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第9話

「ありがとね。家の鍵、スーツケースの方にしまっちゃってて」  取り出すのが面倒だったんだ……と、綾人が笑う。  適当に返事をしながらも、宏実の内心は穏やかではなかった。 (おい……これは絶対ヤバいだろ……)  なんでこんなに綺麗になってるんだ、こいつは。十九歳の時点でも十分美人だと思ったが、今はそれ以上だ。もともとの美貌は更に洗練され、雰囲気までもが優雅かつ上品になっている。大人の色気と共に、バイオリニストとしての自信が全身から滲み出ていた。そのせいか、彼を取り巻くオーラがより艶やかに輝いて見える。 (ていうか、なんで帰ってくる直前に『LINE』入れといてくれないんだよ)  知らせてくれれば、葬式までなるべく顔を合わさないようにしたのに。予告なしで登場されるとこちらが困るのだ。心の準備ができていないから。 「ところで、作曲の勉強は順調?」  唐突にそんなことを聞かれ、宏実はますます動揺した。そのせいで、意図せずぶっきらぼうなことを言ってしまった。 「あんたには関係ないだろ」 「でも……せっかく会えたんだから、今どんな曲作ってるとか知りたいし」 「知ってどうするんだよ」 「どうもしないけど……でも、弟が作ってる曲なんだから興味あるじゃない? なんならちょっと弾いてみたいなって……」 「やめてくれよ。言っとくけど、あんたが弾いていい曲なんて一曲もないからな。下手に弾かれたら迷惑だ」  宏実としては、自分が納得して完成させた曲でなければ綾人に弾いてもらうのは申し訳ない……という気持ちだったのだが、生憎と言葉が足りなかった。 「……迷惑、か……」  そう呟いた時の、綾人の傷ついた顔は今でも忘れることができない。 「……やっぱり宏実は、僕のこと嫌いなんだね」 「はっ……?」 「いいんだ、それならそれで。十年以上も離れて暮らしてたのに、今更仲良くしようだなんて無理があるよね」 「いや、そんな……」 「ごめん。もう必要以上に話しかけないようにするから。余計なこと言って悪かったよ」 「そっ……!」  違う、そうじゃないんだ。宏実は心の中で叫んだ。  綾人が嫌いなんじゃない。むしろその逆なんだ。冷たい態度をとっているのは、そうやって予防線を張っていなければすぐさま襲い掛かってしまいそうで……。  だけど、さすがにそんなことを口に出すわけにはいかない。感覚的には他人でも、実際は同じ両親から生まれた兄弟なのだ。  血縁関係さえなければ、今すぐ気持ちを伝えて恋人にしてやるのに……。 「……作曲、頑張ってね」 「あ、ああ……」  結局宏実は、自分の気持ちを何一つ満足に吐き出せないまま、翌日の葬儀を迎えたのであった。

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