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 フィルの懸念はよそに、家庭教師ウォーレンは嘘偽りない事実を淡々と告げる。 「去勢とは生殖器を切除し、取り去る手術のことです。生殖器とは要するにペニスのことで、ピーチップ王国憲法第六九条、去勢推進法の定めるところにより、多くのペニンダはこの去勢手術を施しています」 「ええ! ペニンスのペニダを取り上げちゃうの? それってどうして? 可哀想だよ!」  声を上げて訴えたアイルに、クラウスがぶっと吹き出した。 「ペニンスのペニダっ」  こっちはそれどころではないにもかかわらず、「俺らペニンスだってよ」と肩を組んでくる。  ペニンスでもペニダでも、今はそんなことどうでもいい。頼むからアイルに警戒されるようなことは言わないでくれと、フィルは祈るような気持ちでウォーレンを見た。  ちらと視線を合わせたウォーレンが、やがてまたアイルへと向き直る。 「アイル様。ペニンスのペニダではなく、ペニンダのペニスです。可哀想と仰られるアイル様の優しさは大変ご立派ですが、ペニンダの去勢には生物的特徴や社会規範などの事情が複雑に絡んでおり、今では必要不可欠な法律となっています。また、ペニンダは去勢手術を受けることで発情によるストレスを軽減することができ、健やかに生きられるというメリットもあります。クラウスやフィルが抑制剤を服用するのも、その一環です。彼らは自分自身を律し、きっちりとコントロールするために、日々欠かさず薬を飲んでいるのですよ」  家庭教師然とした説明に、アイルは「ほえ~……」という腑抜けた相槌を打つ。多分、いや絶対に理解していない。 「ねえねえ、それじゃあフィルやクラウスは、お薬を飲んでいないとどうなっちゃうの?」 「それは……」  何のかんのここまでペニンダの犯罪性には触れずに話してきたウォーレンが、ここにきてうっと答えよどんだ。  これ以上どう説明するんだと息を呑んだ次の瞬間、思いがけずクラウスが口を開く。 「それは飲むのをやめてみないとわからねえな。だが俺たち去勢していないペニンスは、薬を飲まないと狼に変身してエーナやディオを食っちまうって噂もあるんだぜ」 「えー! クラウスとフィル、狼になっちゃうのーっ⁉」  目を大きく見開いて、アイルが驚いた声を上げた。ニタリと笑って、クラウスは肯定する。 「ああ、そうだぜ。夜になると鋭い爪と牙が生えてきて、アイル様のことをガブッと――って、イテッ」  あることないこと吹き込むクラウスの頭を、ウォーレンが小突いた。 「クラウス。何テキトーなことをぬかしてやがる。アイル様が信じてしまわれたらどうするつもりだ」 「はは、いいじゃねえか。あながち間違ってるとも言えねえだろ」  ケロリとした態度で言うクラウスに、「おまえなぁ……」とウォーレンは呆れた顔をする。 「わー! 狼さんだー! 食べられちゃうよー!」  言いながら走り出したアイルは全くもって怯えている様子はなく、むしろクラウスの話を聞いてきゃっきゃと楽しんでいるようだった。……意外にもクラウスは、子どもに好かれやすいタイプだったらしい。  しかし、たとえ中身がアイルだとはいえ、リースの姿をした状態でそんなふうにクラウスと戯れているところを見るのは、正直あまり面白くない。ひとまずペニンダを警戒されるという事態は免れたらしいが、フィルはなおも複雑な心境で薬を口に運んだ。

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