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第5話

『おさんぽ亭』が晩御飯どきで混んでくる時間になると、なぜだか亀谷がそれ(もん)には見えない服装でやってくるようになった。 『奴らがきたら連絡してほしい』と言われていることを忘れていたわけではなかったが、 「なんかな、ここの店のオムライスが前に吹っ飛ばしちまったけど美味そうだったんで」  と最初に来た時にそう言われ、身なりも整えて来ているしただの客なら別にいいかと、陽一は気を許してしまった。  そこから何日かに一回亀谷は現れるようになり、カウンターで雑談をしながら、オムライスやカツカレー、ミックスフライ定食などメニューを一個一個やっつけていくと言って食べに来ている。  そこまでされると、陽一も常連客扱いで亀谷が来ると歓待するまでになっていった。  ある日 「そう言えばな、俺の実家のかーちゃん病気になってなぁ」  と亀谷が唐揚げミックスを食べながら言い出した。 「へえ、どこが悪いんだ?」 「腎臓だって言うんだけどな、あれって透析?とかいうの2日にいっぺんやらねえとらしいんだ」 「ああ、聞いたことあるよ。大変だな」  他の注文を作りながら、陽一は耳を傾ける。 「俺そこまでになるまで知らなくてさ、弟が全部面倒見てたってこの間姉ちゃんから連絡きてな、俺にもなんかしろって言うんだけど、こんな家業じゃ顔も出せなくてな、金かなって思うわけだよ。それくらいしかできねえしなぁ」  透析のことはお客さんからも聞いたことがあった。  障害ということで、金銭的には多少は楽なのだろうが悪化した時の入院費や医療費もバカにはならないと聞く。 「年下の弟にばかり面倒かけちまって、情けねえなあって悩むわけだよ、こんな俺でもさ」  へへっと笑って、唐揚げのでかいのを口に放り込む。 「はひはははふふへえは」 「食ってから言え」  と陽一は笑うが、今の一言は陽一の胸にも少しだけ刺さった。弟にばかり面倒かけちまって…ということが。 「なあ、今度唐揚げの作り方教えてくれよ」  唐揚げ一個を飲み込んで、亀谷はそんなことを言い出した。 「店の味は門外不出なんだよ」  笑って断るが、 「ここの味をカミさんに教えて俺が家で食えれば、俺がここに来なくても良くなるだろ?それはお前にも得じゃねえか?」  へえ、結婚してるんだ…などと思いながら店の心配までしてくる亀谷に、さすがに裏があるんじゃあ…とは思ったが、話してみると話しやすい普通の人間だし楽しかったので 「うちの売上が減るだろ。来ないなんていうなよ、教えないでおくわ」  なんて冗談も出てくるようで、中々に心を許している感じだ。 「しかし弟といえば、お前の弟も中々だな」  食べ終わって、食後のコーヒーを飲みながら亀谷はタバコに火をつける、 「俺はあんたらの世界は全くわかんねえから、どんだけ中々なのかはわからないけど、そんなか?」 「ああ、すげえよ。最初に来た男と後から来た男はさ、俺らの世界では結構な有名人でな、あいつらが出てくるとぺんぺん草も生えねえって言われてるくらいの強い奴らなんだ」  オムライスを投げられてムッとしたり、後からチャラっときてチャラっとその場を収めた顔を思い出すが、とてもそうは見えなくて陽一は肩をすくめた。 「本当かぁ?」 「ほんとだって、それの側付き要因ったら結構なこったぞ、弟よぉ」  へえ…と小さい頃牛乳こぼしてギャーギャー泣いてる顔を思い浮かべると、とてもそんなところで生きてるとは思えない。 「ま、それが嘘でもほんとでも、ちゃんと自分で飯食ってりゃいいかな、俺は」  ーちょっと待っててなーと言って、出来上がったグラタンとミックスフライ定食をテーブル席へと持ってゆく陽一の背中を見つめて、亀谷は嫌な笑みを浮かべていた。 ーもう一押しだなぁー  実際亀谷には女房も弟もいない。  今回弟の組に世話になったことを当てつけて、この『兄貴』というプライドを揺さぶってやろうという魂胆だった。 「でな、」  戻った陽一はとりあえずオーダーが終わり、自分用のアイスコーヒーを入れて亀谷と一緒に飲み始める。 「この間の一件もな、お前が身内だってことで弟の組が金出して手打ちになったんだ。大したもんだろ?お前いい弟持ったな」 ーあ、俺が言うこっちゃねえかーと言ってゲラゲラと笑い、 「じゃ、ご馳走さん」  と5千円をカウンターに置いた。 「今お釣り出すから待ってろって」  陽一が慌ててレジへ向かうのを止めて、亀谷は 「釣りは今度食いにきた時の前払いだ」  となどと言って帰っていく。 