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マスカレードにて③

 蝉の声が賑やかになり本格的な暑さを迎えた7月、千景が通う大学も夏休みに入った。  「シフト増やしたらいろいろと大変じゃない?」    バイトの休憩中、ドーナツを頬張りながら誠が心配そうに千景に尋ねる。 「そんなことないよ。普段より時間に余裕あるし、バイト代増やしたいし、大丈夫」 「それならいいけど。無理しちゃダメだよ。そう言えば、8月の仮面舞踏会イベントの話もう聞いた?」  誠は何かと千景を気遣い声をかける。周囲の人々との間に壁を作りやすい千景にとって、誠は親友と呼べる貴重な存在である。    仮面舞踏会とは「マスカレード」で月1回開催されるイベントで、普段はカジュアルにお酒やおしゃべりを楽しむ雰囲気のフロアが、イベントの日は照明が落とされ艶めかしいBGMに変わる。ダンスステージも用意され、好きに踊ることもできる。基本的には身体的な接触はNGの店だが、この日だけは、いつもより少しだけ人と人との触れ合いが密になる。 「聞いたよ。今月は初めて参加する予定。誠は?」 「僕も参加するよ!でも、千景が仮面舞踏会に参加するって知ったら焦るだろうね」  誠が意味ありげにニヤニヤしながら言う。 「誰が?」 「誰って……いつも千景を指名する馬の仮面のお客さんだよ!すごくやきもちを焼きそうだよね」 「え?そうかなぁ……」  確かに冬馬は、毎回千景を指名してくれているが、ゲイバーで遊び慣れていないだけで、千景に対して特別な感情があるようには思えない。 「ま、仮面舞踏会の話はそのお客さんにもちゃんとしておいた方がいいと思うよ」  怪訝そうな顔をしている千景を見て、誠が言った。      熱帯夜が続く8月の金曜の夜、千景は初めて仮面舞踏会イベントに参加した。控室で渡されたイベント用の衣装は、普段のものと異なる可愛らしいバニーボーイ風で、千景はかなり戸惑ったが、同時に胸が騒ぐのも感じた。 (冬馬さん、今夜来るかなぁ)  千景は、誠からのアドバイスどおり、仮面舞踏会イベントに参加する予定であることを冬馬に話した。千景の話を聞いている時の冬馬はいつもと変わらない様子で、  「イベントの日、仕事の都合がついたら行くよ」 と答えた。誠は冬馬がやきもちを焼くんじゃないかと言っていたが、全くそんな素振りは見せなかったので、(やっぱり僕が思ってたとおりじゃないか)と千景は心の中でつぶやいた。 フロアは、月明かりをイメージしたほの暗い空間の中に、星のようなキャンドルが揺らめく。 客もスタッフも、今夜はロマンティックでアダルトな雰囲気を楽しんでいる。スポットライトに照らされたダンスステージでゆったりと踊るカップルは、完全に二人だけの世界に浸っている。 (あっ……冬馬さん――)  入り口から入ってくる冬馬にすぐに気付き、千景は駆け寄る。冬馬は千景の姿を目にすると、息を呑んだ。 「冬馬さん、来てくれたんですね」 「……」  冬馬は固まったまま喋ろうとしない。 「冬馬さん?どうかしました?」   「……チカちゃんの衣装があまりにも刺激的でびっくりしちゃった」  そう言われた千景は、あらためて自分の衣装を見て顔を赤らめる。いつもの衣装より露出が多いことを忘れていた。 「すごく可愛いよ、チカちゃん」  冬馬の優しく色っぽい声色に、恥ずかしさと嬉しさで体が熱く火照るのを千景は感じた。  いつも通り千景を指名し、最初の生ビールをすぐに飲み干した冬馬が、千景の手を取り突然席を立つ。 「踊ろう、チカちゃん」 「えっ、僕、踊れませんよ」 「自分が踊りたいように踊ればいいんだよ。誰も僕たちのことなんて見ていないよ」  慌てる千景を冬馬はぐいぐいと引っ張りダンスステージへ向かう。冬馬がつかんだ手の熱さが千景の腕から全身に伝わる。手を振りほどくことができないままステージへ上がることになってしまった。  ダーツの下手さは嘘だったのかと思うほど、冬馬はダンスのセンスはあるようだった。千景の腰を支えて自分に引き寄せ、音楽に合わせて揺れる。千景は恥ずかしさでうつむいたまま、冬馬のリードに身をゆだねた。 「チカちゃん、ダンス上手だね」 「上手じゃないです。冬馬さんにまかせてるだけです」 「ふふっ、可愛いなぁ、チカちゃんは」  冬馬は軽く左右に揺れながら、右腕で千景の体をギュッと抱き締める。その瞬間、千景の体がビクッとはねた。  冬馬の体と擦れ合う下半身に意識が集中し、ダンスどころではなくなってしまった千景の動きは途端にぎこちなくなる。 (恥ずかしい、もう離れたい……でもやっぱり離れたくない)  冬馬のダンスがとても優しくて、じれったくて、幸せで、こんな気持ちを抱いたのはいつぶりだろうと千景はふわふわとした頭で思っていた。

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