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第3話

 宏実が綾人に恋をしたのは、今から十年前――当時十歳のことだった。  宏実の実家・設楽家は代々音楽一家で、両親は揃ってピアニスト、祖父は作曲家で祖母は声楽家だった。  宏実はそんな環境で生まれ育ったのだが、音楽の道に進むことは強制されなかったので、比較的のびのびした幼少期を過ごした。ピアノやバイオリンは一通り習ったものの、どれも自分にはしっくり来なかったためあまり長続きしなかった。  そんなわけで、幼少期はあまり熱心に音楽を勉強して来なかった。  それが一変したのが小学校四年生の時だ。 「宏実。今日綾人が帰ってくるわよ」 「綾人? 誰それ?」 「やあね、あなたのお兄さんじゃないの。忘れちゃったの?」 「……そうだっけ?」  九歳年上の兄・綾人は、中学卒業と同時にヨーロッパに留学に行っていた。綾人は宏実と違って最初から音楽の道に進む気満々だったようで、小さい頃から熱心にバイオリンの練習をしていたそうだ。  ただ、綾人が家を出た時宏実はまだ六歳だったから、四年間も離れて暮らしていた兄の顔は正直覚えていなかった。 (兄ちゃんか……。一体どんな人なんだろう)  父さんをもっと若くした感じかな、と想像しながら、宏実は小学校から帰宅した。  ランドセルを振り回しながら家の正門を開けたら、バイオリンの音色が聞こえてきた。パリッと乾いたメリハリのある音だ。機械のように正確なピッチで、ほとんどミスがない。  すごい大音量でCDかけてるな、と思った。母さんが曲を聴き込んでいるんだろうか。近所迷惑だから、もう少し音量を下げてくれればいいのに。 「ただいまー」  ちょっと注意しに行こうと思い、宏実は音が聞こえる部屋に向かった。部屋のドアは開きっ放しだった。 「母さん、音が外まで漏れてるよ。もう少しボリューム小さくし……」  瞬間、音がピタリと止まった。室内にいた人物が、手を止めてこちらを振り返った。  それは母ではなかった。バイオリンを手にした美しい青年だった。

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