ーまあ、それなら…ーと一応受け取って、メモをレジに入れておいた。  その帰っていった亀谷の食器を片付けながら、さっき言われた言葉を思い出す。 ー弟に面倒かけっぱなしっていうのもなー  さっきの話だと、和也の組が全面持ち出しで手打ちになったと言っていた。  自分が和也の身内だから、所属の組が責任を持ったということになるのだろうが、それは自分が弟の世話になっているという事になるのか…。  業界のことは業界の人間にしかわからないことも多いだろうから、そこは口を出さないようにと思ってはいるが、しかし…あんなどうしようもなさそうな亀谷ですら、家の事で弟の世話になるのは…と抵抗を感じている。  自分はこれでいいのか…という疑念が陽一の心に湧いてもおかしくはなかった。 「あれから兄貴はどうだ?」  ネットで組の備品を物色していた戸叶は、佐伯に問われ 「元気でやってますよ。ラインでしか話しませんけど、特に変わった様子もないし」  そう答えながら顔をあげ、なんかあるんすか?と逆に問う。 「いや、そういうわけじゃない。で、子供はいつ生まれるんだ?」 「来年の2月らしいっす。この分だと俺も顔くらい見られるかなって」  嬉しそうにニコニコして、戸叶はスマホに目を戻した。   画面には、水取りスポンジが並び今度こそ色だけのを買おうとムキになる。もうミッフィーはいいや。場が締まらない。  しかし佐伯はなんだか消えない胸騒ぎに悩まされている。  本家での話し合いでの亀谷の顔がどうしても消えず、ああいう顔をしている奴は、絶対に何かをするはずだという経験値が騒いでいる。  しかし、あの直後から涌谷(わくや)を配置して店を張っても何も出ず、あれからもう10日も経った今でもなんの動きもないのだから、もう大丈夫なのだろうとは思う。思うのだが…。  そんなことを考えていた時不意に戸叶が 「ああ兄貴といえば…」  と、言い出した。 「なんか、『この間の件お前っていうか、お前の組に世話になったらしいな。後でちゃんと埋め合わせするからな』ってLINEきてたんすけど。なんのことなのか…」  スマホの画面を指でたどりながらラインを確認する。  佐伯はその言葉に違和感を感じた。  確かに戸叶はよその組のしのぎを邪魔した現場に居合わせたが、それを口にするような奴ではなく、しかも金で解決したことは戸叶には言っていない。 「ああ、もしかしたらあの日に俺が、あとはうちらでやるんでって言ったからかもな」  と、佐伯はそうは言ったが、陽一の言葉に埋め合わせという言葉があったということは、金が動いたことは察してるってことか…なぜ陽一がそれを知っている?と思い至った時に、胸のざわつきが大きくなった。  まさか… 「涌谷と福田と児島、ちょっと来てくれ」  急に佐伯が若いものを呼びつけるのに戸叶は不思議になりーなんすかーとスマホをポケットに仕舞い、やってきた若いのと一緒に佐伯の前に立つ。 「悪いんだけどな、涌谷は午前中、福田は昼から夕方、小島は夕方から、戸叶の兄貴の店に張り付いてくんねえか」  今まで涌谷は、ランダムに店に行っていた。もしもなにか尾崎の方で動いてるとしたら、どこかで見逃していたかもしれない。その隙を埋める調査が必要だった。  さっきの戸叶の話を聞く限り、自分の言葉かもしれないが、自分の胸騒ぎには従う癖がついている。 「え、もう大丈夫なんじゃ…」  戸叶が言うが、佐伯は 「多分としか言えないから、それを確証にしようや。悪いけど今3時だから福田、行ってくんねえかな」  と言って、福田に軽自動車の鍵を渡す。大学生の触れ込みで行くのであまりの高級車も疑われる。 「わかりました」 「あ、それとこの中の誰かが店に来たら、すぐに連絡してくれ」  と。尾崎、兎月、亀谷の3人の画像を転送し、福田を送り出した。 「あの…佐伯さん。兄貴なんかあるんすか?」 「まだわからんけどな。なんでもなければいいんだ。俺がちょっと納得しねえだけだから」  不安にさせないように腕を叩いて佐伯は再びソファに座る。  その傍で聞いていた姫木も顔をあげて、まあ座っとけと顎で戸叶に示す。  これから生まれてくる子を楽しみにしている兄貴に何かあったら…と言う漠然とした不安が戸叶に膨らみ、それを払拭するように再びスマホを取り出して備品の調達を再開した。

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