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第7話

「あいつどこほっつき歩いてんでしょうね。事務所に顔出さねえってことはやばいことやってる自覚があるってことじゃねえのかな」  運転している兎月が、今日はグレープ味の飴をガリガリと齧り倒している。 「お前糖尿に気をつけろよ?」  後部座席でタバコを吸っている尾崎は、兎月(とげつ)が禁煙をしているのは知ってはいるが、いささか飴に頼りすぎな気もしていた。  肺に影があると脅されて、パタっと喫煙を止めたはいいがそれ以来飴が手放せなく、肺がん恐れて糖尿になるのもどうなんだよ、と毎回言われているがどうにも飴が手放せなくなっている。 「俺のことはいいんすよ。亀っすよ亀。どこいるんすかね」 「大方その辺をぷらぷらと…あ、いるわ」  尾崎がふざけてるのかと思い、流石にそれはないっすわーといいかけて、ちょうど左側の歩道をいつも連れてる中堅の手下と共に歩く亀谷が兎月にも見えた。 「うっそみてえだ」  そう笑いながら兎月は少し先まで車を走らせ、路肩に停めた。  歩いてくる亀谷を2人で待ち構えると、亀谷も気づいて 「なんか久しぶりっすね」  などと笑いながら近寄ってくる。 「ご機嫌だな。どこ行くんだ?」  兎月が問うと、 「いや〜今からこいつらと飯にでも行こうかって所っす。一緒に行きますか?奢りますよ鰻」  ポケットに手を突っ込んだままニコニコと言う亀谷に、尾崎はちょっとツラ貸せと腕を掴み、手下たちには行く予定だった鰻やへ行っとけ、と2万を掴ませて先に行かせた。  まるで亀谷が行かないかのような態度だ。 「なんなんすか」  裏路地に引っ張り込まれ、掴まれた腕を振り解いた亀谷は不機嫌そうに壁に寄りかかる。 「なんなんすかじゃねえだろ。お前何やってんだ今。洋食屋の兄ちゃんに会ってるって言うじゃねえか、何考えてる」 「もう会ってねえっすよ。ケリついたんで」 「ケリ?」  兎月の顔が歪む。 「はい。きっちり売り渡したんで、もうあの店とはキッパリっす。ああ、何怒ってるかと思ったら、組に入れなかったからっすか?大丈夫っすよ、組の分はちゃんととってあ…」  全て言い終わる前に、兎月が亀谷の胸ぐらを掴み腕で喉元を締め付けた。 「何考えてやがる。あれはもう手打ちになっただろう。しかも売り渡すってお前まさか…」 「もう本家だなんだってうざいっすよ。俺らのしのぎ邪魔されて、なんで本家の言いなりになってるんすか2人とも。自分らで稼ぐのが俺らじゃないっすか…」  そんなことは言っても流石に自分の組の頭は殴れないらしく、苦しいながらもそんなことを言ってくる。 「ふざけるなよ…この世界に居たらな、上下関係は絶対なことくらいお前も知ってるだろ。牧島は高遠ナンバー2だ解ってるのかナンバー2の意味。次期組長だぞ」 「わかってますけど、そんな偉い人が出てくる場面だったっすか?そんな軽々しい次期なんざ俺はっってえ!」  兎月が亀谷の耳を掴んで地面に叩きつけた。 「この世界で生きてられるのは誰のおかげか考えろ!お前そんなことが本家の耳にでも入ったら、お前今日の夜には命ねえぞ!」 「まあ、兎月落ち着け」  尾崎が倒れてる亀谷の前にしゃがみこんで、再び耳を掴み 「お前毛がねえから髪掴めねえな。そんな生意気な口をきけるなら、あの洋食屋の兄ちゃん、どこに売ったか言え。本家の悪口聞く間にはそっちの方が大事だ。お前がどうなろうともう知ったこっちゃねえって俺が言ったら、どうなるかわかってるようだし」  ヤクザの目だった。  普段はのんびりしていそうな雰囲気の尾崎だが、この道も長いプロであるし本家にも直参する幹部でもある。 「タケヒラか?」  耳を振って、答えを促す。 