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第九章
千景はミスをした。今日の飲み会は早めに切り上げるつもりだった。仕方なかったのだ、同僚が恋人に振られたという愚痴を延々と聞かされ、抜け出そうとしたその瞬間に納品したシステムに不具合が起こったとクレームが入った。その場に居た者の中で行けるものは職場に戻り対応に追われた。その慌ただしさに気付けば千景は眠り込んでしまっていたのだ。職場のベンチで目を覚ました時、時計の針は零時を指していた。
途中で何度か玲於に連絡をしようと考えたが、その時間すら取る事が出来ず、千景が飛んで帰った頃には深夜の一時を過ぎていた。
帰宅した千景は肩を大きく揺らしていた。何を言っても言い訳になってしまう。
「レオっ、ただい、まっ……」
「……お帰り。遅いよ」
玲於は先に寝る事もなく、リビングと浴室を繋ぐ扉の梁に背中を預けていた。声色に怒気の割合が多い。
「ごめんな、レオ……もっと早く帰ってくるつもりだったんだ……レオ?」
じっと千景のある一点を見つめたまま歩み寄る。表情が窺えない状態のまま玲於は千景の前に立つと、徐にシャツの衿元を掴みそのボタンが弾け飛ばんばかりに左右へと引き裂いた。
飛び散ったボタンが軽い音を響かせてリビングの床に転がる。
「乳首、立ってんの何で?」
玲於の指摘で視線を落とす。走って帰ってきた所為か、この程度ならば常識の範囲内だろう。千景はそう思っても玲於はそう思わなかった。
「っ、これは、別に普通のことで……、って、レオ!?」
「他の男に触らせたの?」
千景の言葉も聞かず、玲於は腕を掴んで浴室へと連れて行く。荒々しく扉を開くと浴室の隅へと千景を投げ飛ばす。肩を強打した千景の頭上から降り注がれるシャワーの冷水。
「冷たっ……レオ、ちょっと待ってっ……」
濡れたシャツ越しに、直接の地肌に、冷たい水が突き刺さる。体力が失われていき、熱を求めて全身が勝手に震え始めた。玲於はシャワーを手に持ち洗い流すように千景に水を浴びせ続ける。
「えろい姿で他の男誘ってたんじゃないの?」
「してない。そんな事してないって」
歯の根が合わずにカチカチと奥歯が鳴る。今何という言葉を掛ければ玲於を納得させられるのか。
昨日あれほど不満を口にしていた玲於だ、千景も今日こそは玲於の為に早く帰ってきたかった。玲於の手首を取りシャワーの柄を掴むと玲於はあっさりとそれを手放した。指先の感覚が既に朧げだった。栓を指先で何度も引っ掻き漸く放水が止まる。
音も立てずに玲於の指先が千景の頬を撫でた。その指は頬から顎下をなぞり千景の顔を上げ自分の方を見させる。
――玲於は、こんな顔をしていただろうか。
「……口でシて」
「ん、……」
冷え切った浴室の中に千景の吐息と水音が響く。玲於は千景の口腔内で成長を増し、少し玲於が腰を揺らせば千景の喉を突き上げる。
玲於の片足は千景の両足の間にするりと割り入り、濡れてへばりつくズボンの上から芯を持つ中心を擦り付ける。千景の手は一度それを止めるように玲於の足に添えられるが、お構いなしと玲於は足の指を使い形を確認するように刺激を与える。
「他の男のちんこ舐める時もそうやっておっ勃ててんの?」
「っは、他の男のなんて、舐めな」
「ちか兄、舐めて? 離さないで?」
玲於は千景の後頭部を押さえ付けて自分の方へと引き寄せる。もう何度喉の奥を突かれその度混み上がる嘔吐感を堪えただろうか。
「……は、ふ……ぅ」
息継ぎのし辛い状況に生理的な涙が浮かぶ。咥内で感じる玲於の脈。十年前とは色も形も異なる雄の象徴。唾液とも先走りとも分からない液体が口の中に広がる。
