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「全額」

店主は俺の前に古紙と万年筆を差し出した。これに予算を書けということなのだろう。 少し考えた後、俺は筆を走らせた。 「これで」 婚約指輪の相場が、どの程度か知らないが、俺の出した金額は決して高い方ではないだろう。 しかし宝石のほの字もしらないリアンに高価な物をあげるのも気が引けた。 (何あげても喜びそうだし) 楽観的に考えていた俺の脳裏にリアンの言葉が蘇った。 ーー嘘でも一緒にいてくれるって言ってくれて嬉しかったんだ。 ーーシャドが嘘つきなの、俺知ってるよ。俺がここにいられるのも、シャドが俺の事、好きでいてくれるのも俺が『天才パイロット』だからだろ。 (……本当に喜ぶか?) 俺の言葉を優しい嘘だと言い張ったリアン。 先ほどの俺の告白をどう受け取ったのか、そして婚約指輪をどう受け取るのか、予想などできるはずもない。 また嘘などと言われてはたまったものではない。 「ちょっと待ってくれ」 気づけば、俺は店主を呼び止めていた。 万年筆を持つと、先ほど書いた数字の後ろにゼロを付け加えた。 金額が愛を表すなんて思わないが、嘘や冗談では済まされない物を贈らないと気が済まない。 意地なのだろうか。 俺はただリアンにわかってもらいたかった。 「やっぱりこれで」 「かしこまりました」 土壇場で予算が十倍に跳ね上がったというのに、店主は驚く様子もなく返事をした。 店主はメモを見下ろしながら、何か考えているようだった。 「ところで、お相手様は宝石に明るいお方でしょうか?」 「いや、全然分かんねぇと思う」 「そうですか」 店主は返事をすると、再び店の奥へと消えていった。 (宝石も分かんねぇ奴にこんな大金積むとかマジで馬鹿の所業じゃねぇか。完全に早まった。つーか、ほぼ貯金全額だよな。明日から飯も出ねぇのに、どうやって生きていくんだよ、俺。草でも食うのか……) 一人になった途端に後悔が押し寄せてきた。 新生活を控えて貯金をすっからかんにしての衝動買いなど笑えたものではない。 俺は冷えた気持ちでショーケースの中の宝石たちを眺めていた。 「お待たせいたしました」 「あの、やっぱり俺……」 断ろうと顔を上げた俺の目に飛び込んできたのは、澄んだ青の宝石だった。 店主が持ってきた指輪は一点。シンプルな装飾の銀色のリング。その中央に嵌められた四角くカットされた大きなサファイアが目を引いた。 それはこれまで見せられたどのサファイアよりも深い青で、それでいて濁りがなかった。まるで深海を切り取ったような美しさを持っていた。 この指輪をリアンの付けた姿が目に浮かんだ。 あの少し骨ばった手にこの指輪はよく似合いそうだ。 「指輪には、宝石の価値、リングの品質、台座の装飾……とこだわりだしてはキリがありません。まあ、それを楽しんでこその宝石とも言えますが。  こちらの指輪はその中でも宝石の価値ーーそれも大きさに比重を置いています。宝石を知らないお方でも、この大きく美しいサファイアを見ればこれが高価な指輪であると分かるでしょう。宝石の大きさが愛情だと言うつもりはありませんが、貴方のようなお若い方がこの指輪を贈るには相当な愛と覚悟が必要です。  たとえ、贈ったお相手が分からなくても客観的に見てそうなのです。こんな立派な婚約指輪を贈られるなんて、この人は愛されているに違いないと誰が見てもそう思うでしょう。宝石の価値が分からない方に愛を示すにはちょうどいいかと」 「これにする」 俺はその美しさに取り憑かれたかように返事した。 俺の胸は弾んだ。それはリアンの喜ぶ顔に対する期待と大きな買い物をした高揚感、そして明日へのほんの少しの不安だった。 (……草食うか) そして、俺は早々に人間らしい食事を諦めた。 小切手にサインをすると、店主は指輪を小さな宝石箱にしまった。 薄紫色の宝石箱はこの店『ホーラ』のトレードマークだ。 クリスマスなんかの兵舎にはこの紫の箱を懐に忍ばせた奴がそこらじゅうにいる。 贈り相手は恋人だったり家族だったり仲間だったりと様々だが。 (俺もこの箱を持ち帰る日が来るとはなぁ) 「僭越ながら私からひとつアドバイス差し上げてもよろしいでしょうか?」 店主は薄紫の箱を俺に差し出すと、柔和に笑った。 「プロポーズというのは、十人十色。正解なんてありません。しかしどんなに高級な指輪を用意しても、渡し方を間違えてしまっては石ころ同然です。是非、心を込めたお言葉を添えてくださいね」 三日月型に細められた瞳が、いつも伝え方を間違える俺を見透かしているようで、内心ぎくりとした。

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