82 / 105

第82話 神レベルで仕事ができる上司だと

 ◇   「アルテッドの奴、意外と性格が悪いんだよな……俺は悪くないのにさ」    アルテッドと喧嘩をした。  朝食後少し落ち込みながら皿を洗っていると、隼人さんに研修として仕事の様子を見学するよう指示を受けた。  それから、俺と隼人さんは2人で仕事部屋に籠っている。守秘義務があるし、グレンシアとアルテッドは仕事部屋への出入りを禁止されているから入れない。 「すごい……」  隼人さんの書いたスクリプト……文字列が書かれたファイルをサブ機のノートパソコンで開けばため息が零れた。  美しいコードってやつだ。無駄なく洗練された文字が連なり、完璧なプログラムに仕上がっている。これはプログラマーとしての夢というか憧れというか、今の俺には無理なんだけど。こんな見事なスクリプトを書きたい人生だった……。 「隼人さん、これでいてエンジニアとしても一流なんだろうなあ!」  隼人さんは企業からの依頼を受けるフリーランスだ。難易度の高い案件はご家族の伝手から入って来る事も多く断れない。話を聞く限り結構大変だな……。  IT業界は同じ業界内でも他業種と言っていい程、作っているものによって仕事内容が違う。異なる言語を扱う職場へ行けば、その言語を学ばなければ仕事内容を理解する事はできない。だから、俺も隼人さんが凄いという事しか分からないのだ。 「何が書いてあるかはなんとなくしかわからん。しかし、美しいのは分かる」  ゲームエンジンの言語なら俺だって業務レベルで書ける。けど、この綺麗すぎるスクリプトたちを見てるとさ、俺がお手伝いできる事ないなって悟るよね! 俺、プログラマー歴3年だよ? このレベルはさすがに無理だよ! 「神レベルだよ!」 「直哉さん、後ろでべた褒めされても困ります」  仕事中の隼人さんが苦笑いでこちらを見た。  本当にすごい。こんなレベルの人から学べるチャンスなんて、そうありはしないだろう。キャリアアップのチャンスかもしれない。  実務も積ませてもらえて、指導もしてもらえるならいつか俺も隼人さんみたいな一流の仕事ができるんじゃないかな? 俺次第なのは前提としても、少なくとも確率は上がるはずだ。 「俺、今はゲームしか作れないけど、仕事に必要な言語を勉強します。この本棚の資料を読んでもいいですか?」 「ええ、ご自由に」  基礎や応用、定石が書かれた参考書から、隼人さんの書いたメモみたいな資料集までが本棚にぎっしり詰まっている。隼人さんは6個くらいの言語が扱えるのかな? もっとあるのかもしれないが、参考書から分かるのは少なくとも6個だ。  6個の言語を高難易度の実務レベルで使いこなすとかベテランだなー! 俺からするとファンタジーだよー! 「隼人さ……」  テンションが上がってしまっていたけど、俺が話し掛けていては迷惑だ。黙って、参考書を読もう。  う……しかし、スカートだとどう座ればいいか問題というのがある。  簡易的な椅子を貰ったが、スカートで男らしく座るのははしたないのか? 足を閉じていたら、女装癖を疑われるんじゃ? で、でも意外と女性ってさ電車の中でそこまで足を閉じてないっていうか、閉じてるけどくっつけてる人ってあんま居ないよな。  程々に閉じて、少し隙間を開けて。自然な感じにしよう! 「あ、意外とわかるな……」  俺が使いこなしている言語とこの参考書の言語は共通点も多く、ほぼ同じ文法だ。人気の高い言語で案件も多い。この言語を学べば早く実務経験が積めるかもしれない。  とはいえ違う部分もあるから学ぶ事は必須だな、言語としての難易度も少し上がるみたいだ。俺はノートパソコンで学んだ事を試していく、プログラミングの基礎学習は手で覚えるのが手っ取り早い。  応用編の参考書を見ながらスクリプトを書いて、テストに動かしてみる。俺、すごくね? という謎のにまにまを感じるのがプログラミング学習の面白さだ。  俺の作ったものを隼人さんがのぞき込んできた。俺の後ろから、マウスを手にしてスクリプトの全体を軽く把握する。 「ここは1行で、こう。ここはこの本にある定石で書き方を学んでみて下さい」 「は、はいっ! あの、こういう時の書き方なんですけど……」  質問をしても快く教えてくれるし、どうすれば簡潔に美しくなるかという何段も上から見た視点での指導は目から鱗だ。   「直哉さんは、理解がとても早いですね」 「いや、少しではありますけど実務経験があるからですよ。俺、本当にプログラミング学習初心者だった頃は、関数大嫌いでしたもん。意味わからなかったですし」 「ふふっ、わかります。学習で躓くポイントですよね」 「ええ」 「……そうですねぇ。では実務と仮定して、これを書いてみて下さい」 「はい!」    手渡された設計書と資料、俺はそれらを唾を飲んで眺めた。いや、作ったものが採用されるかは別問題としてもう実務だ。    俺はもはや、自分が隼人さんの元カノの服を着せられていて、脱衣所で扱かれた挙句、アルテッドと喧嘩になった事などすっかり忘れていた。  いや、というか! もうどうでもいいよな! そんな事よりも、新しい仕事へのわくわくが収まらないんだ。この部屋では隼人さん真面目に仕事して、真面目に教えてくれるし。  変な事されないなら、最高の職場過ぎる。いや、女装しながらそれ考えても手遅れ感あるけど。……いや、女装くらいならしてもいい。この環境はすごく幸運だ。  