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Chapter.2

 一度アルバイト先であるファミリーレストランまで戻り、更にその先へと進む。紘臣がルームメイトと暮らしているアパートは、冬榴が春杜と暮らすマンションとはファミリーレストランを挟んだ真逆の位置にあり、もう少しでマンションへ到着しようとする中急遽春杜を紘臣のアパートまで迎えに行くことになったが、その間冬榴はずっとマサミチと手を繋いでいた。  冬榴の側から手を離す理由が無かったといえばそれまでなのだが、ただでさえ最寄り駅から十分以上も離れた土地では夜の二十一時も過ぎれば人通りは多くない。だからこそ通り魔や変質者の格好の餌食でもあり、冬榴が春杜を心配する気持ちとマサミチが冬榴を心配する気持ちは当価値だった。 「ヒロオミくん――ってアレだよね、偶に夕方からシフト入ってるの見るあの金髪の子」 「そうです、あの金髪でガングロの」  年齢は確か冬榴のひとつ下の筈なので十九歳、高校卒業後進学を選ばずフリーターをしているということを冬榴はかつて雑談がてら紘臣本人から聞いたことがあった。 「あー、確かに黒いよね。アレ、地黒なの?」 「日サロで焼いてるって言ってましたよ」 「この辺り日サロとかあったっけ」  雑談を交わしながら冬榴はマサミチの横顔をちらりと見上げる。まるでテレビに出ている俳優かモデルのように整った涼しげな顔は春杜とは方向性が違いながらも世の女性がきっと放っておかない存在なのだろう。そんなマサミチが何故自分にこうまで良くしてくれるのか、冬榴にはそれが疑問だった。  ファミリーレストランの反対側にも公園はあるが、冬榴のマンションがある方の手入れの行き届いた自然公園とは異なり、子供が遊ぶことに適したその公園では夜の二十一時を過ぎてもスケートボードの滑走音が鳴り響いていた。  それは地域特有の格差のようなものであり、ファミリーレストラン前を通る公道を挟み冬榴たちの住むマンションがある東側が富裕層向けであり、紘臣たちが住むアパートのある西側が一般家庭向けであった。  冬榴も春杜と同居することがなければ恐らく住むことが出来たのは西側が精一杯だっただろう。その点ではやはり春杜に感謝はしているし、たとえ深夜だろうが春杜から迎えの足として呼び出されればそれに応じない訳にはいかない。  昭和時代から存在していそうな趣のある一軒家や良くて三階建てまでの低層マンションが連なる住宅街に出ると目的地である紘臣の住むアパートが見えてくる。どこまでがアパートでどこからがマンションであるのか冬榴に明確な違いは分からなかったが、紘臣が言うにはそれはアパートの部類に入るそうだ。  アパート前に到着をしたら春杜に連絡を入れて紘臣の部屋から出て来て貰う。マサミチと過ごせる時間も後僅かとなれば冬榴は惜しむように繋いだその手の甲を撫でるように指先でなぞる。  徐々に足取りが重くなってきていることに冬榴は気付いていた。やがて煌々と照明が灯された漆喰塗の集合住宅の前に到着すると冬榴は両足を揃えて止める。 「ヒロオミくんの家、ここ?」 「はい……あの、本当にすみませんマサミチさん。折角……家まで送って貰ってたところだったのに」 「ここからなら、駅までもそう遠くないから大した距離じゃないよ」  そう言うマサミチは片手でスマートフォンを操作しており、どうやら地図アプリで位置を確認しているようだった。  それでもしゅんと子犬のようにしょげる冬榴の顔を見たマサミチはふっと柔らかい笑みを浮かべると繋いでいた手を離し、その手をぽんと冬榴の頭の上へと置く。その手は冬榴の気持ちをほんわかと暖かくさせた。 「親戚の人と一緒でも、夜道は危ないから気を付けてね」  ゆっくりとマサミチの手が冬榴の頭から離れる。それが何故かとても淋しくて、惜しむように手を振り歩き出そうと向けられたマサミチの背中に冬榴は咄嗟に声を掛ける。 「あのっ、マサミチさん……!」  数歩駆けてマサミチのスーツを掴む。その片手にはスマートフォンが握られていた。 「あの、ええと……連絡先の、交換を……」  これまでは従業員と客という関係上、個人的な連絡先の交換をしていなかった。だからこそ冬榴の仕事終わりにマサミチが何も言わずに待っていてくれたことが嬉しくて、その反面驚きもあった。  今は確かにお互いが想い合っているという自覚が冬榴にはあった。まだ明確な言葉を交わしてはいなかったが、東側の自然公園から西側の紘臣宅の前までずっと繋ぎ続けていた手が冬榴にそれを確信させていた。  ならば今ここで連絡先を交換しない手はないと思い切って切り出した冬榴だったが、春杜と違い経験の浅い冬榴には今はこれが精一杯のアプローチだった。 「あっれぇ、そこにいるのトオルさんじゃなーい?」  どこからともなく聞こえてきた声、マサミチはその声の主を探すように周囲を振り返るが、心当たりのあった冬榴は迷わずアパートの二階にあたる出窓を見上げる。そこには冬榴が最も苦手とする人物の姿があった。 「サトシくん……!」  その出窓は紘臣のルームメイトである慧志の部屋であり、室内の明るさと外の暗さからその姿は殆ど真っ黒で判別が付かない状態だったがやけに通る声はそれが慧志であることを明確に知らしめていた。  物凄く嫌なタイミングを慧志に目撃されてしまったと苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる冬榴だったが、丁度慧志が部屋から顔を出したことは冬榴にとっての好都合でもあった。 「ハルトさん、呼んでくれない? 迎えに来たから――」 「今日さあ、ハルトさんが来るって聞いてたからトオルさんも後で絶対来ると思って」  冬榴の言葉へ被せるように慧志は言う。その言い方は元々冬榴の言葉など聞くつもりがないかのようで、窓枠に肘を付き二人を見下ろす慧志の口元は三日月のように綺麗な孤を描いていた。 「駅前のケーキ屋のショートケーキ、買ってあるから上がっておいでよ」 「ケ……」  冬榴の肩がぴくりと跳ねたのをマサミチは見逃さなかった。向けた視線の先の冬榴はまるで初めてのウェディングケーキと対面した少女のようにキラキラと目を輝かせており、今にも薄く開いた口から唾液が零れ落ちそうだった。  不躾に突然現れた二階の住人を一瞥するマサミチだったが、明らかに分が悪いことを認識すると慧志を見上げる冬榴の肩を抱き寄せ掠めるように額へ口付ける。 「――また明日、バイトが終わる頃に行くから。その時に」  慧志には決して聞こえない程の小さな声でマサミチは冬榴に伝える。腕の中の冬榴が再び蛸のように顔を真っ赤に染めているなど知る由もないまま、馬にでも蹴られてしまえと言わんばかりの鋭い視線を慧志へ向ける。

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