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咄嗟に、フィルは奥歯を噛みしめた。
「ムカついたか。ムカついたなら俺を殴ればいい。去勢していないペニンダは凶暴だからな。抑制剤がなければろくに理性も働かないんだろう。だったら今すぐ俺を殴れ!」
あからさまな挑発に、フィルは閉口した。抑制剤の汚れが落ちきったのを確認して、無言で水栓を閉める。
「おい、何を無視してやがる。ろくに口も利けなくなったか」
「……いえ。仰ることがごもっともだったので、反論できなかっただけです。それに、それだけペニンダの危険性をわかっていらっしゃるのであれば、この抑制剤がいかに重要なものかもよくおわかりでしょう」
直後、ばっと腕を伸ばしてきたウォーレンに手を払われ、持っていた抑制剤が転がり落ちた。
「っ、ウォーレン!」
ようやく振り返ったフィルを見て、ウォーレンはすっと目つきを鋭くする。
「ゴミ箱に廃棄されたものを食べるなんて下等な真似をする人間が館にいるのは不愉快だ」
「ウォーレンっ」
焦ったような声を、シモンが発した。
「……では、今ここで男根を切り落とせばよいですか?」
まっすぐとウォーレンの目を見て、フィルは訊き返す。
「できるならすればいい。一生、好きな人とまぐわえなくなってもいいのならな」
「っ――」
ぎゅっと、フィルは拳を握りしめた。
「……そんな未来、すでにあってないようなものです」
力なく口にして、視線を足元へと下ろす。床へと転がった抑制剤を眺めながら、ひどい虚無感を覚えた。
「自分で考えろ。もしこの場にリース様がいたとして、おまえにその廃棄された抑制剤を洗ってでも飲めと言うのか。――俺はクラウスを信頼している。だから間違っても、そんなものをあいつに飲ませたりはしない」
はっきりと断言して、ウォーレンは厨房から去っていった。
ぼうっとその場につっ立ったまま、フィルは昨晩、リースからかけられた言葉を思い返す。
(何より俺は、この世界で誰よりもおまえを信頼している)
「……っ」
腰を屈め、床に転がった抑制剤を拾い上げる。
「フィル……っ」
「お騒がせしてすみませんでした」
冷静になって、フィルはシモンへと謝罪した。
「あなた方エーナやディオに対し不謹慎な発言をしてしまったこと、心からお詫び申し上げます。……今晩は抑制剤を控え自室にこもっておりますので、時間になり次第リース様のお部屋へ行き、くれぐれも私の寝室には訪れないようお伝え願えますか」
「あ、うん……それは、大丈夫だけど……」
返事を聞いて、フィルは手に持っていた抑制剤をゴミ箱へと捨てた。
「ありがとうございます。せっかく美味しい料理を用意していただいていたのに、本当に申し訳ありません。……それでは、私はこのへんで」
抑制剤を飲んでいないペニンダとエーナが一対一という状況に配慮して、フィルは手短に話を切り上げる。踵を返し、厨房から退出する直前に、背後から声をかけられた。
「なあ、フィル!」
「……はい」
ぴたりと足を止めて、フィルは振り返る。
「俺、フィルのこと信じてるよ。それに、ウォーレンだってきっと……」
たじたじと口にして、シモンは切なげに俯いた。
「……お気遣い感謝いたします」
もう一度軽く頭を下げて、フィルは厨房をあとにした。
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