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37 限界
それから目まぐるしく1ヵ月が過ぎた。
片瀬は今のところ休職中で、完全に辞めたわけではない。
けど、復帰の目途は立っていないようだ。
ラインも俺が1か月前に『〇日、空いてる?』と訊いて
『せっかくのお誘い、嬉しいんですけど予定があります。
空いてる日が決まったらこちらから連絡します』
という返事に対して既読をつけて止まっている。
普段は既読無視をすると
『読んだら、読んだ!って言ってください』
とか小言を言われていたのに…
毎日、職場で会うのに何の意味があるんだと
思っていたけれど…
そんな小言すら今は懐かしいと思うなんてな。
新しく異動してきた人は優秀なんだと思う。
だが、前任が片瀬だったため、少し心もとない。
全ての仕事を任せることが出来ず、やはり俺が対応するしかなかった。
忙殺して片瀬の事を考えなくて済むのは良いことだと思う。
が、それも番になる前なら、の話だ。
番に会えないΩの生活がこんなに苦しいものだとは思わなかった。
ヒートは軽いが、ずっと心が休まらず、ずっと不安感が消えなくて、不意に胸が苦しくなるほどの孤独感に苛まれる。
片瀬に一目でも会えれば、消え去りそうなものなのに…
パワハラ課長にしごかれていた時よりも、目に見えて顔色が悪い。
さすがの部長も心配したのか「1週間くらい休暇を取った方がいいんじゃないか?」と聞かれたが、
1週間も家にいて奴の事を考え続けるなんて絶対に嫌だ。
「契約番が音信不通になって、本能的に参ってるだけなので大丈夫です。むしろ、忘れていたいので仕事があった方が助かります」
と言って、なんとか休暇キャンセルできた。
最近は何を食べても戻してしまうので、食べないようにしていた。
が、来社したお客様が生あんぱんなるものを差し入れてくれたようで「今すぐ食べてください」と、来客対応をした部下が嬉々として持ってきた。
「ああ、ありがとう。
でも、もし数が足りないなら他の人に…」
「いえ!お客様の方で、人数確認して持ってきたそうなんで!
なんなら片瀬さんの分もありますけど?」
「あ、そうなのか。
じゃあ、一つ頂こうかな」
と、渋々1個手に取った。
部下はずっと俺を凝視している。
食べるまで見てるってことか…?
俺は、意を決してあんぱんをかじる。
ふんわり柔らかくて、ほんのり温かい。
出来立ての美味しい状態で持ってきてくださったのだろう…
が、案の定、味がせず、柔らかいスポンジをかんでいる気分だった。
何とか飲み込み、「こんなに美味いあんぱんは初めてだ」というと、部下は嬉しそうに「ですよね!」と言って他の人のデスクに向かった。
それを微笑ましいと思いつつも、残ったパンをどうするか悩み、とりあえずすべて胃に収めた。
が、どんなに高級なあんぱんだろうと俺の体は受け付けず、すぐに込み上げてくるものがあった。
急いでトイレに駆け込む。
吐くとかなり体力を削られるから避けていたんだけどな…
すべて出し切り、便器の前にしゃがみこんだ状態で水洗のレバーを引く。
全て流れ、汚れが残っていないかを確認したうえで立ち上がろうとしたとき、視界が急に真っ白になった。
やばい…、倒れる
そう思った時には、体の自由が利かなくなり、横転した。
そのまま意識が遠のく。
あ、死ぬかも…、と俺はのんきに思った。
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