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第5話
抱き合った後、そのまま一眠りしていたのだが、不意に目が覚めた。瞼は重く開けてもすぐに閉じてしまう。何度か繰り返しながら、おむろに寝返りを打った。おぼろげな視界の中で、誰かがこちらに背を向け、白いシャツに腕を通している。
「…………んー……あれ……? ……中村さん……?」
「……あ、ごめん。起こしちゃった?」
「どうしたんですか……?」
掠れた声で尋ねれば、「始発も動き出すし、帰ろうかなと思って」と手を止めることなくさらりと告げた。寝起きの頭ではすぐに理解できず、しばし男の背中を眺めた後、慌てて飛び起きた。
「えっ! だって仕事っ…………」
記憶のネジを巻き戻しながら、そこまで口にしてはたと気づいた。そう言えば、彼の口から「今日が休日」だと一言も聞いていない。舞い上がって勝手に思い込んでいたことに気づいた時には、もう中村の身支度は整いつつあった。
「すみません! 俺、てっきり」
「井上君は何も悪くないよ。僕が来たくて来たんだから」
コートに手をかけた相手を見て、自分も急いで脱ぎ捨てた服を拾い集める。
「井上君は寝てていいよ?」
「そんなわけにはいきませんよ」
「一人で帰れるのに」
「こんな所まで連れて来させたんです。せめて駅までは見送らせて下さい」
「……井上君は優しいね」
「っていうのは建前で、本音はもう少し一緒にいたいだけです」
「………………」
不意を衝いたらしく男の手が止まった。その間にそそくさと支度を整えた。
玄関のドアを開けた途端、凍てついた空気が一気に押し寄せてきた。目が冴え、残っていた眠気も吹き飛んだ。盛大に吐き出した息は白く、低く唸りながら身震いする。夜が明けるにはもう少し時間がかかるようで、空もまだ暗い。
寝静まった街は人の気配すら感じられないほど静かだ。街灯の灯る道は革靴だけでなくスニーカーの足音までよく反響した。
半歩後ろを歩く中村へちらりと視線を向ける。身を縮こませながら、前を見つめる眼差しはどこかぼんやりとしている。話しかけるタイミングを見計らっていると、さすがに勘付かれてしまった。
「どうしたの?」と彼の瞳が問いかけてきた。
「あぁ、いや……そのー……また、飯食いに行きたいです。今度は本当に食べる『だけ』で」
取って付けたような口調になってしまったが、純粋に「食事がしたい」という気持ち自体に他意はない。ただ、このまま終わってしまわないように、次へと繋がるものを手にしておきたいという願望はある。
中村は一瞬目を瞠ると、すぐに破顔した。
「ご飯『だけ』ね。わかった。行こう」
二つ返事で頷く姿は、単なる社交辞令として流されてしまったようにも見えた。中村の隣に並び、少しばかり彼の傍へと寄る。
「次は中村さんの行きたいお店にしましょう。オススメのお店とか」
「オススメかぁ。そうだなぁ……でも、食べ盛りの胃袋を満足できるかどうか……」
あからさまに眉を寄せ、困り顔を作ってみせる。
「俺の胃袋はどうでもいいですよ。中村さんの好みを知りたいだけなので」
「好みって…………」
呆れ半分な相手をよそに、俺は閃くままに話を続ける。
「時間があれば、ついでにちょっと買い物とか付き合ってくれませんか?」
「買い物? ……あぁ、服?」
ここぞとばかりに昨日の話を引っ張りだそうとしたら、意外にも相手は覚えていたようだ。口元がにんまりと緩んでしまう。
「はい。服見て、それからー……あ、月乃パンケーキにも行きません? 確かもうそろそろ期間限定が始まるんですよね」
「パ、ンケーキ?」
「っていうか、なんだったら、昼も一緒にどうですか?」
「ちょ、ちょっと。ちょっと待って」
「ダメですか?」
「…………ダメっていうか……それはさすがに……」
白い吐息とともに言葉は張り詰めた空気の中へと吸い込まれていった。俯いた横顔は何かを探しているみたいだった。ばつが悪くなり、後頭部を掻く。
「すみません。ちょっと調子に乗りました。中村さん、何でも「いいよ」って言ってくれるから」
つい余計なことまで口にしてしまった。彼の顔がこちらを向いて、聞き捨てならないと眉を寄せる。
誤解されていることを察知した俺は、前のめりになって言葉を続けた。
「違いますよ、からかったわけじゃないんです。本当にそういう所へ中村さんと行ってみたいなぁって思ってます、俺」
眼差しに期待を込めたのに、相手はまるで耐えかねるように顔を背けてしまった。何とも言えない空気がまた一段と冷たくなったような気さえする。大仰な仕草で肩を竦めて背中を丸めた。
そのまま会話もなく、駅へと辿り着いてしまった。
「ありがとう。わざわざ送ってくれて」
「いえ。また、連絡してもいいですか?」
その言葉に中村は微笑みだけ返してくれた。
階段を上り、後ろ姿が見えなくなってもしばらくその場から動く気になれなかった。構内アナウンスが聞こえ、ほどなくして電車がやって来た。ようやく俺は踵を返して、そこで煌々と光を放つコンビニに目が留まる。
ついでに朝飯買って帰ろう。
おにぎりとインスタントの味噌汁を買うまでの間、片手でスマートフォンを操作し、中村へメッセージを送った。
『気を付けて帰って下さいね。仕事も頑張って下さい』
すると店を出てすぐに返事が返ってきた。
『ありがとう。井上君も気を付けて』
画面に表示された文字を親指で撫でる。
「…………一緒に食べたかったなぁ、朝飯…………」
ふと見上げた薄暗い空にはオレンジの色が広がりつつあった。
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