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 俯いて黙り込んでいると、思いがけず両手で頬を包み込まれた。 「顔を上げてくれフィル。貴重な三十分、俺はもっときちんとおまえの顔が見たい」 「っ……」  ぐっと、喉の奥が引き攣った。込み上げた涙を必死に堪え、そろりと頭を擡げる。 「私も……私もでございます、坊ちゃま。坊ちゃまのその瞳を、もっとよく見せてくださいませ」  要望に、リースはふっと目を細めて笑った。愛おしいその仕草だが、フィルの要望とは裏腹に、深い真紅の瞳が半分ほど隠れてしまう。 「坊ちゃま、目を細められては瞳が見えません」 「すまないな。おまえがあまりにも必死なもので」  揶揄うような口調には、それ以上に甘い、あやすような響きが混じっていた。 「当然です。ずっと、坊ちゃまがお目覚めになるのを待ち焦がれていたのですから」 「……そうか。それはやはり、悪かったな」 「そんな……」  せっかくの三十分、二度も同じやりとりをしている時間はない。フィルは頬にあてがわれた手を優しく引き離し、それからそっと指先にキスをした。 「おかえりなさいませ、リース坊ちゃま」 「……ああ。ただいま、フィル」  ゆっくりと触れていた手を解くと、二人して静かに微笑み合った。  リースがいる。ここにいて、自分に微笑みかけてくれている。たったそれだけの事実が、フィルの生きている意味になる。 「聞いていたぞ、フィル。作戦が成功したようだな。苦労をかけてすまなかった。協力してくれてありがとう」 「滅相もございません。私はとうに、坊ちゃまに忠誠を誓った身でございます。坊ちゃまのお望みとあらば、命をも喜んで差し出しましょう。……このたびは誠におめでとうございます。これでようやく、後継者争いとは無縁の平穏な生活を送ることができるのですね」  しみじみと告げたフィルを、リースは無言でじっと見つめる。ややあって、「ありがとう」と同じ言葉を繰り返した。 「おかげでアイルの安全を確保することができた。クラウスにもぜひ、礼を伝えておいてくれ」 「……かしこまりました」  返事する声が、意図せず暗くなった。  ――アイル様の、安全……。  薄々察してはいたが、やはり、今度の作戦はリース本人のためではなく、アイルのためというのが大きかったようだ。  もちろん、アイルの安全が確保されたのは喜ばしいことだ。しかし、これまでずっと二人で夢見続けてきた、地位や権力とは無縁の館での暮らし――それが、リース本人にとってほとんど自分事ではなくなってしまっているという事実に、深い切なさを覚えた。 「また俯いている」  静かな声を聞いて、フィルははっとした。 「も、申し訳ございません、坊ちゃま。……気をつけます」  いけない。せっかくリースと一緒にいるのに、こんな暗い空気――。落ち込むのは自室に帰ってからで十分だ。

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