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千景の母
千景は、母子家庭で育った。千景が1歳の誕生日を迎えてすぐ、父は仕事中の交通事故で亡くなった。千景はもちろんその時のことは何も覚えていない。母は、辛かった過去を思い出したくないのか、父について多くを語ることはない。
母は女手一つでわが子を育てるため、看護師として昼夜働いていたので、千景は母が布団でゆっくりと寝ていた記憶はほとんどない。疲労に満ちた表情ばかり覚えている。
千景が大学に入学して半年程たったある日、帰宅してリビングの扉を開けると、母が一人ソファに座ってじっと1枚の紙きれを見つめていた。千景がただいまと声をかけるまで、母は千景の帰宅に気付かなかった。
「母さん、どうしたの?」
「千景……おかえり。ちょっと疲れちゃってぼーっとしてただけ」
「そう?横になって休んだら?」
「ありがとう。そうね、少し寝てこようかな」
母は珍しく足元がおぼつかない様子で寝室へ向かった。
その頃から、母は体調を崩して仕事を欠勤する日が増えた。
「母さん、本当のことを話してほしい。僕にできることがあるなら手伝わせてよ」
千景が寝室で横になっている母の枕元でそう言うと、じっと千景の顔を見つめた母の目からぽろぽろと大粒の涙がこぼれた。
「千景ごめんね。お母さん、がんが見つかったんだ。転移もしてる」
頭を大きな石で殴られたような衝撃を受け、目の前が真っ暗になった。
「え……がん?転移――?」
「ごめんね、千景……」
千景は愕然として言葉を失い、微動だにせず母の布団の横に座っていた。
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