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偏愛Ⅴ≪竜side≫1

断ち切りたかった。 もう、ハルカさんのことを考えたくない。 だから電話も、ショートメールも、何もかもブロックした。 俺はこれ以上、堕ちない気がする。 大切な人を傷つけて、信頼してた先輩に犯されて。 でも大丈夫、俺には音楽がある。 それだけあればもういい。 もうこれ以上堕ちることはない。 それなのに、 「帝真」 学校では逃げられない。 「哀沢先生…」 哀沢先生はハルカさんの兄であり、数学教師でもあるから無視できない。 「何ですか?」 逃げてたのに…断ち切りたかったのに… そして哀沢先生は俺に1枚の紙を渡した。 「電子チケットのQRコード…?」 「うちの愚弟からだ。今週末の金曜日、MAR RE TORREがゲリラライブをするから帝真に渡せと言われてな」 MAR RE TORREの…ゲリラライブ? そんなのやるって1ヶ月前ハルカさんは言ってなかった。 海外ツアーもそろそろ控えているのに、なんでこんな場所で急にライブなんてするんだろう。 「…分かりました」 散々ハルカさんに酷いこと言ったんだ。 行けるわけない。 でも断ったほうが面倒なことになると思って、チケットは受け取った。 哀沢先生はそんな俺に気付いたのか、話し始めた。 「俺はチケットを渡したとハルカに報告はするが、無理してライブに行かなくてもいい。ただ、これだけ教えといてやる。あいつが歌えなくなった本当の理由と、唯一の地雷について」 そこで、ハルカさんの昔のトラウマを聞いた。 俺がネットで見た、女の人が原因で歌えなくなったというのは―…お姉さんの自殺未遂の壮絶なフラッシュバックを思い出すから歌えないということ。 「自分の鼻歌だけでも歌うことを拒否してフラッシュバックして吐く。あいつにとって自分の歌声はトラウマでしかない。ハルカが歌えないのはそういう理由だ」 それなのに、俺… 『女の人が原因で歌うこと辞めたんでしょ?そんな人に好きって言われても困る』 何も知らずに、あんなこと… 「あいつにとって姉貴は、失いたくない大切な人だ。姉貴は母親以上の役割をしてくれた。俺達を護って自分犠牲にして優しくて…それが自分がキッカケであんなことになって。あいつは相当ショックだったろうな」 そして、尊敬していたベーシストが嘘の書き込みのせいで亡くなったことも教えてくれた。 「だからネットの情報をお前に鵜呑みにされたのが嫌だったんだろうな。あいつの数少ない地雷を見事に踏まれて」 俺はハルカさんを信じずに、酷いこと言った―… 「でもお前もハルカも悪くない。悪いのはあれ書いたやつと、うちの毒親のせいだ」 落ち込んで泣きそうな俺の肩をポンと叩いて哀沢先生は続ける。 「でも、どうするか選ぶのは帝真だ」 弟を傷つけた張本人を目の前にして、どうしてそんなに優しい言葉をかけるの? ハルカさんを信じずに、勝手に嫉妬して、一番でいたくて、素直になれないこんな俺に優しくしないで。 「どんな答えでも俺たちは受け入れる。帝真が選ぶことを絶対に否定しない」 もう言って。 俺はハルカさんに相応しくないって。 俺を怒って。 二度とハルカさんの前に現れるなって。 「もしハルカを選ばなくても、辛い時は俺や山田を頼れ。俺たちは生徒を必ず守る」 ねぇ先生、 お願いだから揺らぐようなことを言わないで―… 「気楽に考えろ。複雑に考えるな。あいつがいて欲しいのか、いなくてもいいのか、それだけだ。じゃあな」 好きだよ。 ハルカさんが好き。 だから離れたのに。 もう何も考えたくない。 もう俺は何も求めちゃいけない。 ―ライブ当日 「竜、放課後暇?」 「うん。今日はやることない」 「マジ?じゃあ生徒会終わったら買い出し付き合って。今日発売するスニーカー欲しくて」 「うん、いいよ。待ってる」 今日がライブ当日だということは知っていたが、俺は行く気は無かった。 だから嵐と一緒に買い物に出掛けられるなら、そのことも忘れられて丁度いいと思った。 生徒会の仕事が終わった嵐と買い物に出かける。 行く途中で色んなお店の食べ歩きをしている嵐が、いつもの嵐で楽しかった。 「あ、最後寄りたい店あんの。着いてきて」 ―…え? 「ここ…」 「MAR RE TORREのライブ始まってる。入ろ。チケット交換してあるから」 「嫌だ。俺、行かな―…ん」 俺が行かないと言いかけたところで、嵐が先ほど食べ歩きで買ったイカ串を俺の口に突っ込んだ。 「イカ、無いって言ったろ?なんてね。はいはい、入るよー」 嵐に手を引かれ、入場の特典であるリーフレットを受け取り1000人程が入るライブハウスに入場する。 もうライブは始まっていて、会場は凄い熱気に包まれていた。 盛り上がる会場。 やっぱり、自分達以外のライブは空気が違う。 ひとりの客としてライブを楽しんでいる自分がいた。 宝さんの歌声はライブハウスを包み、MAR RE TORREのメンバーの楽器の音が響いて、観客の盛り上がりと混ざり俺の体を興奮させた。 1時間程して、宝さんがMCを入れる。 「みんな…今日は…ありがとう!"アスティ"って知ってる?今夜限りの復活!YoU!HaRuKa!よろしく」 ハルカさんが陽さんと組んでいたバンド名が『アスティ』というのは知っていた。 復活? いや、だってハルカさんは歌うことが出来ない… ボーカルを陽さんがするのかな?と思いながら見続けていると、宝さんはハルカさんにマイクを渡し、観客席に飛び降りた。 「ところで、アスティ時代からのファンっているの?」 ハルカさんのMCが始まる。 「アスティが復活するのは今日だけで、明日からはまたMAR RE TORREの俺たちに戻るけど…」 俺はネットでアスティの音源を探しても、動画サイトを探しても見つからなかった。 ハルカさんの歌声が知りたくても、聴く術が無かった。 「今夜、5曲だけ…アスティ時代人気のあった曲と、新曲の2曲を…」 待って―…本当に? 本当にハルカさんが歌うの? 「はははっ。久々で緊張するなぁ…」 静まり返ったライブ会場に、ハルカさんの深呼吸がマイクを通じて行き渡る。 そしてヴァイアさんのドラムスティックで321の合図が入り、アスティのライブが始まった。

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