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36 急な不在

「や、やばい。冬馬、言ってなかったのかな?」 「俺ら、バラしちゃった感じ!?」 と焦っていて、こちらがいたたまれなくなった。 「あ、大丈夫ですよ。ちょっと片瀬と話してみます」 俺が何とか愛想笑いを作って言うと、2人は「それが良いと思います」と頷いた。 彼女の方が同情するような顔で 「冬馬、お金目当てで近づいてくるΩや女の子が多かったから、社会人になってからは言わないようにしてるんです。 三上さんは、実家のこと知ったら一線引くタイプだと思いますし、それを見越して言えなかったんだと思います」 とフォローしてくれた。 「だから、どうか冬馬を見限らないでください」、とも。 俺は「ありがとうございます」と笑って、退店する2人を見送った。 最後の一口のパンを冷めた珈琲で流し込む。 残りのコーヒーは飲む気にならなかった。 だって、片瀬が親の跡を継いで社長になったとして、見限られるのは俺の方だ。 やっぱり俺って捨てられる運命なのかな… 12歳も下の高スペックαのアプローチにまんまと引っ掛かって、番になっちゃうだなんて情けない。 片瀬の家を見た時から薄々感づいていた。 実家が太いんだろうと。 片瀬、と聞いて浮かぶ企業があった…、が、まさか違うだろうと見て見ぬふりをした。 そのツケが回って来たんだろうな。 ネットで「片瀬コーポレーション」と検索をかける。 検索したページの下の方に噂を集めたようなネット記事がある。 『片瀬Corp. 代表取締役社長交代を目前に長男が国外へ逃亡か!?』 大方、長男が会社を継ぐと思っていたら、その意思がなく逃げてしまったから、片瀬に矛先が向いたのだろう。 だから、バタバタしていて毎日忙しそうなのだ。 俺を見限ったわけではない…、よな。 不安と期待が押し寄せる中、その記事の中に『時期社長、美人〇〇令嬢と密会か!?早くも社長夫人が誕生するとの噂も』と書いてあり、視界が霞んだ。 ああ、やっぱり俺は捨てられるんだ… 片瀬コーポレーションは社長交代の噂が出ただけで、ネット記事になるような大企業だ。 片瀬はとてつもなく仕事ができる。 その彼を差し置いて、俺が課長になり、片瀬が昇進することもなく今に至る。 兄が社長になるにしろ、片瀬がなるにしろ、ある程度うちで働いたら、親の会社に戻る予定だったからだろうなと合点がいった。 色々と違和感を抱いていた部分が、片瀬が実は片瀬コーポレーションの子息だったとわかり、どんどんとピースがハマっていく。 ご令嬢と結婚するのは構わない。 死ぬほど辛いけど、それは覚悟の上で片瀬と付き合うことにしたんだから、それでいい。 でも、こんなふうにネットや又聞きで知りたくなかった。 ちゃんと片瀬の口から聞いて、納得して別れたかったのに。 それからの週末は全然生きる気力がなくて、月曜はなんとか気力を振り絞って出社した。 出社した途端、部長に呼び出される。 「三上くん…、本当に申し訳ないんだが、片瀬くんのご実家の仕事が立て込んでいるようで、急に休職ということになった。 もしかしたら戻らずにそのまま退職するかもしれない」 俺は更なるショックで、自分がうまく立てているか分からない。 「や…、困ります。片瀬の仕事の引き継ぎとか…」 「本当に苦労をかける。 私もできるだけフォローしよう。 あの片瀬コーポレーションからの要求を断れないというのが、上の判断だ」 「そんな…」 そんなの、自分の口からちゃんと説明するのが筋だろ!これだからボンボンは! …せめて、片瀬の顔を見せて欲しかった。 泣きそうになるのを堪えて、「あの元課長に扱かれた俺ですよ?片瀬の不在くらいなんてことありません。新しい人、こちらに回してください」と気丈に振る舞う。 「すまないね。本当に助かるよ。 2課のそれなりに歴の長い社員を寄越してもらえるから、頼むな」 そう言って部長は俺の肩を叩き、会議室を後にした。 俺は近場にあったパイプ椅子にドカリと腰を下ろす。 本当にもう、何から手をつけていいか分からない。

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