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「それではアイル様。夕方には戻りますので、くれぐれも一人で館を出たりしないように。――頼みましたよ、ウォーレン」
翌日、フィルは昼食を済ませるなり玄関へと足を運んでそう言った。隣には、包帯でぐるぐる巻きのクラウスも杖をついて立っている。
「ああ、もちろんだ。気をつけて行ってくるんだぞ」
告げたウォーレンに続いて、アイルも元気な声を出す。
「僕、お利口さんにしてるよー!」
今朝のアイルはご機嫌で、フィルは苦笑を一つ零して館をあとにした。
怪我人であるクラウスの歩く速度に合わせて馬車に乗り込み、フランツに運転を開始してもらう。馬車内のカーテンは、あえて閉めなかった。
「なあ、フィル。さっきの話は本当なのか? 昨夜、リース様がおまえの部屋に訪れて、話をしたって」
二人きりになるなり、すかさずクラウスが尋ねてきた。
「ええ、もちろん。さきほどみなさまにお話したことは、全てありのままの事実です。私はリース様から預かった言伝を、そのままお伝えしたまでです」
昨夜リースと話した際に、「みんなにもアイルのことを頼むと伝えてくれ」と言伝を預かっていたのだ。
フィルはリースの指示通り、今朝一番にその事実をみなに報告した。リース直々の頼みであるとならば逆らえるはずもなく、今ではウォーレンもきちんとあの少年に対しアイルとして接している。ゆえに、今朝のアイルはご機嫌だったのだ。
「でも、だとしたらよ。一日三十分以外、リース様はずっとアイル様に体を乗っ取られちまってるってことだろ。それって、要するに悪魔との契みたいなもんなんじゃ――」
「いいえ、違います」
たじたじと口にするクラウスに、フィルはきっぱりと否定した。
「さきほども説明したとおり、リース様は悪魔との契など交わしてはおりません。リース様ご本人が、これは奇跡だとおっしゃられたのです。ですからクラウス、そのような不謹慎な発言はお控えください。アイル様は何も、リース様の体を乗っ取られているわけではないのです」
昨晩、咄嗟には信じることができなかった事実。フィルはそれを、毅然としてクラウスに言い聞かせる。
リースと約束したからだ。アイルを大切にすると。そして、その他館の使用人にもそうしてもらえるように、必ず説得してみせると。
そしてフィル自身、いよいよこれが現実なのだと理解しつつある。なぜなら昨晩、リースは二時三十分になるなりふっと魂が抜けたかのように、瞼を閉じて動かなくなってしまったのだ。
慌てて肩を揺すり、呼びかけると、薄っすらと開かれた瞼の隙間から緑色の瞳が現れた。あのときの絶望感は、筆舌に尽くしがたい。
数分間、寝ぼけたようなアイルと見つめ合ったあと、フィルは静かにアイルを抱きしめた。そのままそっとその体を持ち上げて、リースの寝室に運ぶと、優しく布団をかけて寝かせてやった。
……アイルを大切にしてやってくれ。その一言が、フィルをただ絶望には浸らせなかった。
リースの愛する双子の弟。 リースと限りなく近い遺伝子を持つ者。そんなアイルを邪険に扱うことは、フィルにはできなかった。
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