「そ…そっす…」 「いくら貰った」 「に…二千万…」  その金額に2人の眉が上がる。 「今度もまた随分とふっかけたな」 「あの兄貴の身体調べたら割といいって言うから…前金で…」 「それで鰻か…」  耳を弾くように離して、歪んだ顔の亀谷を睨んで尾崎は立ち上がった。まずはそのタケヒラという臓器売買の繋ぎ役と連絡を取らねばならない。これはなる早で。 「お前、もう好きにしな。ま、あとで本家から化け物出てくるかもだけど、俺はもう知らねえ。破門だ。兎月行くぞ」  尾崎はもう亀谷に目もくれずに歩き出し、兎月は数秒立ったまま亀谷を見つめ 「兎と亀で仲良くいけてると思ったんだけどよ…まあ、生きろや」  そう言って、尾崎に続く。 「間に合うといいがな…」  スマホで(くだん)の『タケヒラ』と連絡をとりながら、尾崎は小さくつぶやいた。  恵のベッドの脇で、スマホで帝王切開や全身麻酔等を調べてみるが、帝王切開の場合は大抵が硬膜外麻酔と言う、下半身のみの麻酔を使うらしい。  緊急で局部麻酔ができない時には全身麻酔も使うらしいが、今回そんなに緊急だったのか…兄もいない家で、一体何が恵の身に起こったのか。緊急手術になるほどの何が…。  実際、恵とは陽一とのラインを通してしか顔を知らなかった。  だから目覚めた時に自分と判ってくれるか…からがもう不安なのである。  しかし戸叶自身も、画像しか知らないが、結構顔を見せられていたので、こうして眠った顔ではあるが、顔はちゃんと判るから大丈夫かなと取り敢えず目が覚めるまで待つことにした。  しかし待つのも暇で、売店に赴き飲み物を買ってきたりスマホでスイッターをしたりしていたが、ちょっと眠くて病棟の待合場所で少しうとうとしてしまった。  数十分寝ただろうか。そんな時間に看護師さんに半分叫ばれるように起こされ 「来てください、様子を見てやって!」  と言われて引っ張られるのだが、寝ぼけ眼で牽引されて行ったが異常な声にすぐに覚醒した。  恵が入院している部屋からヒステリックな叫び声がして、看護師さんや先生だろうか、男性の声で落ち着いてください、ここは病院ですから大丈夫ですよ!などと聞こえてくる。  走り寄ってドアから覗くと、恵がベッドの上で半狂乱で髪を振り乱し、叫んで今にもベッドを降りようとするのを男性医師が止めていた。 「一体これは…」  戸叶がつぶやいてその様子を見つめていると、運ばれてきた時からこうなんですと教えてもらい、一体何が…と様子を伺うしかない。  医師が看護師に何か薬の名前のようなものを言いつけ、看護師が部屋を出ていくが、部屋の外に置いてあったワゴンから注射器を取り出し薬を注入して医師に渡しに戻ってきた。 「しっかり押さえてて」  看護師が5人もで押さえつけて腕の静脈だろうところから薬を注入していく。  点滴はすでに引き抜かれていたので、少々乱暴な行為に他のベッドの妊婦さんは怯えてしまっていた。  恵は注射自体の効果か少し暴れるのが緩み、2.3分後に自ら枕に頭を落とした。  朦朧とまではいかないが天井を見つめ静かになる。  それまで見守っていた周囲は、安堵して恵を掴んでいた看護師たちは各々部屋を出ていった。 「あの…何を…」  何が何やらわからなくて、戸叶は近くの看護師にきいてみた。 「鎮静剤です。意識はありますけど、少しだけ朦朧としちゃうかもしれません。お話は多分できると思いますよ」  と教えてくれた。  先程の恵の様子は尋常ではなく、本当に一体何があったのか、陽一のことなのか、聞きたいことはいっぱいあった。 「付き添いの方ですか」  と医師に問われ、返事を返すと 「またこの様になる可能性がありますので、個室に入ってもらうようでもよろしいでしょうか」  と聞いてきた。  