「……ちか兄、俺の事もう嫌い?」
「ッ!」
まさかの言葉に耳を疑った。玲於は千景を逃がさないよう頭部を抑える手に力を加えて数回激しい抽出を繰り返した。
「……奥まで挿れて、飲まなくても良いから口から出さないで」
「ぐっ、……んんぅ」
ずるりと千景の口から萎びた雄が抜かれる。千景は両手で口を強く覆い口の中一杯に広がる生臭さと喉の奥から覗く吐瀉物と戦った。
「ちか兄、俺はちか兄の事愛してるよ」
玲於が屈んで千景と視線の高さを合わせる。耐え続ける千景の顎を掴み視線を上げさせると、目で訴え顔を左右に振る千景に笑みを向けその細い腰からズボンと下着を強引に脱がせる。
慣らしても居ないそこにはボディーソープを原液のまま塗り付け、荒々しい指遣いで千景の中を侵していく。
数日前、求める回数が多い玲於の為に避妊具を用意した。中出しは翌日の体調を左右するから出来るだけしない事と千景には強く念を押されていた。浴室に避妊具の用意は無く、何より湯が入るのが嫌だと千景は浴室内での行為を苦手としていた。
千景の腰を浮かせとろりとソープを溢す蕾に玲於は自身を宛てがう。口を両手で押さえたまま千景は玲於に視線を送る。
「……何、ゴムなんて今日は付けないよ。他の男の精液でも入ってんの?」
首を左右に振り千景は必死に訴える。浮気を疑う程玲於を追い詰めてしまったのは自分自身の行いが招いたことなのだ。
「じゃあ、中に出しても良いよね?」
今この状況で玲於に止めて欲しいと願う事は出来ない。この数日間玲於には散々我慢をさせ続けていた。玲於がそれを不満に思っていた事も千景は分かっていた。
「……ちか兄……俺、不安なんだよ……」
ぬるり、と玲於が千景の中を侵していく。背筋に電流が走り千景の背が弓形にしなる。思わず悲鳴にも似た声が漏れそうになるが、口を開けば白濁が溢れてしまう。飲んでしまえば問題無いのだろうが、何度飲み込もうとしても喉の奥が拒絶する。そもそも飲むものではない。嘔吐感を抑える中でも玲於は知ってか知らずか千景の弱い所を執拗に責めてくる。
肌のぶつかり合う音が響く中、ぽつりと呟いた玲於の言葉が千景の耳に届いた。
「ちか兄初めてじゃないじゃん……俺はちか兄が初めてなのに……」
千景の瞳が揺れた。玲於には気付かれていたのだ。玲於の肩越しに、浴槽の中に千景は白濁を吐き出す。
「……レオ、ごめんな」
玲於はずっと不安を一人で抱えていたのだ。一人で過ごす間その不安は玲於の中で大きく広がっていたのだろう。蔑ろにしたつもりは無かった。しかし玲於にはそう見えなかったのだろう。
もっと、玲於の不安に向き合わなければならなかった。保護者として、恋人として。
「お前の事不安にさせてた俺が悪い……」
千景の動きが止まった。相手に感情をぶつける方法しか今の千景には分からないのだ。こめかみに口付け、瞼に口付け、首筋に口付けた。
「ちか、にぃ……」
萎縮した玲於が千景の中から抜ける。ほろほろと溢れ始める涙に、玲於は口付ける。
「レオが安心出来るなら、俺は何でもしてやるから。泣かないで……レオ、愛してるよ」
見えないのなら、見えるようにしてやれば良い。玲於が納得出来るやり方で。唇を重ねると瞬きと一緒に大粒の涙が玲於の頬を伝う。
「……何でも?」
窺うような、媚びるような視線を玲於は千景に向ける。
「ん、何でも」
玲於が望む事ならば何でも叶えてあげたいという気持ちにさせられる。
玲於は指先で千景の唇をなぞる。
「……じゃあ、俺のせーえき、口から出したお仕置きしてもいい?」
「…………いい、よ」
向けられたのは、天使の微笑みだった。
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