たとえ何かされても我慢していれば、スキルアップの速度は同期の数倍だな! とにかくいい環境だ。隼人さんの秘蔵メモまで読ませてもらえるんだぞ? たぶん、すごい事が書いてあるぞ! まだ理解できないけど……。 「俺、隼人さんと出会えてよかったです」 「誘ってます?」 「誘ってないですっ!」  発言には気を付けないと、謎のスイッチを踏んでしまうな。 「まあ、確かに人より抜きん出る為には、人とは違う環境で違う事をする。とよく言われる事ですからね。直哉さんがわくわくしてしまうのも無理はありません」 「隼人さんはどこでご経験を?」 「……」    沈黙した隼人さんの横顔に言いにくさを感じ取った俺は踏み込み過ぎたかと焦ったが、隼人さんはこちらを見て口を開く。   「私は3歳の頃からプログラミングで遊んでいて、ゲームを作ってばかりいる子供でした。自然とたくさんの言語を学んで、自然と実務を積んで、スキルが積み上がってきた。そして、今に至るという感じですかね」 「就職した事はないんですか?」 「ずっとフリーランスで実務を積んできました。身内が経営する会社からの案件もありますし、業界での信用は勝手に出来上がりましたからね。まあ、七光りとか運がいいだけみたいに言われがちな経歴ですよ」 「うーん、七光りでない事は仕事の内容を見れば誰でも理解できますけどね……」 「どの業界であろうと、仕事のできない人間ほど悪口が多いものです」 「ほ、本当に凄さが理解できなくて隼人さんに噛みつく人が……?」 「います。文字が読めないのかもしれませんね。私には文字すら読めないのに同業者である人が理解できません」  隼人さんは興味も無さそうにそう言って、画面に視線を戻した。  恵まれた環境で育って、すごいスキルやキャリアを積んでいても。それはそれで悩みがあるものなのだと、思った。  そうか、グレンシアやアルテッドも同じなのかもな。どんな身分や立場でも悩みがある。特に今は異世界に来て不安でいっぱいのはず。  ついさっきまで浮かれていたが、よく考えたらそんな俺は無神経だ。  ……アルテッドと喧嘩してしまった事を後悔した。  どうして俺は人に優しくできないんだろうか?  よく考えなくても分かる事だ……アルテッドからしたら隼人さんの気持ちが自分から離れるのはすごく怖いはず。  この世界の住人で頼れるのは隼人さんと俺しかいないのに、隼人さんの事で俺と喧嘩して、アルテッドは不安になっているかもしれない。  いや、だからさ、そんなん当たり前だって! 「あ、あの隼人さん。少し休憩に外の空気を吸ってきていいですか?」 「……ええ、構いませんよ」  俺は、リビングへ向かった。リビングの端っこにある和室の一角、そこでクッションを抱きしめながら寝転がるアルテッド。拗ねた顔をしている。やっぱり不安なんだ。 「アルテッド、ごめん。さっき俺……」 「!」  アルテッドは俺の心を読んだのか、驚いた顔をした後。恥ずかしそうに視線を逸らした。 「私も悪かった……」 「俺、隼人さん程頼りにならないけど。でも、グレンシアとアルテッドの事を守るよ。絶対見捨てたりしない。この先、何があっても約束する!」 「……」   「だって、2人はあっちの世界で俺の事、守ってくれたからな」 「……別に、私は向こうで大した事はしていなかった」 「いや、めちゃくちゃ世話好きだったくせに」  思い出すと嬉しくなって、笑っていた。  アルテッドは俯いて黙っていたけど、仲直りしたので俺は仕事へ戻る事にした。 「ごめんな、直哉……」 「ん?」 「――いや、なんでもない」  振り向いてアルテッドの顔を見た。彼は少し思いつめたような顔をしていたんだ――。      ――『隼人SIDE』 「アル、怒っているんですか?」  夜、同じ部屋で寝るのだから夫婦としては良い雰囲気で居たい。アルがずっと拗ねた状態なのは考えものだ。  しかし、俺が抱く直哉さんへの下心なんて丸分かりだし、アルが怒るのも無理はない。わかっている。胸が痛むし、罪悪感はある。それでもやめる気にはならない。 「私が愛おしい気持ちで抱くのはアルだけです。約束します」 「……」 「そんな涙目で睨まないで下さい」  ベッドに横たわるアルへ覆い被さって、彼の瞳にキスをする。キスした自分の唇を舐めれば少しだけ、しょっぱい。愛しい人の悲しみだと分かっていても、俺は興奮する。最低だ。 「アル、愛しています。わかっているでしょう? 俺がどれだけアルを愛しているのか、伝わっているはずだ」 「知ってる……」 「俺の事を信じて下さい」 「信じている、だが。胸が痛むんだ……」 「信じているのに?」 「お前が辛くはないかと……」  俺の中で何かが崩れそうな感覚がした。俺の中で、言い当てられたくないものがある? 俺に心の傷が? 馬鹿馬鹿しい。そんなにひ弱で生きて来た訳じゃない。 「いいんだ、抱いてくれ、エルド……」  俺の首に腕を回して、泣きそうに懇願する愛しい人に、胸が締め付けられた。  今は思いっきり、激しく抱きたい。 「かまわない……好きに抱いてくれ」  服を脱ぎ捨て、興奮したそれを涙目の彼の蕾へ押し付ける。痛み避けの魔法で滑りが良くなったそこにずんっと奥まで滑り込ませて、激しく出し入れを始めた。 「っあ! んあ……あっ! っ!」  跳ねるアルの体、腰を両手で固定して激しく突けば、愛しい人なのにまるでおもちゃだ。  この感覚は? なぜそう思うんだ?  俺は、アルを愛しているのに――。

ともだちにシェアしよう!