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Despair -絶望-

 ぼたぼたと生暖かい液体が柊弥の顔に落ちる。 「が、は……」  十六夜から柊弥を守るように覆い被さる深雪の姿が柊弥の目前にあった。  深雪の狼本来のスピードならば叩きつけられた大木の根本から柊弥の元へ駆け付けることは朝飯前だったが、そうまでする理由が深雪には無いはずだった。 「みゆ、き……何で、アンタ……」 「はっ……」  深雪は柊弥を見下ろし、満足そうな笑みを浮かべたように見えた。柊弥は自分に向けられた深雪の笑顔をこの時初めて直視した。 「純血種と宣った割にこんなものかい深雪」 「ぐう、っ」  十六夜は背後から深雪の頭部を掴み、柊弥へと押し付ける。図らずも動かない身体で深雪を抱き留める形となり、その後の光景に柊弥は自らの目を疑った。  深雪の腹には大きな穴が空き、損傷した内臓もひとつやふたつではなさそうだった。  人狼は一部の吸血鬼のように蘇生能力がある訳でもない。損傷した内臓が元に戻ることもない。それは深雪の敗北と死を確定しており、柊弥は目の前の深雪の行動を信じられずに硬直していた。  初めて真正面から捉えた深雪の顔。普段ならば視線を向けるだけで「薄汚い蝙蝠」と罵られる程、人狼という存在は高貴で高潔だった。狼は家族を大切にする種族であり、時の経過と共に深雪の認識する家族という枠組みの中に相反する柊弥ですらも組み込まれていた。  深雪の手が、身体が、十六夜から柊弥を庇うように覆い被さる。呼吸は荒く、閉じきれぬ口から咳き込む度に零れ落ちる赤い血。何かを伝えようと柊弥へ向けられる左右異なる色の瞳。  どさりと深雪ひとり分だけではない重量が加わり、柊弥はその重みに耐える。十六夜が深雪の背後から覆い被さり、同時に深雪の身体が柊弥の目の前で小さく震え始める。 「い、や……やめて、ください……おと、さ……」 「拒むな、これが本来のマウンティングだ」  十六夜は瀕死状態の深雪に向けて何度も腰を擦り付ける。深雪が苦しそうに泣いているのは柊弥にも分かった。 「どちらが上か教えてやらないとな」  跳ねる液体は深雪の血かそれとも涙か、柊弥は目の前で耐える深雪の身体をただ片腕で抱き留めることしか出来なかった。 「こ、やって……千影のことも……」  それでも深雪の瞳だけはまだ死んではいなかった。右目が蜂蜜のように綺麗な琥珀色で、左目が宝石のような美しい緑色、突き刺さるようなその視線を柊弥はいつでも深雪から向けられていた。  千影を守ることだけを目的に邁進し、千影に害を成すと思えば綜真相手にすら食ってかかった。それは千影の実の父親である十六夜が相手であっても変わらない。 「アレは私の子だ。子が親を拒むことなんて出来る訳がない」  十六夜にとっては深雪も養子という立場にあったが、父が子に対する行為とは思えない目の前のそれに柊弥は掛ける言葉が見当たらなかった。弟妹と仲良く幸せに暮らしてきた柊弥には理解し得ない家庭環境がそこにはあった。 「許、さないっ……」  嗚咽混じりに深雪が小さな声で呟く。 「あなたの、ことを……絶対に、許さな、いっ……」  深雪が噛み締めた唇から血が滴り落ちる。  ただ大切な家族である千影を長年に渡り辱めていた実の父親である十六夜への憎悪に打ち震えていた。

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