕……っ、僕っ、ほんとにリースお兄ちゃんじゃないのにっ。ほんとなのに……っ」  涙ながらに訴えるリースを、フィルは閉口して見つめる。リースの口から発せられる『リースじゃない』という言葉を聞くたびに、突き刺さるような痛みを胸に覚えた。 「おい、どうすんだよウォーレン。アイル様、泣いちまったじゃねえか」  指摘したクラウスを、ウォーレンはキッと睨みつける。 「おまえ、次にアイル様と呼んでみろ。国家反逆罪で打ち首にしてやるからな!」 「けっ。んだよそれ。――おいフィル。おまえはどう思ってんだ。これが単なるリース様の悪ふざけだと思うのか」  話を振られ、フィルは戸惑った。 「い、いえ、私は……」  これが、リースの悪ふざけだとは思えない。しかしそれと同じだけ、彼がアイルであるという事実は信じられなかった。それを認めることが、同時に、リースの魂の消滅を意味するというのなら、なおさら―― 「しっかりしろ、フィル。おまえまで一緒になって惑わされてどうするんだ。おまえはリース様の執事なんだろう。誰よりも、リース様であることを信じるべきなんじゃないのか」  目を見てウォーレンに訴えかけられて、フィルはたじろいだ。 「それはもちろん、その通りですが……」  訥々と返答しつつ、ちろとリースの顔を見る。縋るような眼差しを向けられて、またうっと言葉に詰まった。 「フィル」  ウォーレンが一歩、詰め寄ってくる。  フィルはリースから視線を逸し、ぎこちなく首を縦に振った。 「……ウォーレンの言う通りです。魂が蘇るなど、絶対にありえません。この方は、リース坊ちゃまで間違いないでしょう」  静かに言い切った直後、リースがまた一際大声を上げて泣き始めた。  ウォーレンはほっとしたように肩を下ろす。クラウスは黙って、こちらを見つめていた。  混沌とした状況に、フィルはかつてない息苦しさを覚えた。

ともだちにシェアしよう!