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第八章

「ただいまレオ、遅くなってごめんな」 「ちか兄、最近仕事、忙しいの……?」  最近の玲於はストレスを溜めている。千景の仕事が繁忙期を迎え連日連夜帰宅が遅くなっていたからだ。以前のように取り乱す事は無いが、折角思いが通じ合った間柄であるのに触れ合う時間が少ない事は青少年の玲於にとって不満でしかなかった。 「大丈夫だよ、忙しいのは今日で終わったからな」  帰宅するとほっと一安心する。どれだけ終日終電間際まで急な仕様変更に対応していようとも、どれだけ煙草休憩を削られても、扉を開けると出迎えてくれる存在がそこにいる。  今日の天使は膨れっ面で、物言いたさげに千景にまとわり付く。ふにふにとその頬を撫で回すと玲於の顔がぱあっと明るくなる。 「ほんと!?」 「明日軽い打ち上げがあるけど、明日行けば明後日は休み」  千景は自宅で酒を飲まない。嫌いな訳ではないが家で酒を飲む必要性を感じられないのだ。十九歳とはいえ未成年を一人家に置いておく中その判断は賢明だった。 「長いよお……」 「レオ……なるべく早く帰るようにするからさ」  着ていたシャツを脱いで洗濯籠に入れながら玲於の不服を訴える声に耳を傾ける。千景にとってはあっという間に過ぎる一日だとしても、玲於にとってはずっと一人で家に居るだけの長い一日なのだ。  外に出る事で多少の気分転換にはなるだろうが、それを強要する事を千景はしない。毎日家で何をしているのか気になるところではあったが、ちらりと視界に入ったゴミ箱の中に山盛りになったティッシュを見て敢えて問わない事にした。  自分が今の玲於と同じ年齢の時はここまで性欲が強かっただろうか、千景は考えた。十九歳といえば丁度九歳の玲於と風呂での一件があった頃だった。その頃の千景は鬱屈としていた。恋人は居なかったが好きな相手はいた。それでもその相手を対象に性欲を発散する事も無かった。もしかしたら自分は玲於よりも性欲が薄いだけかもしれないと納得すると膝を抱えてベッドに転がる玲於の頬に口付けた。 「一人で長い時間留守番させてごめんな……」 「大人のキス、して……?」 「いいよ」 「ン……」  ベッドの上で二人共に腰を下ろして舌を絡ませる。普段より玲於の舌が熱い気もした。もしかしたら風邪でもひいたのだろうか、指先を耳の下から首筋を滑らせてみるが体温の上昇は見られなかった。この年齢である事から子供体温というのは考えられない。遅くまで自分の帰宅を待っていたから眠いだけなのかもしれない。  待たずに先に寝ていて良いと何度か言った事があるが、玲於は千景の顔を見るまでは眠れないと譲らなかった。  水音だけが室内に響く。キスをするだけならば体の負担にもならず、翌日にも響かない。体の関係に至った後も玲於が千景にキスを求める頻度は変わらない。加えればキスの選択肢にディープキスが加えられた位だった。 「ちか兄……」  しかし覚えたての玲於には刺激が強すぎるらしく、何割かの確率でそのまま行為に持ち込もうとする事が多々ある。 「今日は駄目、明日仕事あるから」  そう言って服の裾から忍び込ませる玲於の手を止める。千景も出来る事ならば玲於の望みを叶えてあげたい。しかし現実問題、一回で満足すれば良いが複数回求められその後の処理の時間を考えると遅く帰宅した時の行為は望ましくない。特に翌日にも仕事がある場合には尚更だった。玲於はその辺りの加減がまだ出来ていないようだった。 「……やだあ」  珍しく玲於が食い下がった。「おあずけ」を食らい続けているかのような状況だ。どんなに優秀な犬であっても「よし」が無ければ美味しそうなご馳走を目の前にして生殺し状態で涎を垂らし続けるしか無い。 「んんっ……駄目、だっての……」  玲於は残念ながら優秀な犬ではないので、千景に「よし」を出させようと芯を持ち始めたそこを自分の膝に押し付けて擦り始める。もう充分我慢はした、自分は良い子だった。  千景の腰に手を回し、自分の方へと引き寄せる。もう待てない、今すぐ欲しい。千景の中心に手を伸ばし柔く揉み込めば甘い吐息を漏らし、誰にも見せない千景の可愛い蕩けた顔が――  千景は玲於が伸ばした手を取りそっと指を絡ませる。その指先に口付け悪戯をしては駄目だと言うかのように手を下ろさせる。千景にとってはたったそれだけの事であっても、玲於の情緒をぐらつかせるには充分過ぎる程だった。 「ちか兄、俺のこと嫌い……?」  握り返す玲於の指に力が篭もる。加減をまだ知らないが折れるほどではない。 「……馬鹿な事言うな、大好きに決まってんだろ」 「最近忙しいって言って全然えっちしてくんない……」  玲於の言葉に間違いは無かった。確かにこの数日は仕事で帰宅が遅くなり、玲於からの求めを躱し続けていたが、それは平日に限った事であり、土日の休日に玲於を拒んだ事はまだ一度も無いのだった。 「ちか兄から『えっちしよ』って言われた事もない……好きなのは俺だけなの……?」  玲於の目からぼろぼろと涙が零れ落ちる。整った顔が歪に歪む。千景は玲於の涙に弱い。思わず絆されてしまいそうではあったが、節度というのも大事な事だった。  この日に限って玲於の機嫌の治りが遅い。蓄積されたものが爆発寸前なのかもしれない。目元に浮かぶ涙に口付け宥めるように千景が頭を撫でても、玲於の唇は真一文字に結ばれ震えている。 