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深まる

 母の余命を知った日も、千景はいつも通り「マスカレード」へ出勤した。  こんな日に客と話をできるのか不安はあったが、自宅で寂しく過ごすのは辛く、今はとにかく一人でいたくなかった。    冬馬には仮面舞踏会イベントの日以降会っていない。今日は土曜だが店には来ない可能性の方が高いだろう。しかし、もしかしたら……という思いも抱いていた。  冬馬と会えない日が続いて、千景は自分が思っていた以上に冬馬の存在に救われていたことに気付いた。冬馬との何気ない会話や一緒にダーツをしたことをぼんやりと思い出して、胸が締め付けられる。  バーカウンターでドリンクを準備しながら、持っているグラスが涙で滲んだ。 (今日は会いたい……。でももう冬馬さん、来てくれないかな)  涙がこぼれないように顔を上げた瞬間、入り口から冬馬が入ってくるのが見えた。 (冬馬さん!!)  千景は、はやる気持ちを抑えながら、足早に冬馬のもとへ近付く。  「冬馬さん」 「チカちゃん、こんばんは。久しぶり」  久しぶりに聞いた冬馬の声は、とても優しくてあたたかい。 (あぁ、やっぱり冬馬さんの声好きだな……)  2人で、空いている個室へ移動する。 「冬馬さん、今日もビールでいいですか?」 「うん、ありがとう」 「今夜は僕も飲みます」  千景はビールと、自分のコークハイをオーダーした。   「珍しいね。チカちゃんが自分からお酒飲むって。いつも僕が誘ってたからさ」 「……なんとなく、です」  いつもと少し違う千景の様子に、冬馬は気付いていた。 「そっか。体調はもう大丈夫?仮面舞踏会の時にチカちゃんが倒れたこと、ずっと気になっていたんだ。でもなかなかお店に来られなくて」 「もう大丈夫です。心配かけてごめんなさい。でも、しばらく来てくれなかったから、冬馬さんもう飽きちゃったかなって思ってました」  千景のこの言葉を聞いて、冬馬は目を見開いた。 「飽きたって、何に?」 「僕に、です」  まさか千景がそういう風に思っていたなんて考えもしなかったので戸惑った。 「まさか、そんなことあるわけないよ」 「でも来てくれなかったから」 「夏休みを使って、海外で仕事関係の研修を受けてきたんだ。観光目的もあったけどね。仮面舞踏会の日に、チカちゃんには伝えようと思ってたんだけど、結局伝えられなくて。ごめんね」 「……そうだったんですか。僕の早とちりでしたね。……でも寂しかった」  いつもなら心の中で思うだけで、実際に口にすることはない言葉たちが、今夜はどんどんと溢れてしまう。素直に喋りすぎかなと、千景は黙り込む。 「……チカちゃん、何かあった?」 「え?あ……」    突然の冬馬の質問に、千景は言葉を詰まらせた。 「どうしてですか?」 「んー、今日は疲れてそうだなと思って。勉強とか、このお仕事のことも、いろいろ大変じゃない?仮面舞踏会の時にチカちゃんが倒れたの見て、僕は何もチカちゃんの力になれないなって思ったりもしたんだ」 「そんなことないです。大変と言えば大変ですけど、僕にできることはこれくらいなので」 「……そっか。チカちゃんは強いね」    冬馬の返事を聞いて、千景の心の奥にある何かが大きく動いた。 「強くなんかないです。全然」  うつむきながら力ない声で言う。 「チカちゃん……」 「今だってつらくてたまらないです」    今まで無理やり蓋をして閉じ込めていた感情が、今にも蓋をこじ開けて表に飛び出してきそうだった。自分の目から涙が一筋流れたのを千景は感じた。  千景の涙を見て、冬馬は思わず千景を抱きしめる。何も言わずに、ただ優しくゆっくり背中をさする。  千景は、冬馬に体を預けたまま、華奢な体を小さく小刻みに震わせながら声を押し殺して泣いた。  冬馬は着けていた仮面をはずし、千景をじっと見つめる。初めて見る冬馬の素顔に千景は目が離せない。切れ長の目が印象深い、クールで上品な顔立ちだ。 「キスしてもいい?」  冬馬が千景の耳元で囁く。  千景は、もう何も考えられず、首を縦に振ることしかできなかった。涙はいつの間にかとまっていた。  冬馬は、壊れやすくて脆い宝物を扱うかのごとく触れる。熱い手のひらで千景の頬と唇をなでると、千景の体はゾクッと震えた。  冬馬の唇が千景の唇をゆっくりとついばむ。触れては離れ、千景がもどかしさを感じはじめるくらい、それは繰り返された。 「……んっ……」  千景が耐え切れなくなって声を漏らした時、冬馬の舌が千景の唇の隙間からゆるりと滑り込み、口内を愛撫する。 「はっ……あっ……」  初めての刺激に、千景はビリビリと痺れていく。そのうち全身の力が抜けて甘く溶けた千景は、もう冬馬にされるがままだ。 「チカちゃん、かわいい……きれいだよ……」  しばらく舌を絡ませ合った後、唇が離れた。  赤く上気した千景の頬と千景が着けている黒いレースの仮面が、千景をさらに妖艶に仕立て上げていて、その美しさに冬馬は見入ってしまった。 「チカちゃんの力になりたい。何かあったら話してね」  冬馬は千景をぎゅっときつく抱きしめながら言った。 「ありがとう、冬馬さん……」

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