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「――悪魔との契」
聞き覚えのあるその単語に、フィルは思わず足を止める。話し声は、ウォーレンの部屋から漏れ聞こえているようだった。わずかばかり、ドアに隙間が開いている。
「あの伝説は本当だった。俺も初めは信じられなかったが……アイル様が蘇った日の夜、深夜二時を迎えるなり間もなく俺の部屋に訪れたリース様を見て確信した。俺の読んだ古記には、亡くなった魂を蘇らせた主が肉体に戻れるのは深夜二時から二時半までの間だと、はっきり記されていたからだ」
「何?」
怪訝な相槌を打ったのは、恐らくクラウスだ。
フィルは立ち止まったまま、じっとその場で息を潜める。
――アイル様が蘇った日の、夜……?
そういえばあの夜、リースは二時十五分を過ぎてフィルの部屋にやってきた。わずかな誤差はあれどリースが十分以上も遅れて覚醒したことは今までになく、そうなるとあの日、リースがフィルの部屋に来る前にウォーレンの部屋に訪れていたというのは納得がいく話だった。
「リース様は俺の部屋に来るなり、古記に記されていた内容を全て教えてほしいと頼んできた。アイル様が目覚めてすぐ、俺が口にした儀式の内容を聞いて、決して無関係ではないと思われたんだろう」
儀式の内容――。確か、満月が血で染まる夜、一頭の馬を生贄にして悪魔との契を交わすことで亡くなった魂を呼び覚ますことができる、みたいな感じだったはずだ。改めて思い返してみれば、冗談みたいに条件が一致している。
「……それで、古記には何が記されていたんだ? リース様が元に戻る方法は書いてなかったのか」
クラウスの問いに、大きく心臓が脈打った。
儀式のやり方や、契約主が一日三十分しか肉体に戻れなくなることなど、そこまで詳細なことが記されているのなら、悪魔との契自体を破棄する方法が載っていたって何ら不思議ではない。降って湧いたような一欠片の希望に、フィルは息を呑んで耳を澄ませる。
「……元に戻る方法なら、ある」
断定的に告げられた事実を聞いて、薔薇を抱える手に力がこもった。
淡い期待に、心臓が早鐘を打つ。しかし数秒後、先ほどにも増して断定的な口調でウォーレンは言ったのだった。
「でもリース様は、絶対にそれを実行しない」
愕然として、フィルは固まった。
――絶対に、実行しない……?
浮かんだばかりの希望と期待が、一瞬にして暗闇へと葬り去られる。
「なぜだ。リース様本人がそう言ったのか」
問われ、ウォーレンは即答した。
「言わなくてもわかる。リース様は実行しない。そして三日後の満月の夜、リース様はその肉体の所有権を完全に手放し、あの世に旅立たれる」
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