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#013 Farewell

「みんな、久し振り。おつメイ」  《翡翠メイ》がインターネット生配信にてファンや視聴者の前に姿を現したのは、最後の心霊配信からおよそ三ヶ月が経過した頃だった。  一ヶ月音沙汰が無かった時点で既に別のインフルエンサーに移ったファンもいたが、三ヶ月振りともなる生配信は多くの注目を集めた。  特徴的だった青味がかったヘアカラーに黄色いメッシュは黒一色に染め直されており、普段着ているオフショルダーの緩いニットは黒いスーツに黒いネクタイという様相で、ネイルやピアスなどの装飾具も一切なく化粧っけも皆無だった。  三ヶ月の間沈黙を続けていた《翡翠メイ》の登場姿に視聴者は皆口々に心配のコメントを投稿する。 「今日は皆さんにお知らせがあります」 〔いつもと部屋違う?〕 〔これ前の部屋じゃない〕  相変わらずといえる《カエサル》の考察に苦笑を浮かべる早苗は、視聴者にも分かるよう一度背後を振り返って室内を紹介する。 「うん、今日はね昔と同じ――自分の部屋から配信しています」  あの配信部屋は建巳が用意していたもので、滅多に戻ることは無かったがそれまでに暮らしていたアパートも早苗は家賃を支払い続けていた。  もうアパートに戻ることを恐れる必要は無い。太郎はもうこの世にはいないのだから。  配信部屋は建巳の死後建巳の両親により手続きが行われ、このまま早苗が部屋を使い続けてもいいとも言われたが身の丈に合わないとして丁重に辞退にした。 〔前より物減ってる?〕  《カエサル》からの指摘に早苗はぎくりと息を呑む。ウェブカメラに映り込む画角は大した情報量ではないはずだったが、その僅かな情報量の中でも以前との差を指摘出来る《カエサル》の観察眼は驚くべきものだった。 「……そ、そうだね。断捨離ってやつ、になるのかな」  三ヶ月も待たせてしまったことから久々の生配信はコメントが賑わうが、視聴者の何割かは《翡翠メイ》のその姿から良くないことを想像していた。  もうコメントで脱線をしないように一度目を閉じゆっくりと深呼吸をしてから、目を開けた早苗は真っ直ぐにウェブカメラに視線を向ける。 「《翡翠メイ》は今日を以て男の娘インフルエンサーとしての活動を引退します」  三ヶ月に及ぶ沈黙の後、喪服とも見られる姿で登場した《翡翠メイ》の姿に誰もがその可能性を予想していた。コメントでは詳細を求める内容が続くが、心配する視聴者の言葉の温かさに早苗は柔らかく目元を細める。  《翡翠メイ》で居られた時間は決して長く無かったが、建巳を始め沢山のファンに支えられて今日まで走り続けることが出来た。説明責任を求める声は確かにあったが、《翡翠メイ》というキャラクターは何も不運に見舞われず、ファンには笑顔を与えられる存在のまま表舞台から姿を消す。それが早苗が三ヶ月間悩みに悩み抜いて出した結論だった。  最後まで変わらぬ笑顔を続け、《翡翠メイ》は最後のインターネット生配信を終了する。これまでの配信に関する切り抜きの転載は今後も残り続けてしまうかもしれないが、これまでの配信のアーカイブも既に消している。今回の生配信はアーカイブを残さない。  SNSへ投稿していたものは写真を含めて全て削除しており、現在残っているのはこの最後の生配信の告知のみ。その最後の投稿を削除すれば《翡翠メイ》の存在は全て消える。  人の目を見て話せない早苗にとって人生で最も楽しくて充実した日々だった。  余計なものを全て処分したアパートの一室で早苗は膝を抱える。  静かな部屋に通知音が鳴り響きスマートフォンを手に取ると、配信用のアカウントにダイレクトメッセージが一通届いていた。これまでは建巳がダイレクトメッセージを確認しており、建巳がいない今それは早苗が確認しなければならないことだったが、その内容は引退宣言に関することだろうと予想が付いていた。  恐らく数時間もすれば《翡翠メイ》の引退配信が僅かにネットニュースとして纏められることだろう。今連絡が来るとすれば生配信を見ていた視聴者くらいで、早苗は通知を選択して送られてきたそのメッセージを確認する。 〔今回の引退は狭山建巳さんの死亡と多賀観月さんの逮捕に関係があるものですか?〕  メッセージの差出人は《カエサル》だった。  三ヶ月前、大学生の転落死とその部屋の住人である男性の逮捕は僅かにニュースで取り上げられた。初めのころは関係者としてその場にいたひとりの存在も示唆されていたが、一週間もしない内に早苗の存在は無かったことにされた。それは体裁を考えた建巳の実家の権力によるものであった。  早苗の目の前で建巳は転落して亡くなった。観月は早苗に対する殺人未遂により逮捕されたが、それらは全て建巳が依頼していた探偵による情報提供から成されたものだった。  観月は駆け付けた警察により逮捕されたが、その時点で観月の精神はこの世のものでは無くなっていた。たったひとりの家族であった太郎を失った観月の唯一の心の支えだったのが、太郎が望む《翡翠メイ》という存在を太郎の元へ送ることだった。  視聴者やファンからのメッセージに対して直接返信をすることはこれまでなく、《カエサル》からのメッセージを見た早苗はそっとスマートフォンの電源を落とす。断片的な情報から真実を突き止めた《カエサル》の観察眼は相変わらず感心するほどであった。  ごろんとむき出しのフローリングへ横になり、電源を落としたスマートフォンを眺めそしてそれからそのまま床に置く。  これからのことを真剣に考えなければならなかった。コミュニケーション能力も低いし人の目を見て会話をすることも出来ない。建巳がもういないのに男の娘インフルエンサーを続けていく自信もなかった。それでもこれからは自分ひとりで何とか生きていかなければならない。  ただ気が重かったが、それだけ建巳のサポートに助けられ続けていた。  そんな建巳の手を汚させてしまったのは自分自身で、両親から大切に愛されていた建巳を両親から奪い取ってしまったのも自分だった。ファンの皆に笑顔を届けることを目的としてやってきた《翡翠メイ》だったが、笑顔どころか一番側にいてくれた建巳の家族を悲しませる結果となってしまった。  こんな自分にはもう《翡翠メイ》を続ける価値はなく、建巳と出会う前のあの頃に戻るだけだった。 「ごめんなさい……」  呟く言葉とともに頬を涙が伝う。  笑顔を届けられなくてごめんなさい。  逃げずにちゃんと向き合えなくてごめんなさい。  自分のせいで失われてしまった全ての命に――ごめんなさい。

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