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第5話
天根が九時過ぎにリビングに顔を出し、驚いた顔を浮かべて固まっていた。その人間らしい表情を見て頑張ったからな、とこっそり胸を張る。
夜通し掃除をしたお陰でリビング、キッチン、風呂、トイレ、空き部屋が塵一つないほどきれいにできた。ごみ集積所を何度も往復するのでその度にコンセルジュと顔を合わせ気まずい思いをしたが結果オーライだろう。
ついでに二十四時間スーパーで食料も買い足したので朝ご飯が食卓に並んでいる。和食派か洋食派かわからなかったから、どちらにも対応できるように玉子焼きとハムカツにした。
「ご飯とパンどっちがいい?」
「どちらでも」
「じゃあ炊きたてだからご飯にするか」
茶碗にご飯をよそっていると天根は不思議そうな顔をした。
「この家に炊飯器なんてあったんですね」
「他にもトースターと電気圧力鍋もあった」
「……買った記憶がないです」
湯気がのぼった茶碗を見て、天根は申し訳なさそうに眉根を寄せた。
天根の表情が穏やかなことに首を傾げた。口調も柔らかい。昨晩は殺人犯のピリピリした雰囲気だったのに。
前評判通り人懐っこい印象はある。
でも誰かに似ている気がし、記憶の糸を辿ると一つの情景が浮かんだ。
悪を打ち負かした正義のヒーローがポーズを決める姿。
天根がデビューした戦隊シリーズ『大空戦隊スカイレンジャー』のレッド、赤羽ソラだ。持ち前の明るさと人懐っこい性格で最終的には敵幹部とも仲良くなっていた異色のリーダー。
髪型も服装も全然違うのに話し方や視線の動かし方、立ち振る舞いが画面から飛び出てきたソラのままだ。
(もしかして役が抜けてない? 放送が終わって二年も経つのに?)
視線に気付いた天根は困ったように笑った。
「すいません、昨日は態度悪くて。家だと役は抜けるんですけど」
「でもいまは赤羽ソラだろ?」
晶の言葉に天根は罰が悪そうに顔を歪ませた。その表情も仲間割れした回のソラそのもので、疑惑が確信に変わる。
「……バレたの初めてです」
「どうしてソラのままなんだ?」
天根はニコリと笑うだけで答えてくれない。「全部美味しいです」と朝食を褒めてくれ、食べ終わるとすぐに身支度を整え始めたのを見て晶も慌てて準備をした。
「玄関を一歩出たら俺は殺人鬼になります」
返事をするよりも先に天根が外に出ると春の日差しように温かい雰囲気がナイフで切られたように鋭くなった。前を歩いているだけなのに首を締められているような殺気を滲ませている。
一瞬で演じるキャラクターに変わる俳優特有の雰囲気。まばたきをしている間に年齢も性格も歩き方から鞄の持ち方まですべてが役そのものになるのだ。
俳優には様々なタイプがいて、現場に入ってから役になる人、監督のカットがかかってからなる人、事前に感情を作ってきて撮影時に爆発させる人と役者の数だけ演じ方がある。
けれど天根のように日常生活に支障が出るほど役に入りこむ人を初めて見た。
演じているとずっと神経を尖らせて集中し続けているから疲労がたまる。
役のことを考え、気持ちも役に同調し続ける耐久力は常人ではできない。どうしても途中で集中が切れて素が出てしまう。
天根は疲れないのだろうか。いや、そんなことない。昨晩の天根は顔色が悪く、具合いが悪そうだった。
ではなぜ役を演じ続けているのか疑問が湧く。訊いても教えてくれないのなら少し観察してみるか。
隣を座る天根はタクシーの荒い運転に少し苛立った様子を見せているが、視線はずっと台本に向かれている。
急ブレーキやカーブで身体が揺れる度に口元が歪んでいるが、運転手に文句を言うことはしない。
張り詰めた空気が車内に漂っており重苦しい空気になっている。運転手はそれが嫌で、早く目的地に着こうと急いでいるのだろう。
確か殺人犯役は寡黙で冷徹だと聞いた。今日でクランクアップだから、このピリピリしたムードはあと数時間で終わるはず。
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