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4-4 昔々、あるところに

 昔々、あるところに小さな赤子が生まれました。立派な家に生まれたその男の子は、ご両親からも大層愛されてました。身分の高い暮らしは豊かなもので、男の子はすくすくと育っていきました。  ところが身分が高いというのも考え物。彼の母は側室でした。遅れて高貴な正室に嫡男が生まれると、男の子はいらない存在になってしまった。子ども同士で跡目争いをする可能性があるのですから。そこで彼は俗世から離れ、寺に出家することとなりました。  まだ幼い男の子は、母と抱き合って泣きました。母に、父になんと説明されたって、男の子には世の中のことなどわかりませぬ。どうして幼くして愛する家族と離れなければいけないのでしょう。悲しみと絶望の中、彼は信寧寺へと預けられました。  ところがその男の子は、母親譲りの美貌を持っていました。白く透き通るような貴人の肌に、女性を思わせる整った顔立ち。悲しみに睫を濡らすその少年に、誰もが心を奪われたのです。  そう。仏に仕える、大人のお坊様たち、そしてお偉い和尚様でさえも──。 「それは、つまり……」  動揺のあまり零した言葉に、心光はにっこりと笑みを浮かべて答えた。 「仏が禁じているのは、女人との交わり。欲を禁じたとて、いかな男でも肉体のほうは獣の一種でございますから。そうしたことが、寺では日常茶飯事だったのですよ。この男もその流れに翻弄されただけ……。まぁ、わたくしなどからすれば、人などみな愚かで欲にまみれているのですから、ただこの身体を我が物にしたい男が多かっただけかと存じますけれど」  哀れなことでございましょう。  他人事のように語る心光に、俺は眉を寄せる。  いや、他人事ではない。きっと、他人なのだ。心光の中には、本来の僧としての彼の他に、残酷で残忍な何かが住んでいる。それが何なのか、その境界がどこにあるのか。俺にはまだわからないだけだ。  そう考える俺をどう思ったのか、心光はくすりと笑って、月明かりの下で舞う。いや、それは舞というほど艶やかなものでもなく、ただ稚児が戯れに遊ぶ踊りのようだった。 「なんと憐れなことでしょう。家の都合で愛しい母親から引き離され、挙句仏に仕えるという名目で欲にまみれた男たちの巣窟へと放り込まれたのです。ああ、この子の悲しみ、絶望たるやいかほどのものだったことか……!」 「…………」 「けれど。ねぇ蘇芳。もっと憐れなことに、この子はそれでもなお仏を信じ、敬虔な僧であったのですよ」  くすくす笑いながら、心光は歌うように語り続ける。 「夜毎男の、和尚様の相手をさせられながらも。この子自身は禁欲的に過ごし、読経を欠かさず学びと修行に勤しみ。己へ与えられる苦難を、試練と信じてやまなかったのです。触れられても穢されても、この子は清らかであり続けたのですよ」  それが、きっと。本当の心光なのだろう。  俺はそう確信した。きっと慈悲深く、仏の道を信じる真っ直ぐな男だったのだ。それが一体、どうしてこうなってしまったのか。 「では、今のお前は一体何者なんだ」  俺の言葉に心光は踊るのをやめて、ゆっくりと俺を見る。その妖艶な瞳が、月の下で僅かに赤らんでいた。彼はゆっくりとこちらに歩み寄り、縁側に座っていた俺の太腿へ、いやらしく指を這わせる。 「そう急かさないで下さいませ。殿方は時に、焦らされるのもお好きでしょうに」 「そんなことをいうのはやめろ。心光をこれ以上穢すな」  きっぱりとそう言えば、彼は動じた様子も無く「つれないお方」と呟く。 「この身を抱いて、子種を注ぎ込んだくせに」 「……っ、それは、」 「抗えなかった、とでも? わたくしはあなたの四肢を拘束しただけに過ぎませんでしょう? 身体の反応を返したのもあなた、わたくしの肉に負け精を放ったのもあなた。あの男たちと何が違うというのです?」 「……ぅ……」 「それに。今だって、この男のことを見ているだけで、胸が高鳴るくせに……」  俺の頬に手を伸ばしてきた心光から、目を逸らすので精いっぱいだった。心光の言っていることは事実だ。どう言い訳したって、俺が心光と身体を繋げてしまったことも、彼を思うと胸が苦しいのも否定できない。  それでも。それでも。彼がかつて苦しめられてきた相手と自分は、明白に違う──そう、信じたかった。 「そうやって俺を惑わそうとするのはやめろ。元はといえばお前が悪いんだろう、心光を他人のように呼んでいるお前だ。一体何なんだ? どうして心光はこうなってしまった」 「おや、わたくしと心光という僧は別の存在だと、そうおっしゃる?」 「ああ、そうだ」  力強く頷けば、心光はその瞳を細め、にぃっと嬉しそうに笑った。 「であれば、精々それを強く信じるがいいでしょう。この世はひとの信じるようになるものでございますから」 「……どういう意味だ?」 「そのままの意味でございます。鰯の頭も信心から、と申しますでしょう。人は己の信じたようにしか、世を見れないのでございます」 「話が見えない。それのどこが、お前と心光の話になる」 「ふふふ」  心光は楽しげに笑って、しかしそれ以上今語るつもりはないとばかり、俺の胸へと頬を寄せてきた。 「ねぇ、あなた。人にものを求めるなら対価が必要でございますよ。優しくて愛らしい蘇芳、あなたならわたくしを大切に愛して下さるでしょう? わたくしに熱く甘い精を施してくださいませ……」  蠱惑的な瞳で俺を見上げ。唇を寄せてくる。「やめろ」と俺は心光から身を離した。 「望まぬことをしていた、と聞いて抱けるはずがないだろう」 「おや。今更ひとり相手が増えようと、あなたが二度抱こうと何も変わらないと存じますけれど」 「黙れ。とにかく俺はお前を抱かない。話さないつもりならそれでいい、いずれ聞き出すつもりだが、そんな方法は望んでいないんだ。いいから今夜は、人も殺さず俺を誘惑もせず、大人しく寝てくれ」

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