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「……フィル。おまえ、少しアイル様に甘すぎるんじゃないか」
アイルが机に向かって字の練習を始めたのを見るなり、こそこそとウォーレンが話しかけてくる。
「ご指導の邪魔をしてしまったのならすみません。お恥ずかしながら、せっかくアイル様が描いてくださった絵だと思うと、少し嬉しくなってしまいまして……」
「嬉しく?」
怪訝に問い返され、フィルは自嘲気味な笑みを零した。
「ええ……。アイル様を見ていると、不思議と心が温かくなるのを感じるのです。あの無邪気さを大切にしてあげられたらなと……」
抑制剤をすり替えたりなんてのは流石においたが過ぎるが、お絵かきくらいで気を悪くするほどフィルも狭量ではない。むしろペニンダであるフィルに対し、ここまで気兼ねなく接してくれるというのは嬉しいことだった。
もちろん、リースやその他館の使用人だって、ペニンダだからという理由でフィルやクラウスを差別的に扱ったりはしない。しかし、ペニンダの生態を知った上で差別しないのと、そもそもペニンダという性がどういうものなのか知らずに平等に接してくれるのとでは、また全く違う安心感があった。
いわば、館の人間はフィルを差別していないが、区別はしている。それは違った性質を持つ者同士が共存する上で絶対的に必要な境界線であり、平等や多様性などといった聞こえのよい言葉に託つけて有耶無耶にしてよいものではない。
アイルもいずれ、わかるときがくるだろう。自分とフィルとでは、持って生まれた性質が決定的に異なっているのだということを。わからなければならないのだ。わからなければ、エーナのように価値のある人間は悪い人間に騙されていいように利用されてしまう。
――でも、今くらいは……。
館という安全圏で生活している今くらいは、まだもう少し無邪気にフィルへと笑いかけてほしい。そう思ってしまうのは、きっとフィルが愚かで浅ましいペニンダだからなのだろう。
「……ところでウォーレン。あの夜、クラウスのほうは大丈夫だったのでしょうか。確か、包帯を換えているときに熱があったとか何とか……」
自分のことでいっぱいいっぱいだったために忘れていたが、そういえばあの夜は、クラウスも抑制剤を服用できていなかったのだ。片手片足を骨折している状況ではしばらくマスターベーションをしていなかった可能性も大いに考えられるわけで、だとしたらフィル同様、悲惨な一夜を過ごしたのかもしれない。
……と、どうしてか突然、ウォーレンの顔がぼっと赤く染まり上がった。
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