今の状況を見るに、また発作的なものを起こした時に他の妊婦さんにも迷惑をかけるからなんだろうなとも思えて、個室の料金等はなんとかなるだろうとお願いすることにした。  個室ならカメラで24時間見てもらえるし、何かあったらすぐに駆けつけてくれるらしいのでそれはそれで安心である。  個室に移ってから、戸叶はずっとそばに座っていた。  恵は天井を見たままで動かないが、このままでは埒が開かないので… 「恵さん、俺のことわかりますか?和也です。兄貴が画像を見せていたと思うんですが…」  横から声をかけると、恵の顔が動いて目が合った。 「あ…はい…和也くん…」  落ち着いた声でそう言ってもう一度天井へ目を戻す。 「恵さんのご両親とか呼んだ方がいいと思うんだけど…連絡先とか教えてもらえれば俺連絡します。あと兄貴どっか出掛けてるんですか?こんな時にあれなんでどっか行ってるなら引っ張ってきますけど」  両親の話の時は穏やかに天井を見ているだけだったが、陽一のことを言った途端に、恵の目が見開かれてまた戸叶を見てきた。 「あ…あの人…陽ちゃんが…」  途端に涙が溢れ出し、薬で抑えられている分気ばかりが昂った様な感じで涙がとめどなく流れ出し、戸叶は慌ててティッシュを差し出す。 「なんか有ったんすか。言ってください」 「あ…あの人…ああ…陽ちゃんは…」  唇をかみしめて嗚咽し、戸叶は恵の腕を布団の上から宥めるようにぽんぽんと何度も優しく叩いた。その陽ちゃんは…の後が気がかりなのだ。恵は一体何を見聞きしたのだろう。  何を言っていいか判らず、取り敢えず子供のことだけでも伝えようと 「子供は、ちょっと小さく産まれましたけど、ほいくきってのに入っているので大丈夫です」  と、話すと恵がハッとしたように戸叶を見、そしてゆっくりと起き上がる動作をするのでそれを助けながらベッドに座らせると、 「赤ちゃん…無事だったんですね…よかった…」  子供の話を聞いて、少し母性が蘇ったのか目に力が出た。 「体重1020gだそうです。さっき外からだけど見てきたら元気に動いてました」  1番安心できるだろうことを伝えようと、戸叶も考えたのだろう。恵は少しゆったりしたが、でも聞き出さなければならないこともある。  しかしそれは、恵の方から話し始めてくれた。 「店の上が…住居になってるんですが、私どんな風にここにきたかあまり記憶になくて、鍵を持ってるかもわかんないんです。店の裏の階段の下に使ってない植木鉢があって、その下に住居の鍵があります…それで家に行ってみてください…私からはとても…」  そこまで言ってまた嗚咽を始め、今度はー吐きそうーと言うので看護師を呼びそのケアをお願いした。  子供のことはぼんやりはしていられないと母性が現れるのだろうが、やはり何かそこを挫かせるものがあるようで、陽一のことを聞こうとすると目からも力が抜けてゆく。  吐きそうになる程の事が…家で…? 「とにかく…家に行ってみて欲しい…です…両親へは、なぜだか携帯だけは持っているので自分でします。私のことはいいので…陽ちゃんを…」  と、またそこで用意された器に吐き戻す。食事もしていなかったのか、吐くものもない状態で嘔吐している恵を見て、胸のざわつきが強くなった。 「家に行ってくる。またくるから、恵さんは穏やかに子供さんと一緒に待っててください」  敬語と普段の言葉なんて選んでいられない感じだった。  戸叶は病院を出るとすぐに佐伯に連絡し、兄の住居まで一緒に行って欲しいと告げる。  佐伯はわかったと聞き入れてくれ、現地集合ということで戸叶はそこから『おさんぽ亭』へと向かった。

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