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8-1 訪問者

 それはとある夜のことだった。  都の空には輝く満月が昇り、国親の屋敷も夜なお明るい。そんな彼の屋敷を訪れる者の姿が有った。  線の細い少年である。穏やかそうな顔立ちは白く、随分と血色が悪い。時折こほこほと小さく咳き込む様子からも、彼が健康でないことが窺えた。しかし身なりはきちんとしていて、位の高い人物なのがわかる。  そんな彼が、従者をふたりばかり連れ国親の屋敷へ訪れたとき。ちょうど国親も、蘇芳も屋敷を留守にしていた。  国親と蘇芳は、救われる道を探し日夜都を駆けまわっていたのだ。それを知ってか知らでか、少年はやってきた。  彼は、屋敷を守っていた者に、心光と会いたいと伝えた。事情を察し、彼らは心光の檻へと少年を案内する。そして少年が「ふたりで話がしたい」と言うので、皆そっと蔵の外へ出たのだった。  蔵の中は、少年から見れば暗く質素なもので、中央に檻がひとつ置かれているばかりだった。無数の札が貼られている檻は無機質で、その中には心光が眠っている。少年は小さく息を呑んで、それからおずおずと檻へと近付いた。  一際大きく、文字の多く書かれた札が、檻の入口に貼り付けられている。これが、心光を封じているのだろう。少年にも直感的にわかった。彼はしばし逡巡し、それから檻へと手を触れると、心光へと呼びかけた。 「兄さま」  その言葉に、心光が薄く目を開く。ゆっくりと亜麻色の瞳が、少年を見つめた。なにかに気付いたように上体を起こすと、彼は「兄さま……?」と問い返した。 「はい、兄さま。お初にお目にかかります。私は母違いの弟、定幸でございます」 「…………」  その言葉に心光が、小さく息を呑む。瞳を揺らがせ、何か思案している様子だったが、やがて身を正して、少年に──定幸に向き直った。 「はじめまして、定幸。わたくしに、何か御用ですか? 今のわたくしは見てのとおり、囚われの身。あまり共にあってはいけません」 「はい、兄さまのお加減については、雪子さまより聞き及んでおります。ただ、どうしても、どうしても兄さまとお話がしたくて……」  ご迷惑、でしょうか。  そう呟く定幸は、気も弱そうで、心光よりもよほど儚げな様子だった。返事を待つ間にも、こほこほと咳き込んでいる様子に、心光は憐みの表情を浮かべ、ゆっくりと彼のもとへと歩み寄る。  本音を言えば。  心光は、穏やかな気持ちではなかっただろう。花山院家の正室の子、定幸が生まれたことにより、自分は出家させられた。幸せな日々を奪った原因が目の前にいるのだ。  それでも心光は柔らかな表情で、定幸のそばに行くと瞳を交わした。顔つきは確かに正室の女性にも似ているけれど、半分ほど同じ血が流れているのだ、というのはよくわかる。顔立ちこそ違ってもどこか柔和な雰囲気が纏い、互いにどこか儚げな瞳をしているものの、そこにはなにかしっかりとした意思を宿しているのだった。 「……あなたとお話するのは、初めてですね。わたくしが花山院のお屋敷を出る頃、あなたはまだほんの小さな子でしたから……」 「はい、私も父や雪子さまから、兄さまの話を伝え聞くばかりで……。父が決めたこととはいえ、自分が兄さまの立場だったらと考えると、胸を痛めておりました」 「…………」 「先日、雪子さまより兄さまのことを聞いて、どうしてもお話したくなって……。兄さまがお嫌でしたら、私も諦めて帰ります。ですが、もし、兄さまさえ良ければ……」  不安げな定幸に、心光はややして優しい微笑みを浮かべ頷いた。 「わたくしはもちろん、構いませんよ。腹違いとはいえども、我々は兄弟なのですから。それに時間はいくらでもあります。しかし、あなたの体は大丈夫ですか……?」  先程から咳をする定幸を気遣うように問う。定幸は「はい」と笑って頷いた。 「小さな頃からこんな調子ですので、大丈夫です。……ああ兄さま、お話したいことがたくさんあって、何からしたらいいものか……そうだ、兄さま。今宵の月は本当に美しゅうございますよ。まるで湖面に浮かべた金色の盆のようでも、一方でしんと静まり返った夜に咲く白雪の庭のようでもあり──」

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