「……れーお」  両手で包んで顔を上げさせる。恨めしそうに浮かぶ涙がまた可愛らしい。軽く何度か口付けてから顔を引き互いの額を重ね合わせる。 「ちゃんと俺の目見て?」  不機嫌な犬は千景が優しく声を掛けると震える唇をゆっくりと開く。 「……好き」 「ありがとう、俺も好き」  玲於が千景に手を重ねる。やはりどことなく熱を帯びており眠さも極まってぐずっているだけではないかと千景は予測する事が出来た。 「俺は、いつでもちか兄としたいのに、ちか兄はそうじゃないの……?」  昔ならばぐずる玲於を抱き上げて背中を叩き続ければいつの間にか寝てしまったものだが、流石に今の玲於にそれは通じない。明らかに寝たくてぐずっている訳ではないからだった。  玲於を宥める間にも時間は刻一刻と経過していく。それを無駄な事だとは思っていないが、玲於をぐずる程に夜更しさせてしまったのは自分の帰宅が遅かった所為だ。 「今日は手でシてやるから」 「手、やだ。ナカに挿れたい」  燻る熱を治める事が出来たならばこれ以上の駄々を捏ねずに眠れるのだろうか。玲於が何を求めているのか分かっているからこそ、千景はそれを今すぐに叶えてあげられない事がもどかしかった。 「……じゃあ口でシてやるから」  千景もこれ以上の譲歩は難しかった。 「……くち?」 「フェラ知らねえの?」 「知らなぁい……」  どこまでも純粋無垢な玲於に良くない事を教えているのではないかと千景の良心がざわついた。 「じゃあほら、ズボン脱いで。出したら寝るからな」 「わあーいっ」  スウェットのズボンを下着と共にずり下ろすと、窮屈そうな凶器が解放される。ここまで我慢させてしまったのは自分の責任であると自戒し、最近切りに行けていない長い前髪を、邪魔にならないよう耳にかけて開かせた玲於の両足の間に顔を埋める。  涎を垂れ流すだらしないそこに口付け指先で根本を上下に擦り成長を促しながら、若さから止めどなく溢れ出る我慢の証を下から舐め上げる。 「っあ、ち、かにぃ……」  頭上から降り注ぐ切なさを帯びた玲於の声。玲於は欲に塗れた視線を千景に向け、連日の業務で傷みが表面化してきている髪に指を絡ませて握り込む。 「そんっ、なの……あ、っ……」  無意識に玲於の腰が揺れ動く。千景は腔内に含んだ一番敏感なその場所を頬の内側に押し付け玲於の様子を確認しつつ舌先で愛撫する。 「……きもち、いっ……」  とろんと眠たそうな表情を玲於が浮かべれば、仕上げとばかりに千景は腔内を真空状態にして唇で刺激を与えながら絞り取るように吸引を繰り返す。 「あ、も……出ちゃ、あッ……!」  蕩けた様子の玲於に服を着せ直し、ベッドに沈めて布団を掛ける。すぐにでも千景という抱き枕が欲しいと玲於は視線を送る。  玲於によって口腔内へと放たれた白濁を複数枚重ねたティッシュの上へと吐き出し、口元を拭ってゴミ箱の中へと捨て去る。飛び散らなかった事が幸いだった。 「出しちゃうの……?」  玲於が驚きとも非難とも取れる声色で問い掛ける。信じられないものを見たというようにベッドから身を起こして立ち上がろうと両手を付く。 「これ中々に喉いがらっぽくなるからお前も飲まねえ方が良いぞ」  起き上がる玲於の頭部を掴んで再度ベッドへと沈め、その隣に千景も横になる。ただでさえ最近残業が続いて体調が万全とも言い難い。繁忙期が終わるまではと気合で乗り切ってはいたが、このタイミングで喉を痛めたくは無い。  あれから千景と玲於は向かい合って眠る事が多くなった。気が付けば玲於は千景の頭部を胸元に抱き寄せて眠っていたり、反対に千景の胸に頭を埋めて寝ている時がある。千景との時間が少ない平日は少しでも千景を感じて眠りたいのだ。以前のような睡眠中の行いも最近は減ってきていた。 「ふぇらしてる時のちか兄、えっちだった……」  仰向けに横たわる千景に覆い被さるようにして玲於が唇を重ねる。角度を変えて、深く、何度も。水音が普段より粘度を増していたのは千景の腔内に残っていた白濁だろう。  普段は押し込むように注ぎ込んでいる白濁を、甘い吐息を漏らすこの口の中へと注ぎ込んだ快感。そういう形も有りなのだと玲於は再び勉強をした。玲於の大好きな千景の顔が玲於の放つ欲に塗れたらどんなに愛しいのだろう。 「はっ……フェラの後にべろちゅーとかお前猛者かよ……」  もう寝なさいと千景は玲於の胸を押し返す。間近に玲於の顔があるのに何も出来ない今がもどかしい。想像をするだけで一度放った欲が再び熱を持ち始める。千景が欲しくて堪らない。 「……ね、やっぱりちか兄の中に出したい」  その大好きな顔にも、愛撫すれば可愛く反応をする胸にも、自分のどろどろの欲をこびり付けて汚したい。この時間は今だけ――。目が覚めたら千景は再び仕事に向かってしまう。大好きで、大好きで仕方のない千景が、自分以外の誰かの目に触れる苦痛。他の男が同じように千景を汚したいと考えていたら―― 「さっき駄目だって言っただろ、大人しく寝なさい」  外に行って欲しくない。この家に、この部屋にずっと閉じ込めていたい。ずっと千景が側に居てくれるなら、玲於にとってそれ以上の幸せは存在しないのに、と。自分の物であるという証が欲しい。自分を愛しているという確かなものが欲しい。 「…………」  玲於は千景の胸に顔を埋めて眠る事にした。

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