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第85話 貴方の心が戻って来たって知ってる
――『アルテッドSIDE』
私は、エルドが直哉のカフェを手伝う事を不満に思っている。
「アルの出資した店ですし、成功してもらいたいじゃないですかー」
「だからといって、私との時間が減るのは……」
「アルとの時間も大切にしますから」
「もってなんだ! 浮気者がっ!」
目の前で光の粒が舞う。
「……エルド?」
エルドが消えてしまった。私はパニックになって動けない。
目の前が暗転し、気付けば殿下と2人で少し狭いが綺麗に整った部屋に居た。異世界なのか、見た事のない調度品で溢れている。
ドアを開けて、怠そうに歩いて来る黒髪のエルド。彼は感情が高ぶった表情をし私を抱きしめ泣く。
「アル……よかったっ……無事だった、消えてない……!」
「……どういう事だ」
「あの世界が消えてしまったんです。どこにも存在しない……少なくとも今の俺には、あの世界が、プログラムがどこにあるのかわかりません」
……私にとってはどうでもよかった。
こちらで、抱かれ幸せだ。こっちの世界ならきっと、エルドは居なくならない。別れの時は私が消える時なのだから、ずっと一緒だ。失った物より、最愛の人を失わなかった事が嬉しい。
……それなのに。
「隼人を誘惑しておきながら!」
「1ミリも! 隼人さんを誘惑した覚えなんて無いからな!」
「そんな服着ておいてよく言い切れたな……」
「こ、これは! 全裸よりいいし……他意は一切無い。隼人さんもアルテッドに着せるのとは意味が違うって分かっているだろうし」
「はあ? 男が興奮する服を着せるのに違いなんてある訳がないだろ!」
「なんだよ、アルテッドのばか!」
「2人とも落ち着いて下さい!」
平和な日々が来ると思ったのも束の間、私が抱くのは直哉への嫉妬だ。大人げないと分かっていても、何も考えずに隼人からされるがままの直哉に腹が立った。
……不安にもなる。
喧嘩から少し経って、頭も冷えたのだろう直哉が私のもとへ来た。直哉を責めても仕方がないのに、責めてしまった私の方が悪い。
「アルテッド、ごめん。さっき俺……」
「私も悪かった……」
直哉に謝られた。隼人はお前を遊びで落とすつもりなのに……。気持ちは晴れない。
今起きている事は隼人さえも悪くないと、私は知っている。
他人の身勝手で非情な事が起き、それは隼人を激しく傷つけた。私には分かってしまう。だから、隼人を強く責められない。
隼人に引きずられるように暗闇へ落ちていきそうで、私は何とか落ちないよう必死に堪えていた。
少し、諦めの気持ちが芽生えた頃。
玄関にグレンシアと、すっきりとした表情の「エルド」がいた。
帰って来た最愛の人はボロボロで、私はその手にできた傷を癒す。
流れ込んでくる感情はすっきりとしていて、隼人の歪んだものが今だけはまっすぐになっている。
隼人は気付いていなかったが、彼が歪んだのは妹の死が原因だ。
家族から隠されていた本当の死因は、レイプ後の放置だ。そこから察するに、おそらく局部が裂けて治療も受けられず死んだのだろう。
そんな凶悪な行為で実の妹が苦しみ死んだなんて事は……とても受け入れ難い。
なのに日々は進んでいく。周囲の人間は隼人の気持ちや事情も分からない。そんな日々の中で、どんどん歪なものが育って、隼人自身すら自分の中にある歪んだものの正体が分からなくなっていた。
だが――。
やはり、王族というのは周囲を変える力がある。
隼人は天然王子に振り回されて、とても良い顔になった。
「ありがとう……グレンシア」
「アル、どうかしましたか?」
「いえ、直哉を呼んできますから、殿下の治療をしましょう」
◇
「ぐ、グレンシア!? なんでこんなボロボロになって帰ってくるんだよ! 散歩に行くだけだと思ってたのに!」
「な、直哉さん! いえ、ちょっといろいろな偶然があり、人助けをする事になってしまいまして……」
リビングの椅子に腰かけているグレンシアを回復魔法で癒す。この世界に一体何の危険があってこんな姿に? というか隼人さんまでボロボロなのは意味不明だぞ!?
「グレンシアを怒らないで下さい、直哉さん。全てうちの一族が原因なので……」
……目の前にいる彼はエルドだと思った。
晴れた表情、それは向こうの世界の隼人さんだなって感じる。こっちの世界でのしがらみや辛い事とか、消えてしまう事件でもあったのだろうか?
「よくわからないですけど、気分が晴れたのなら何よりです」
「……いや、私の人生がとんでもない方向へ向かいそうですよ」
「どういう意味ですか?」
「ゴブリンが現れちゃいまして」
ご……ゴブリン!?
「父には親しい政治家がいるので、化け物の存在を報告しました。ゴブリンはこの世界の武器ではおそらく倒せないでしょう。あっちでも銃やナイフなんて軽装で倒す敵ではありませんでした。熟練の剣士か腕のよい魔法使いでなければ、死ぬだけです」
「じゃあ、こっちの人間がゴブリンを倒そうとしたら、戦車で大砲でも撃ち込むんですか?」
「的が小さいですしねえ、たくさんいるにしても致命傷にはなりません。奴らは素早くよく動きます。街が壊滅するだけですかね!」
「ど、どうするんですか!?」
「酷ですが、被害が大きくならないと私たちは表に出ていけないでしょう。正義の味方の不思議な力が許されるのは、国民を被害から救うからです。まず巨悪がいないと成立しません」
それはそうだ。いくら隼人さんのご親族が権力者であっても、簡単にゴブリン退治お願いしますなんて話にはならない。ゴブリンに気の済むまで暴れさせて、被害者で溢れないと国は動けない。日本はいい国だけど人命第一すぎて慣例以外の事を嫌う。
その姿勢が死人を出す事すら受け入れて日々の平和を享受してきた。
俺もそれでいいと思って政治に無関心な若者だ。今さら国が悪いとも言えないし、権利もないだろう。
「ですが」
「?」
「なんの因果か、私はどうも正義の味方になりたいようです」
「え?」
「それで……その」
「?」
「……直哉さんにお願いがあります」
俺の手を隼人さんが取る。何かと思い目を見開けば、視線が合った。
「直哉さんの人生を私に預けてくれませんか?」
真剣な表情でそう言った隼人さん。彼から誠実さを感じ俺は嬉しかった。俺の仕事を辞めさせたり女装させたり、自分勝手な人だったけど。彼の中で何かが変わったのかもしれない。
「お、俺も被害の舞台裏で戦うって事ですよね!」
「直哉さんの力がないとこのようにボロボロですからねえ」
「俺はグレンシアとアルテッドを守るって決めてますから! 隼人さんの事も守りますよ」
隼人さんはふっとはにかんだ。見た事のなかった隼人さんの表情に彼の中にあった霧が晴れたのだと感じた。
「隼人さんの気持ちが晴れて本当に、よかったです!」
「ええ、グレンシアがいてくれて……」
その先を口にせず、隼人さんは嬉しそうに微笑んだ。
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