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7-5 平穏

 それから俺たちは、穏やかな時間を過ごせていた。  といっても、心光はずっと檻の中にいる。いかに平穏で美しい景色だろうと、一歩出ればただ殺風景な檻でしかない。心光はそこから出られない。  そうまでしても、心光の魂と密接になりすぎた影を、完全に祓うことはできない。今、祓ってしまえば心光も道連れとなってしまう、という影の言葉は真実らしい。俺もまた、鬼であることを治す方法は確立されていない。百年の時をかけても、人に戻れるかどうか。  何も変わっていない。何も救われてはいない。  それでも、俺たちの時は確実に過ぎていってしまう。  翌日、国親と共に心光の蔵を訪れると、檻の中──幻の屋敷の中には、白虎もいた。  白虎はどうしたことか心光を気に入ったらしい。俺が屋敷に赴くと、心光に巨体をすり寄らせ、ごろごろと喉を鳴らしながら撫でられていた。その屈強な牙で脚に噛みつかれたことを思い出すと、俺はなかなか苦手だったが。 「いや、その節はすまなかったね。私も君が無害かどうか、当時はわからなかったものだから」  国親は俺が白虎と一定の距離を取っていることに気付いて苦笑したが、俺だってそんなことはわかっている。 「いや、気にしていない。それにこいつが大きな猫みたいなもんだというのも、よくわかる」  わかっていて、なんとなく苦手なだけなのだ。  そんな俺の気持ちなど構わないというように、白虎は俺にもすり寄って喉を鳴らす。しかたなく撫でてやると、頬をべろべろと舐められてしかたない。正直にいえば困ったが、心光がくすくすと楽しそうに笑うから、まあいいかとも思った。  国親は俺たちを救う術がないか、日夜考えを巡らせてくれているらしい。ただ、この都で一番の陰陽師にさえ、なかなか難しいことのようだった。 「なにしろ、人の心を持ったままの鬼や怪異なんて珍しいからね。蘇芳君にしろ、心光君にしろ」  祓ったり退治するだけなら、楽なんだけどねぇ~。  国親はそう溜息を吐いて、それから「ああ」と首を振った。 「別に君たちのことが面倒と思っているわけではなくてね。なんとかしてあげたいんだよ」 「それはわかっているさ」 「ええ。国親様には大変よくして頂いておりますれば。わたくしもこうして、あの影に怯えず過ごすことができるだけで、ありがたきことにございます……」  心光も深く頭を垂れる。そんな姿を見て、国親はまた「ああ~」と溜息を吐いた。 「もっと根本的なところから解決してあげたいんだよね。私もこの国一番の陰陽師とか言われておきながら無力なものだよ……。その辺、偉大なご先祖様はどうしていたんだか。本当にろくな百年じゃなかったんだろうね、大した資料が残されていないんだ。私にできるのは式神を作ることぐらいさ」 「式神……こいつらのことか」  俺にぐりぐり額を押し付けてくる白虎を押し戻しながら、国親に尋ねる。彼はうんうん頷いて、懐から札を取り出した。  奇妙な文字と模様の書かれたそれは、俺にはただの札にしか見えなかった。 「これを使って素直になってくれる、実体の無い怨霊はね、式神にしてあげられるんだ」 「怨霊、でございますか……?」 「あー……そうだよね。君たちにもわかりやすく教えてあげないと」  国親は懐から札を何枚か出して、床の上に並べながら言った。 「まず人や動物がいるよね。彼らは生まれたときには無垢で純粋だ。生きるために食べ、食べるために殺すだけの生き物ってわけ。ところが、生きて色んな事があるうちには、楽しいことと同じように悲しいことが起こる。その負の感情がこうして、この生き物の中に溜まっていく」  国親は人型の札の上に四角い札を置く。それと同じように、いくつも負の感情を持った人を用意して並べた。そして、その負の感情を、ひとつの人型へと集めていく。 「こうした負の感情が大きくなった時、これがひとりの人間にたくさん向けられたとする。その時、向けられた人がそれを信じ、応えてしまうと本当のことになってしまう。ちょうど、蘇芳君が自分を鬼だと思い込み、周りも君を鬼だと責めたようにね」 「では、……俺は自分が鬼だと信じなければ、鬼にならなかったということか?」 「まあ、そればっかりじゃないけど、そうだった可能性はあるかな。人って不思議なもので、自分がそうだと思い込めば、そうなっていくものなんだよ。まだまだ頑張れると思えば頑張れたりね。そういうことの延長線みたいなもの。乱暴な括りだけどね」  なるほど。そればかりではないのだろうが。  要は、幼い俺が周りから鬼だと囁かれ、自分が鬼なのだと思ってしまった。それも鬼に成ってしまった一端ではあるのだろう。そう考えると、ひどく救いようがない。  以前心光は(影、かもしれない)、皆が望むとおり人喰い僧に成ったと言った。俺たちは似たような存在だ。しかも肉体的に変化してしまった今となっては、鬼ではないと信じたところで簡単に人へ戻れるわけでもない。  はぁ、と無意識に溜息が漏れる。そんな俺を気遣ってか、心光が俺の背中を優しく撫でてくれた。彼を見れば、いたわしげな表情を浮かべている。苦い微笑みを返すと、間に入ってきた白虎に顔を舐められた。

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