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6 照路:夜の散歩はどこまでも
「地球に抱かれてた」
寝ていたのを誤魔化すために、そう言ってみた。糸を引く視界の、海戸 の首まわりの黒くて大きいフードが、くっきりしてきた。
背もたれに肘を置いて、海戸が言った。
「いまから出かけてくる」
「なんで」
「焼き芋チョコムースラテがおわる」
「期間限定?」
「そう。今日でおわり」
べっとりと甘いのが舌ににじんで、目を閉じると、それをひとりで買いに行く海戸の背中が見えた。ソファーから起きた。
一分で支度 をした。
「海戸って甘いの好きだっけ」
「嫌いだな」
「じゃあどうして?」
「季節物を取り入れべきだと思って」
ブルゾンの襟もとに入る風で、寒さがちくちくする。公園のほうから、スケボーの音が固く鳴っている。
「最後まで見たの? 〝碧 い舟に乗って〟」
「照路 の寝息つきで」
「要約すると」
「生物はたくさん絶滅してきたけど、おれたちはここにいる。そんな感じ」
街灯がきれいに降りそそいで、つるんとした海戸の顔は、うれしそうにもかなしそうにも見えた。きょうはひさしぶりに休日が重なって、早めの晩ごはんを食べたあとは、なんとなくドキュメンタリー映画を見ていたのだ。
「世界が滅ぶとしたら、海戸はどうする?」
「甘いものは買いに行かない」
「家にいるの?」
「ベランダで見守る。照路は?」
「海戸をさわりながら見守る」
「ベランダでするのはダメだぞ」
葉ずれにかき消えそうな小ささで、海戸が鼻をすすった。
「ほんとはしてみたいでしょ」
「ベランダは寒い」
「あたたかくなるよ」
「声だせない」
「海戸、我慢できないからな~」
幹線道路の音がかすかに聞こえる。遠くの駅の電灯が、石段をおりていくと街路樹に隠れた。ぺらぺらした風のなかをしばらく歩いて、陸橋の手前で階段をおりた。一車線の道路をのぼっていく。目的の店は、浅丘駅とはちがう駅にあるのだ。両脇を雑木林に包まれた空に、星はない。車もない。コオロギの鳴くなかを、冷たい緑のにおいが漂っている。
「ん」
「ん」
と手をつないだ。
海戸の手はガラスのようにひんやりしている。
「寝るときはマスクをしなよ」
「去年痛かった」逆の手で、海戸は唇をさわった。
「一日置きにマスクすれば切れないよ」
「なんで一日置き?」
「口あいてるの見たいし」
「照路もさっきあいてたぞ」
「証拠がないからな~」
「写真撮った」
「同じことするな」
「撮ってたのか!」
「動画だけど」
「動画か」
と頷くや「はっ」と息をのむ音がして、おれは怒られる前にキスをした。出鼻をくじかれて、海戸の顔がほうけている。
「ハメど――」
「しない」
「だよねー」
「必要ない」
海戸の指に力が入った。おれは頷いて握り返した。
カーブをえがく坂は、前も後ろも木々の暗幕がおりて、二本の街灯だけがさびしく待っていた。街灯の下に、まだ食べられそうな、ラップでくるんだおにぎりが、踏み潰されていた。のりも具もなくて、ただ、花瓶の破片にそっくりだった。枝葉のしだれるうす闇に戻る。目に残っていた明かりがとだえて、海戸の手をつなぎ直すと、暗い歩道の上に、片方だけの靴が横たわっていた。海戸が縁石に立って、おれが枝葉に肩をうめて、そのあいだを靴は過ぎていった。葉でかゆくなった唇をかく。次の明かりが闇の端を焦がしていく。大きな音がした。巨大な鳥が飛び立ったような、両脇の雑木林が本当は何かの翼だったみたいな、そんな音で、葉がいっせいに打ち震えたのだ。おれは何もない空を見て、海戸も見ているだろうなと考えながら、葉ずれのやむのを待った。思いだしたように、コオロギが鳴いた。歩きだして、まっすぐになった道の先に、自販機が光っている。
「宇宙エレベーターって知ってる?」
「映画で見たな」
「いつか実現するかもだって。飲み会で聞いた」
「簡単に宇宙旅行できるな~」海戸の声が明るくなる。
「移住もできるよ」
「でもアニメみたいに戦争になるかもな。地球の人と宇宙に移り住んだ人で」
「いつかは平和になるよ」
「照路は移住する?」
「みんなが行くなら行かない」
「宇宙から手紙書くよ」
「やっぱ行く」
海戸が小さく笑って、それから何度か深呼吸をした。手はもうあたたかい。
自販機の前の、細かな虫たちのふくらみをくぐって、のぼりきった。給水塔と鉄塔のそばに並んだ。大きなひとつの発電所然とした街の、そこから湧き上がる夜風が、緑のにおいを剥がしながら、おれの目鼻や口をふさいでいく。息苦しくて逃げた空は、眠たげな宇宙を支えている。空の手もとは、星や月が照らしている。バイクの音が近づいてきた。海戸の肌はうつろだった。髪はうす闇と同化していた。まるで影法師みたいなのに、目が合った、そんな気がした。いそがないと。手を離したのを合図に、おれたちは笑って走りだした。
☆
店には、CLOSEDの看板が掛かっていた。「ごめん」と海戸が言った。おれはコンビニに飛びこんだ。
☆
「あま!」
「どれどれ。――あま!」
「だろ?」海戸が笑った。「びっくりするくらい甘い」
川風が公園へ流れ、ベンチの真ん中の空 の容器を震わした。海戸はあふれだしそうな塊をすくっては、ぱくついていく。カフェラテに、モンブランと栗味のアイスをぶちこんだやつだ。全部コンビニでそろえた、即席の、秋のカフェラテだ。
「甘いけど、秋っぽさは一番だな」海戸はストローとスプーンをどかし、じかに飲む。
おれは入りきらなかったモンブランの残りをほおばった。土手のにおいと混ざって、青くさい味がした。甘すぎるよりはいい。
「寒くない?」
「また坂のぼるし、平気」
「帰ったら風呂だね」
「だな」
「海戸」
「なんだ」
「甘いもの好きでしょ」
返事のかわりに、海戸はアイスをかっこんだ。
おわり
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