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第5話

 シュジェールは汗ばんだ身体を投げ出して、自分がとった狂態の数々を素描した男を思い出した。 (あんなものがひとの手に渡ったら僕はおしまいだ)  今後、あれを持ち出されて強請られないとも限らない。だが、あの男をあそこまで追いつめたのは自分だ。   シュジェールは吐息をついた。 (だが、これでもうイサキオスは僕を諦めるだろう。彼は故郷に戻らないとならない。ルーカス一族にとって、今が勝負のときだ)  ドゥールの父の元老議員が病死した情報は、シュジェールの父、ヴァンダール王国の宮内大臣の耳に届いていた。開いた議席にイサキオスが入ってもおかしくない。また、その妹のエウドクシアはレイ・アラマ公国の公妃になることが正式に決まった。 (ドゥールが寄越されたのは帰国途中にイサキオスの命をねらう敵対派閥への牽制だ。彼は、親の死に目に会えなかったのだな……)  シュジェールは、妾腹の子のドゥールが病気の父親をおいて従兄のためにこの国に訪れた事実を知った。 (かわって、イサキオスとエウドクシアは正妻の子、母親はレイ・アラマ公国の公女だ。あの豪華な金髪は北方人特有のものか……。ヴァンダール王国は、ルーカス一族に北を取られてしまったようなものだ)  こんなことなら、エウドクシアを嫁に貰っておけばよかったかもしれない。が、そのときシュジェールはこの国にいられなくなる。イサキオスは本気だ。 (けれど、レイ・アラマとサティルニアが結託されては困る。王子殿下のどちらかには、どうあってもラトニア王国あたりから嫁をもらっていただかなくてはならなくなったな)  ユスタス様かジルベール様か、とシュジェールは王子二人の名前をつぶやいた。そうすれば万が一の場合、ラトニア王国と共謀してサティルニアを挟み撃ちできる。 (あとは北方の蛮族が南下しないことを祈るしかないな。サティルニアが来るとすれば、そのときだ。隙を突いて、レイ・アラマと攻撃を開始するだろう)  シュジェールは内政だけでなく外政をも自分の将来の課題に決めていた。けれど実際、イサキオスに比べると自分の非力さや外交力のなさ、単純に庶民の生活を知らないという点だけでも恥じるところが多かった。  イサキオスはある時、この都で一番高級な娼館ひとつを一晩買い上げた。  そこで彼がやったことは、シュジェールの廉恥心の境界ぎりぎりのところだ。  イサキオスは自分の邸の洗濯女、結婚を目前にした娘を娼婦たちにさしだし、広間に一同を集め、一番売れっ子の女に淫靡な悪戯をさせた。  やめてください、許してください、と泣いてわめいていた娘はそれでもすぐにおとなしくなって、あられもない声をあげはじめた。  シュジェールはそこで気分が悪くなるほど生真面目な少年ではない。娘は騙されて連れてこられたわけでなく、娼館と知ったうえでついて来た。何かを期待していたのは間違いない。たとえそれが、美貌で金持ちのイサキオスとの情事であろうと。  女たちは興奮して互いに抱き合い始め、イサキオスはしばらくそれを眺めていたが、すぐにシュジェールを連れて別室に移った。 「怒っているね?」  イサキオスが寝台に横になりながら問う。 「あの娘は、結婚前だったのでは?」 「そうだよ。よく働くし器量も悪くないので、出入りの酒屋の息子に紹介してやった。いい夫婦になるだろう」 「あんなことをされて?」 「処女で帰せと言ってある。張り形をつかって遊ばせたりはしないよう注意してあるさ。処女の血は大切だろう?」 「僕が言うのは……」 「酒屋の息子は童貞じゃない。彼が商売女と遊んで軽い性病にかかったのも知っているよ。ああ、完治してるからそれも心配ない」 「だから、あの娘も玩具にされてもいいと?」  イサキオスは横になったまま、寝台に寄って来ないシュジェールを見上げてこたえた。 「遅かれ早かれすることはするんだ。妻が積極的で喜ばない夫がいるだろうか?」  異教の男の言葉に、シュジェールはうなだれて吐息をついた。 「……イサーク、君の国ではそうかもしれない。だが、この国では結婚は主の聖なる秘蹟によって結ばれるものだ。夫婦間以外の交渉も堅く禁じられている。堕落した一部の貴族や富裕な商人たちをのぞいては、ほとんどのひとが互い以外を知らずに過ごすんだ」  それを聞いた異国の男は心底面白そうに声をあげて笑った。それから、両目を煌かせてシュジェールを見上げた。 「だからあの娘は免除してやれというのが君の意見か、偽善者の言うことだね。では、ここにいる女たちはどうなる? 君はたしかに金払いもよく、女を喜ばせるのも上手だろう。馴染みの娼婦は君を本当の恋人のように大事に抱きしめてくれるはずだ。だが、そんな夢のような相手は滅多にいない。いや、娼婦が死ぬまでにひとりでも会えれば幸運だ」  イサキオスは静かに身体をおこす。そして、シュジェールの頬を優しく撫でて続けた。 「娼婦だけじゃない。この国の女性は、己の欲望を口に出すことも戒められている。ただひとりの客しか知らない娼婦と同じさ。そのほうがましだと思うかい?」  シュジェールは黙っていた。その金髪を指にすくい、からめながら男が言った。 「私が今日、ここを買い取ったのは、彼女たちが自分で楽しめるように配慮しただけ。あの娘はそのきっかけにすぎない。たいして気持ちよくもないのに声を出してやったり、料金以上のことを要求されたり、しまいには主とやらに許されない子供を産まされたりする女たちに一晩、自由をやっただけ……」  イサキオスの手は、シュジェールの感じやすい耳を撫で、続いて首筋をくすぐる。 「一晩でここに費やす金は小さくない。だが、こんなことでも奪われるばかりの彼女たちには僥倖だ。次に私がある男と取引したいと思えば、皆よく働いてくれるだろう。金とは、そうやって使うものだよ」  イサキオスは立ち上がり、シュジェールを強引に抱き寄せた。耳の穴に濡れた舌を挿しいれながら、甘い声を出す。 「こうして、違う場所で君と抱き合うのもなかなか新鮮だしね。面白い道具もたくさんある。退屈しないですみそうだ」  シュジェールは吐息をついて思い返す。 (……たしかに、退屈はしなかった。帝国の伝統の失われたこの国には、ああいう饗応方法はない。が、宗教的な道義心を持ち出さないならば、地位と名誉、酒と食事と金と女、これでたいていの人間は攻略できるものだ)  イサキオスは大学でも娼館でもかわりなく振る舞う。どこにいても注目を集め周囲を傅かせる。シュジェールは彼に比べれば自分はしょせん官僚貴族の器しかない、と思う。 (それでいい。僕は元首になるには神経が細すぎる。だが、だからこそできることがあるはずだ。君主は凡庸で鷹揚な場合か、豪胆で厳しい場合のどちらかしか成功しないんだから。僕はそのどちらであっても対応できるよう自分を演じ、この能力を活かしきれればそれでいい。そのためには明日の試験一つだって、落としてなるものか)  指輪を嵌め、シュジェールは汗を拭って消炎薬を張りなおして眠ることにした。  

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